Episode60 またね
勇者殿の旅立ちは朝が早かったので、見送りは私と師匠の二人だけだった。
ケリーだけは誘ったが、すぐに帰ってくる奴を見送る趣味はないと言って来なかったのだ。
故に朝日に染まるダイナーの前に立つのは3人だけ。
少し寂しい気もしたが、お陰で私と師匠は時間をかけて勇者殿と抱擁を交わすことができた。
「世話になったな」
そう言う勇者殿の表情は晴れやかで、でもそれを見ていると私は何故だか不安になる。
昨夜、師匠に酷く殴られて意識を失ったとき、私はまたあの夢を見てしまったのだ。
今の勇者殿同様、夢の中の勇者殿はランボー並みに武装していた。
にも関わらず、夢の中の彼は新しい魔王に破れてしまったのだ。
それをただ見ていることしかできないのは酷く辛かった。私が本気を出せばあんな魔王などひとひねりなのにと思うのに、私は何も出来ないのだ。
「そんな顔をするな、魔王を倒したらまた戻ってくる」
隠しきれない不安を悟られ、勇者殿はそう言って微笑んだ。
「それにケリーとも約束したしな。私が見事魔王を打ち倒して帰ってきた暁には…その…」
「まさか約束取り付けたの!」
と師匠が興奮すると、勇者は10代の少女の様に頬を赤らめもじもじする。どうやら図星のようだ。
「相手があんたなのは微妙だけど、ケリーが前向きになったのは嬉しいな」
「最後まで一言余計な小娘だ」
口は悪いが、二人はそう言って微笑みあう。
その笑顔に何故だか不安が膨れあがったとき、唐突に、師匠がとんと私の肩を押した。
「じゃあ結婚祝いに、魔王を貸してあげる」
その声は師匠の物で、私は我が耳を疑った。
「貸すとはどういう事だ?」
「あんたが自分で言ったんでしょ、新しい魔王より自分の方が強いって」
言った。だが魔王に元に行くというのはつまり、私もまたこの世界を去ると言うことである。
「いいのか?」
そう尋ねた瞬間、私は今更のように、自分の胸に生まれたひとつの願いに気付いた。
無意識のうちに、私は勇者殿に同行したいと願っていたのだ。
彼の力になる。
それこそ、私が彼にできる最大の恩返しであると、多分私は心のどこかで気付いていたのだ。
「行きたいって顔してたしね」
「そうなのか?」
私も今気付いたのにと言うと、師匠が呆れた顔で笑う。
「私はあんたよりずっと、あんたの気持ちに聡いわよ」
そう言って、師匠は背伸びをして私の唇にキスしてくれる。
「今一緒に行かなかったら、きっとあんたは凄く後悔する気がするの」
「でも師匠をまた一人にしてしまうのだぞ」
「その分、昨日一緒にいて貰ったでしょ?」
「でも離ればなれになるなんて、彼氏失格だ」
「むしろここで行かなかったらそれこそ彼氏失格よ」
それにあんたは絶対帰ってくるから。
そう言って微笑む師匠の体を、私はきつく抱いた。
「至らぬ彼氏ですまない」
「至らないなんて思ってない。あんたは十分すぎるくらいよ」
「師匠も十分すぎる彼女だ」
「わかってるじゃない」
そういう師匠と深い口づけを交わし、それからもう一度私は約束する。
「どんなに遠くに行っても、必ず帰ってくる」
名犬ラッシーや3匹荒野の行くのように、最後は絶対ハッピーエンドだと言うと、師匠は笑ってくれた。
「っていうわけだから、うちの犬をよろしくね」
師匠が私の肩をもう一度押すと、勇者が目を潤ませながら頷いた。
「心得た」
そう言って勇者殿は魔石を持った腕を高く上げる。
この世界に来たときと同じように、変化は突然だった。
それに驚いていると、師匠が私と繋いでいた手を離す。
「またね」
そう言う師匠は、彼女らしい強くて優しい笑みを浮かべていた。
だから私は大きく頷いて、そして勇者殿と共に世界の狭間を飛び越える。
するとそこはもう、懐かしい魔力に満ちた別世界だった。
本当にあっけない。でも寂しさはない。
それを不思議に思いつつ、私はダイナーもルート66もない暗い荒野に目を向ける。
どうやらここは、勇者殿が住む町の近くらしい。
「……しかし、本当に良かったのか?」
今更のように尋ねられ、私は笑顔で頷く。
「もちろんだ」
彼について行くと決めたのは私だ。そして誰よりもそれを望んだのは師匠だ。
とはいえもちろん、不安がないわけではないが。
「でも、出来るだけ早く倒して帰りたい」
色々限界なのだと言うと同時に、私の腹が情けない音を立てた。
「朝食を食べたばかりだろう」
「勇者殿との別れが辛くて喉を通らなかったのだ。故に酷く空腹なので、既に胃が師匠のハンバーガーを恋しがっている」
「なら街で食堂をさがすか?」
ありがたい申し出だが、許可無く自分以外の者が作った料理を食べるなと師匠には言われている。
料理人の血筋故か、師匠はとても可愛いらしい嫉妬をするのだ。
「それよりも、街に市場があるだろうか?」
尋ねれば、丁度朝市の頃だと勇者殿が答える。
「なら魔王の城に乗り込む前に、パンと牛挽肉とタマネギとレタスとトマトとチーズとピクルスを買おう」
ついでに勇者殿の家のキッチンを貸して欲しいというと、彼は呆れ顔を笑顔に変えた。
「お前は本当にハンバーガーが好きだな」
「うむ。だから魔王討伐に向かう時は、是非おやつにハンバーガーを持って行きたい」
それさえあればきっと、私は楽勝で魔王に勝てる。
師匠の手作りでないのは残念だが、彼女に教えて貰ったハンバーガーが胃にあれば、きっと私に敵はいない。