Episode55 我慢
「なんか、久しぶりに二人っきりだね」
そう言う師匠は酷く嬉しそうに、私が作ったケーキを食べていた。
今夜、勇者殿はケリーとディナーに出かけたので家にいないのだ。
最近師匠は勇者殿と良く一緒にいるので寂しがるかと思ったが、私と二人でもとても楽しそうなので何よりである。
「確かに、こうして食事をするのも久しいな」
「あの勇者、味にうるさくて文句ばっかりだから、静かな食事が恋しかったのよね」
「文句は言うが、別に師匠の料理が嫌いなわけではないと思うぞ。いつも完食していたし」
「わかってるわよ。そう言うところはある意味可愛し、嫌いじゃない」
そう言ってケーキを咀嚼する師匠。
その口の箸にクリームが付いているのに気付き、私はそれを指で拭った。
勿体ないのでそれをなめ取ると、師匠がフォークを加えたまま不自然に下を向く。
「どうした? 味がおかしかったか?」
「ううん、なんかその、久しぶりに二人だと意識しちゃうって言うか」
「意識?」
何でもないと呟いて、師匠はケーキの載った皿をテーブルに置く。
「ごめん、おなか一杯だからもういいや」
「やはり味がおかしかったのか? すまない、すぐ作り直す!」
「違うわよ」
「だが師匠が何でもないと言うときは、何かを我慢しているときだ」
そしてその台詞は日増しに増えており、私はずっと気がかりだったのだ。
「何でもないと言われるたび、私はふがいないのだ。師匠に何かを我慢させてしまうほど、私は頼りないか?」
頼りないとかそう言う事じゃないと師匠は言葉を濁すが、今日こそはその先を続けて貰いたかった。
故に私は背後から師匠を抱きかかえ、ソファーへと魔法で転移する。さすがの師匠も、背後から拘束されては逃げられまい。
「何でもないを撤回するまで、今夜は離さない」
師匠は暴れたが、今日だけは、今日こそは聞き出すと決意したのだ。
私だって魔王だ。たまには魔王らしく、我を通すこともある。
「さあ教えてくれ、師匠は何を我慢している!」
「我慢何てしてない!」
「ならば私の目を見てくれ」
そう告げれば、師匠はやはり目をそらした。
「…なら、今夜は離さない」
「それは困る!」
「なら教えてくれ」
「それもダメ!」
「何故だ!」
思わず悪い魔王でいたときのような声で怒鳴れば、師匠の体がびくりと震える。
やりすぎたと思ったがもう遅い。
彼女だけは怖がらせたくないと思い続けてきたのに、師匠の目に私への恐怖がはっきりと映っている。
「すまない、師匠を怖がらせるつもりはなかったのだ! ただ、私は……」
慌てて弁解しようとしたが、動揺のあまり上手いこと声が出てこない。
そんなとき、落ち着けと言うように私の頭を撫でてくれたのは、他ならぬ師匠だった。
「怖いんじゃなくて、好きなの」
そう言う師匠の目に恐怖が無いことに安堵し。
それから今更のように、私は師匠の言葉にはっとした。
「今何と?」
「好きなの」
あんたが。
そう言われた直後、私は師匠に殴られたかのような錯覚を覚えた。
しかし師匠は私の腕の中で、体を小さくしたままだ。
「あんたにそう言う気持ちが無いのわかってたのに、一緒にいると嫌でも色々期待しちゃって……。でもそれが上手く隠せなくて……」
「何故隠すのだ。私も師匠が好きだぞ」
「私の好きとあんたの好きは違う」
「好きでも種類があるのか?」
尋ねると、師匠は呆れと困惑が混ざった顔で私を見つめる。
「何て言うか、私の好きはあんたのより重いの」
それが何故問題なのか、私には理解できない。
「重くても私ならば持てる。私は魔王だ!」
「魔王でも持てないくらい重いの。だからこれは我慢しなきゃいけないし、あんたが苦労するくらいなら、私は我慢できることなの」
