Episode13 勇者と魔王
勇者視点。
「なあケリー」
「なんだいダメ勇者」
「わしらが夫婦になって、もうずいぶんたつと思わないか?」
そう訪ねた私に、ケリーが返したのは笑顔ではなく舌打ちだった。
「言いたいことがあるならさっさと言いな」
「べっ別にその、不満があるとかじゃなくてだな」
「無いって顔じゃないだろう」
と睨まれるので、私は渋々目の前に置かれた目玉焼きに視線を落とした。
「前々から言っているが、わしはグジュグジュの目玉焼きは嫌なのだ」
「知ってるよ」
「なら、堅焼きにしてくれてもいいのではないか? 一応その、わしは君の最愛の人なわけだし」
半ば確認を込めてそう提案してみたのだが、帰ってきたのはやっぱり舌打ちだった。
「嫌なら食わなきゃいいだろ」
「しかし嫁の料理を残すのはさすがに」
「無理して良い旦那になることはないさ。食えないなら残せばいい」
「いやでも、目玉焼きの黄身を崩す方がもっと…」
効率的ではないかという言葉は、飲み込まざる追えなかった。
なぜならケリーが鬼のような形相で私を見ていたからである。
「……やっぱり良いです」
食べます。頂きます。完食します。
そう言って冷や汗をかきながら目玉焼きを食べる私の姿を、かつての世界の者が見たらいったいどう思うだろうか。
年は取ったし髪も薄くなったが、私は伝説の二つ名を持つ勇者である。
その伝説は実力というより運で勝ち取った物だが、それでも私は誉れ高き功績を持つ勇者なのである。
しかし最近、私は日に日に勇者としての誇りと威厳を失っているように思う。
悪竜を退け、オークの群れを退治し、魔王と一騎打ちをしたかつての私の威厳は、もはやつゆほどもない。
「そうだ、あんたどうせ今日も暇なんだろ? 暑くなってきたし、そろそろ裏庭のプール掃除をしといておくれよ」
そして私の威厳を木っ端みじんに打ち砕いている一番の理由が、このお願いという名の命令だ。
ケリーは事あるごとに、私に雑用を言いつけるのだが、その殆どは掃除や洗濯やお使いなど、どう考えても勇者である私がやるべき仕事ではない。
「あのプール、凄く汚い上に10メートルくらいあるじゃないか……」
「出来るだろう。伝説の勇者なんだし」
前に10メートルの竜を倒したと自慢してたじゃないかとケリーは言う。
しかし10メートルの竜を倒すのと10メートルのプールを掃除するのでは天と地ほどの差があるのだ。それに退治したのは50年も前だし、私の基準としては退治より掃除の方が困難なのだ。
「いやでも、さすがにあのプールは広すぎる……」
「じゃあ、魔王にでも手伝って貰えばいいじゃないか」
自分の家のプールであることを忘れているとしか思えない発言だった。だがケリーはたぶん本気だ。
「ちょうど、外で暇そうにしてるしね」
言ってケリーが窓の外を指さすと、そこでは私以上に以前の威厳を失った男が、恋人にしがみついている。
私が勇者らしさを失った以上に、魔王である奴が魔王らしさを失っているのはちょっとした救いだが、彼から発せられるピンク色のオーラはいただけない。
「あいつは何をしておるのだ……」
「毎朝の恒例行事だろう。あいつ等はほんと若いねぇ」
と呆れたような声を出している割に、ケリーは嬉々として窓を開けている。
たぶん二人の会話を盗み聞きしようという魂胆なのだろう。正直自分の恋愛より他人の恋愛に興味津々というのは複雑だ。
「もうっ、良いから離れなさい!」
そしてどう考えても、ケリーの舌打ちより小娘の罵声の方が愛がこもっているのも複雑だ。
「放してくれないと、学校行けないでしょ!」
「でも、いつもより3分も家をでるのが早いではないか」
「あんたがこうやって引き留めるから早めにでたの」
「なら私とのスキンシップは織り込み済みと言うことだな?」
こちらまで届く声は妙に甘く、その上奴は真っ昼間だというのに恋人と深い口づけを交わす。
彼らに世話になっていた頃から思っていたが、あの二人のスキンシップは心臓に悪い。と言うか痒い。
特に魔王の仕草と台詞は、心臓に直に衝撃を与える破壊力を持っている。どうやら奴は、こちらの世界に来て、さらに厄介な技を身につけたらしい。
「このままずっと唇を奪っていたいが今は我慢する。だからその分、帰ってきたらまた愛していると言わせてくれ」
「あんた、最近恥ずかしさに磨きがかかってるわよ……」
「恥ずかしいことなど何もないぞ。むしろこうして師匠に触れて、愛を語れることは嬉しいことだ」
男でも見ほれる微笑みで、持ち上げた恋人の指先に口づけを落とす魔王を見ていたら、なんだか無性に腹立たしくなってきた。
奴は私以上に情けない男になったというのに、どういう訳か私以上に私の理想とする生活を送っている。
奴と私では一体何が違うのか。もしかしなくてもこの甘い言葉だろうか。
歯の浮くような台詞を連発したら、ケリーもあの小娘のように恥じらいながらもキスをしてくれるのだろうか。
「なあケリー」
「なんだいバカ亭主」
「例え目玉焼きがグジュグジュでも、使用人のようにしか扱われなくても、わしは君を……」
「愛してる、なんて外のバカみたいな台詞喋ったら、ぶん殴るからね」
読まれていた上に否定までされてしまい、私にはもう為す術がない。
そんな私に対して、魔王は別れのキスをしっかりと貰っている。
私は勇者なのに。奴は魔王なのに。
そんなことを今も引きずっている自分が更に悔しくて、私の思わず、私の愛を突っぱねた妻に拗ねた視線を向けてしまった。
そしてもちろん、ケリーはその視線を「気持ち悪い」の一言で切り捨てた。
【お題元】
勇者がケリーの卵焼きにケチをつけるお話。
魔王と師匠の恋愛に周囲がどう反応しているか見てみたいです。
オーダー、本当にありがとうございました。
※6/9 誤字修正しました(ご指摘ありがとうございました)