Episode57 睡眠
最近、よく深夜に師匠が一人でベッドを抜け出す。
最初の頃はトイレが近くなったのかと思ったが、どうやら原因は悪夢らしい。
なんでも2週間ほど前から毎晩同じ悪夢を見続けているらしいのだ。お陰で睡眠時間が減り、肌が荒れると師匠は言っている。
むしろそこは悪夢を気にするところだと思うが、ホラー映画好きな所為か師匠は割と冷静だった。
その日も深夜2時過ぎに師匠はむくりと起きあがったが、悲鳴どころか冷や汗すらかいていない。
「今日も悪夢を見たのか?」
尋ねると、師匠はばつが悪そうな顔をする。
「起こしてごめん」
「かまわない。それよりも今度も同じ夢か?」
「うん。血だらけのウエディングドレスを着た女の人が、何か喋ってるのよね」
そしてその女の人とやらが立っているのはこの家の中らしい。その上彼女は、日に日にこの寝室に近づいているというのだ。
「ホラー映画は好きだけど、さすがに少し気味悪いわよね」
このまま悪いことが起きたらどうしようと言う師匠に、私が思い出したのは前に見たホラー映画だ。
こういう場合、最後は本当に幽霊が現れ、夢を見た人を殺してしまうのだ。
それは困る。非常に困る。いくら師匠でも、さすがに幽霊には勝てないはずだ。
「今日は何処に?」
「その、廊下の角の所」
もうすぐそこではないかと慌て、私は師匠を抱き寄せる。
「師匠を何としてでも守らねば」
「っていうけど、あんた幽霊苦手じゃない」
「師匠のためなら、例え相手がジェイソンさんでも戦う」
若干声が震えてしまったが、その言葉に嘘はない。
「でも戦うって言っても、どうすればいいのかしらね」
当事者でありながら妙に冷静な師匠に指摘され、私は返す言葉がなかった。
残念ながら魔王には幽霊を見る機能がない。魔剣は使役できるが悪魔のたぐいを召喚するのも無理だ。悪魔に近い容姿には変身できるのに、なんとも不便な話である。
「戦えなくてもなんとかする」
「なんとかって?」
「とりあえず原因を考えてみよう」
そうすれば解決策が見つかるかも言えば、「珍しく頭が働くわね」と師匠が褒めてくれた。
「最初に悪夢を見始めたのはいつだ?」
「2週間くらい前かしら」
「きっかけになるようなことがあったか?」
「全然」
「なにか、封印的な物を壊したとかは?」
「無いわよ。丁度グルメ番組に紹介されて忙しくなってた時だし、学校と家とダイナーの往復しかしてない」
「しかし訳もなく悪い幽霊にとりつかれるわけがない」
「でも私には心当たりないもの」
忘れているだけではと食い下がったが、師匠の機嫌が悪くなっただけで大した情報は得られなかった。
仕方なく、今度は私が2週間前のことを思い出す。
確かに師匠が何かを壊した記憶はない。
それにそもそも、師匠が人の悪意を買うようなことをしたとは思えない。魔王の私ならともかく。
そう考えてふと、今更のように自分に原因があるのではと言う考えが浮かんだ。
魔王は人から恨みを買うための存在だ。ならば同じ要領で、幽霊の恨みを買っていてもおかしくはない。
慌てて、私は2週間前の事を更に詳しく思い出そうとした。
しかし師匠同様、私もダイナーの仕事が忙しくロクに出かけていなかった。
唯一街に出たのは、師匠に指輪を買ったあの1回くらいのものだ。
「あの日も、指輪を買っただけですぐダイナーに戻ったしな」
その間に猫でもひいてしまったのかと考えた瞬間、師匠が自分の薬指に目を落とした。
師匠の視線の先にあるのは、もちろん私が買った指輪である。
師匠はそれが気に入ったらしく、昼間は勿論夜寝るときもはめているのだ。
また友達や店の客にもよく自慢しており、何故だかそのたびにおめでとうと言われるので、師匠は更に喜んでいたのだ。
だがいつもは指輪をうっとりと見つめるその目が、今日はどことなく不安に揺れている。
「そう言えば、夢うつつに何かをかえせとか言われてた気が……。いや、でも、そんな映画みたいな事……でも魔王が買った物ならもしかして……」
となにやら一人会議を始めた師匠を眺めていたら、不意に師匠が指輪のはまった左手を私の前に突き出した。
「この指輪、ちゃんとしたお店で買ったのよね?」
「店というか露天商だ。ちゃんとしている、とは言い難いかもしれない」
むしろどちらかと言えば怪しい黒人が売っていたというと、なぜだか師匠の顔が青ざめた。
「もしかして、買うとき何か言われなかった?」
「気を付けて、と帰りの心配をされた」
直後、私はベッドから派手に落ちた。むろん、殴り飛ばされたからである。
「何でよりにもよって呪いの指輪を買ってくる!」
呪いの指輪とは何だとウッカリ質問してしまったお陰で、その晩は師匠のホラー映画コレクションのなかでも特に怖い、ジャパニーズホラーの映画を見せられた。
それは恨みの籠もった指輪を買ってしまった女性が、死んだ前の持ち主に理由無く追いかけられ、ついには死んでしまうという内容だった。
「なるほど、この指輪は映画の中に出てきた物と同じなのだな」
スタッフロールを見ながらそう言えば、師匠は泣きそうな顔で明日返しに行こうと言った。
言われるがまま指輪を怪しい露天商に返せば、それ以来師匠の悪夢はピタリと止んだという。
それに私は喜んだが、残念ながら問題は終わっていなかった。