師匠はそう言うが、その顔はやっぱり辛そうだった。
やはり私は師匠が我慢することに我慢が出来ない。
だから人から空っぽだと言われる頭を必死に働かせ、5分ほど悩んでようやくひとつの案を思いついた。
「なら半分だけ持たせてくれ」
師匠に理解して貰えるように、私は必死に言葉を選ぶ。
「一人で持てないなら、二人で持てばいい。重い物ならなおさら、師匠一人に持たせるわけにはいかないからな」
「本気で言ってる?」
本気だと主張したが、師匠はまだ信じていないようだった。
「凄く凄く重い物よ。気の良いあんたが呆れるくらい」
「師匠の気持ちなら、例え重い物でも私は持っていたい」
むしろ欲しいと言った瞬間、突然師匠が私をきつく抱きしめた。
「こっこれは許可の抱擁か?」
「多分あんたは何もわかってないけど、私もう我慢できないかも……」
どういう意味かと尋ねようとすると、師匠が小声で「もう限界」と呟いた。
「それは大変だ。やはり我慢は良くない!」
そう主張すると、師匠が私の腕の中で顔を上げる。
その顔を見た途端、私はジェイソンさんを初めて見たとき以上の鳥肌が立つのを感じた。
しかし怖いのではない、むしろ息をのむほど師匠は美しい。
なのに私の体は、何故だか震えそうになっていた。
「わかった、もう我慢しない」
そう言うやいなや、師匠が突然舌を使うキスをしてきたので、私は更に慌てた。
最近、私は師匠のキスに抵抗できないのだ。
いや抵抗はしているというか、舌で応戦はできるのだが、そうすると師匠の息が上がるほどキスの時間が長くなってしまうのだ。
けれどそれで良いと師匠は言う。その上、気がつけば何故かシャツのボタンが外されていた。
「おっ重いというか激しいな」
「今更撤回しても遅いから」
「師匠から貰った物を返すつもりはない」
そう答えると、師匠が私をソファーに押し倒した。
師匠に上に乗られると、なんだか体が熱くなって気が遠くなる。
だが今日ばかりは気絶してはいけない気がして、私は必死に意識を保つ。
しかし次の瞬間、師匠の体が唐突に離れ、同時に彼女の悲鳴が響いた。
何事かと起きあがったが驚くことはない。
ただ、ケリーと勇者殿が戸口に立っているだけである。
「ああ、おかえり」
「おかえりではない! 貴様何をしている」
何と言われてもこれはなんと言えばいいのだろ言う。
キスとプロレスの合わせ技としか形容できないがそれもまた違う気もする。
そうして悩んでいると勇者殿の機嫌が悪くなってしまったが、そこはケリーがなだめてくれた。
「あいつがじゃない。押し倒したのは、この子の方だよ」
確かにその通りなので同意すれば、勇者は困った顔でもじもじしている。
「この世界の娘は激しいな」
「良くあることさ」
そう言うと、ケリーは勇者の体をくるりと反転させる。
「あんた今夜はうちに泊まりな」
「あっ貴方も激しいたちか!」
「うちに来ればわかるよ」
それから師匠と私に「ごゆっくり」と告げて、ケリーと勇者は家を出て行った。
残された私と師匠は無言で5分ほど過ごし、それから師匠が私のシャツのボタンをとめた。
「脱がなくて良いのか?」
「なんか萎えた」
と言ってソファーで膝を抱える師匠は、幼い子どものようなふくれ面をしている。
「とりあえず、ケーキの残りでも食べるか?」
尋ねると、師匠は食べると頷く。
「よくよく考えたら、食後に魔王は重すぎる」
「もしかして私を食べる気になったのか?」
喜び勇んで心臓を取り出そうとすれば、「それよりケーキ!」と師匠が怒鳴る。
私の心臓よりケーキが良いというのはちょっと傷ついたが、師匠の機嫌がこれ以上悪くなると困るので、私は急いで台所に駆け込んだ。