Episode01 冷めたハンバーガー
「あのさ魔王」
「何だ師匠」
「この関係、そろそろ終わりにしない?」
腕の中の師匠がこぼした一言に、私は思わず言葉を失った。
「そろそろ距離を置くべきだと思うの。私達、このままじゃ絶対ダメだと思う」
師匠を抱く腕に力を込めたが、いつもは優しく抱き返してくれる師匠の顔は酷く真剣だった。
反論は聞かないと暗に言っているのは明白で、だからこそ私は彼女の髪に顔を埋めた。
「いやだ、師匠を手ばなしたくない」
「でも私、もう無理なの」
「師匠が側にないと、私は生きていけない」
「大丈夫、今までだってちゃんと生きてきたじゃない」
「師匠と出会う前の私は生きてなどいなかった! 師匠に出会い、師匠のハンバーガーを食べたからこそ私は私として存在することが出来たのだ」
「オーバーよ」
「オーバーではなく事実だ。だから側にいてくれ、ずっと」
そう懇願すると、師匠は真剣な顔を僅かにゆるめ、私の頬に指を走らせる。
その指使いがあまりに官能的だったので、そのまま口づけをしてくれるのかと思った私は、師匠に顔を寄せる。
「……やっぱだめ」
だが師匠が行ったのは、私の頬をつねるという不思議な愛情表現だった。
「それも悪くないがキスが欲しい」
「だめ、もう甘やかさないって決めたの」
その上師匠は、一瞬の隙をついて私の腕から逃れてしまう。
「そんなに私の側がいやなのか?」
「嫌じゃないけど……、けどさすがに最近ベタベタしすぎ!」
だから距離を置きましょうという師匠。勿論反論したが、彼女は酷く頑なになっていた。
「あっちの世界から戻ってきてから、魔王ちょっとおかしいわよ」
「おかしいと言われるのは前からだ」
「頭とか性格は勿論おかしいんだけど、愛情表現もおかしくなったって言ってるの!」
どうおかしいのか尋ねようと腰を抱き寄せれば、そう言うところがおかしいと師匠が真っ赤になる。
「帰ってきた日から、ずっと私にくっついてるじゃない。朝も昼も夜も仕事中も!」
「師匠の居ない世界に長いこといたせいか、師匠を感じていないと不安になってしまうのだ」
「あんたがあっちに行ってたの、たかだか10時間くらいだったじゃない」
「私には100年に思えた」
「だからってもう1ヶ月よ! 1ヶ月ずっと抱きつきっぱなし!」
私はぬいぐるみでもお気に入りのタオルでもないと主張して、師匠は私の腕を無理張り剥がす。
勿論私は抗議しようと思ったが、師匠は華麗に無視した。
「このままじゃ普通の生活もままならないし、あんたには申し訳ないけどルールを決めたいの」
「ルール?」
「抱きついて良い回数は1日5回まで、時間は1回10秒までにしして」
足りるわけがない。もっともっと師匠を感じていなければ死んでしまう。
「今まで散々くっついてたんだから、これくらいがまんしなさい」
「無理だ」
「3回に減らすわよ」
「……じゃあ、せめて7回」
「わかった。じゃあ今からね」
と言う師匠の笑顔があまりに可愛かったので、私は思わず彼女を抱きしめそうになった。
しかしまだ朝の7時半である。ここで1回使ったら後で足りなくなってしまうかも知れない。
中途半端に腕を伸ばしたまま、硬直する私。
それをおかしそうに見つめた後、師匠は猫のようにするりと腕を抜け出てしまった。
「やっぱり死んでしまう」
かといって、スキンシップを強要して師匠に嫌われるのも嫌である。
二進も三進もいかなくなった私は、ソファーでセサミストリートを見ている我が後継者のもとへ向かった。
「チビ殿、私はどうすればいいのだろうか」
彼の横に座りそう教えを請えば、彼はただ黙って、私の膝をぽんと叩いた。
「耐えろというのか……しかしそれは酷く辛いのだ」
チビ殿は静かに頷き、そして今度は2度膝を叩いた。
励ますようなその仕草は、「あるがままを受け入れよ」と言っている。そしてたぶん、彼の声は正しいのだろう。
「チビ殿がそう言うなら、我慢しよう」
私は渋々現実を受け入れることにした。
けれどチビ殿に言われたのにもかかわらず、結局私は半日たつ前に7回を使い切ってしまった。
仕方なく、その日は夜まで師匠の代わりに師匠のハンバーガーを抱いて過ごすことにしたが、冷めたハンバーガーは師匠の温もりとはほど遠く、逆に寂しさが募っただけだった。