悪夢を見ていた頃より、目に見えて師匠の元気がなくなったのだ。
それが気になって観察していると、師匠は良く指輪がはまっていた薬指をいじっている。
そして時折手をかかげ、大きなため息をつくのだ。
馬鹿だ馬鹿だと言われている私でも、さすがに師匠のため息の理由はわかる。
「師匠、もしかしてあの指輪が恋しいのか?」
ある晩指を撫でている師匠に声を掛けると、彼女はばつの悪そうな顔をする。
「よかったらまた贈らせてくれ。今は小遣いが足りないが、お金が貯まったらまた薬指にはめる物を買おう」
「もう良いのよ」
「でも今度は普通の、幽霊が憑いてないのをちゃんと選ぶ」
我ながら良いアイディアだと思ったが、師匠は喜んではくれなかった。
「本当にいらないの。そもそも、私はあんたから指輪なんて貰っちゃいけなかったの」
「どうしてだ? 私は師匠に喜んで貰いたくて買った物だ。師匠が付けずに誰が付ける」
「普通の指輪なら別に良いのよ。でも、薬指にはめるペアリングって特別な物だから」
そうして、師匠はペアで付ける指輪の意味を私に教えてくれた。
「恋人同士が、つけるのか……」
「うん。こういうのは、ちゃんと思いが通じ合った相手同士しか付けちゃいけないの」
だけど貰えたのが嬉しかったから、外したくなかったからそれを言えなかったと師匠は言う。
「私達は、思いが通じ合っていないのか?」
「同じ指輪を着けるにはまだ足りないのよ、だから本当の持ち主が返せって言いに来ちゃったのね」
そう言われると何故かとても切なくて、でもどうすれば通じ合えるのか私にはわからなかった。
その上私は、今更のように師匠と思いを通じ合わせることが酷く困難である事に気付く。
魔王は元々人の恨みを集めるために生み出された物だ。故に人と思いを通じ合わせるような機能はない。
それはつまり私と師匠は一生思いが通じ合えないと言うことだ。
そこまで理解して、そして私は今更のように自分の願いに気付いてしまった。
私はきっと、師匠の恋人になりたかったのだ。
ずっと一緒にいることは他人でもできるかもしれない。
でも私が欲しいのは師匠に最も近しい場所なのだ。恋人だけが手に出来る、師匠を独占できる場所なのだ。
けれどそれは、私には決して手に出来ない場所でもある。恋人となるための大事な物が、私にはないのだから。
「だから指輪は我慢するわ」
しかし師匠にそう言われると、私の方が我慢がならなくなってしまう。
恋人にもなれないということは、きっと本当の家族にもなれない。
それを知ってしまったのに、私は師匠を手放せそうもないのだ。
「私は本当に悪い魔王になってしまったのかも知れない」
思わず師匠を抱き寄せると、師匠は酷く驚いていた。だが手放せない。手放したくない。
「思いが通じ合えないのに。彼氏にもなれないのに私は師匠が欲しいのだ」
そう言うと師匠が真っ赤になってうつむく。
「彼氏でもないのに誰にも渡したくない。家族になりたいしキスもしたいしずっとこうしていたい」
それにはどうすればいいと縋る思いで尋ねると、師匠が彼女らしい凛々しい顔で私を見上げた。
「あんたがしたいようにすればいい」
「だが私がしたいことは……」
「あんたは通じ合えないって言うけど、私がして欲しいことは全部あんたがしたいことだから」
そんな奇跡のようなことがあるのかと尋ねると、師匠はあるのだと言い切る。
「それにやっぱり、幽霊付きじゃなかったら指輪もちゃんと受け取るから」
「通じ合っていなくても良いのか?」
「あんたがあげたいって思って、私が欲しいって言ったらそれは通じ合ってるって事でしょ?」
「うむ」
「それで、あんたは指輪を贈りたいの?」
「師匠は欲しいか?」
お互いの問いかけに私達は同時に頷いた。
「通じ合うというのは意外と簡単だな」
ホッとしたと言えば、師匠が私の頭を撫でてくれる。
「とにかく、思ったことは言葉にしてみなさい。あんた馬鹿だから、恋やら精神論やらを説明してもわからないだろうし」
確かに難しいことを理解するのが私は苦手だ。
特に恋愛や心のやり取りについてはチャーリーから色々と言われたが、未だによくわからない。
「だからとにかく考えたことは言葉にして。そうすれば数学の答え合わせみたいに、思いを確認できるでしょ?」
確かにそれは良い考えだと頷くと、師匠も微笑む。
「心のない魔王と通じ合うなんて、やっぱり師匠はただ者ではないな」
そしてきっと私はそう言うところがたまらなく好きなのだ。
「師匠」
「なに?」
「例え通じ合えなくても、愛している」
「言えとは言ったけど、これは少し恥ずかしいかも……」
そう言って赤くなった師匠を見ていると、私は更に愛していると連呼したい気持ちになった。
「師匠、あと3万回くらい愛してると言いたいんだがいいだろうか」
「また睡眠不足になるから、10回くらいにして」
「20回は?」
「……じゃあ15回」
15回、師匠にしっかり届くように愛しいていると告げた。
だが翌日、睡眠不足になるからという理由で、寝る前に言って良い愛してるの回数は10回までと師匠に決められてしまった。
私にとってそれは安眠の呪文だが、師匠に取っては悪夢以上に睡眠の妨げになるらしい。
※1/27誤字修正しました(ご指摘ありがとうございます)