AnotherEpisode5 「これって正当防衛だから罪にならないよね?」
Episode50.5 師匠視点
勇者。
その名前は魔王から何度も聞いていた。
魔王を倒す者。世界の救世主。平和の使者。
そう語られるたびに、私は怖かった。魔王はこんなにバカで、アホで、優しいのに、少なくとも彼の世界では悪い奴で、そしてこの勇者に殺されたのだ。
多分彼がいなくなったら、私は一人では生きていけない。彼は気付いていないかも知れないが、それほどまでに私にとって魔王の存在は大きいのだ。
だからもし勇者が現れたらと考え、眠れない夜さえあった。
……なのに。
「縄をほどけ魔王の手先よ! わしを誰だと心得る、メルトキオの第56代救世主にして、伝説の勇者なのだぞ!」
ずっと恐ろしいと思っていたそれは、魔王同様頭のネジが緩んだ汚いじいさんだった。
「魔王、やっぱり警察に引き渡そうよ」
「しかし勇者が魔王を斬りつけるのは当たり前のこと、罪ではない」
「あんたの世界じゃそうかも知れないけど、ここでは罪のない人を傷つけちゃダメなの」
「私は罪人だ」
「ここでは悪いことはして無いじゃない」
「存在その物が罪なのだ」
「それもあんたの世界での話でしょ。この世界じゃ命は皆平等、良い存在も悪い存在もない」
私の言葉に不思議そうな顔をしていたのは、魔王だけではなかった。
「魔王の存在を許す世界か……実に興味深いな」
「っていうか、そもそも魔王なんていないのここじゃ」
魔法も何もないと説明すれば、じいさん合点がいったという顔で頷く。
「通りでこの世界には魔法を使わない兵器が沢山あるわけだ」
まるでこの世界を知った風だったのが気になって、私は勇者の襟首を掴む。後で絶対手を洗わないと。
「あんた本当に勇者なの? 自分を勇者だと思っている頭のおかしなじいさんってことない?」
「失敬な!私はメルトキオの……」
「それはもういい」
「信じていないな娘よ!」
信じろと言う方が難しい。だって魔王が語った勇者は、こんな頭が固そうなじいさんではなかった。
「ならば我が力、特と見るがよい」
唐突に、じいさんの表情が変わった。
同時になにやら訳のわからない言葉を叫ぶと、じいさんの少ない髪の毛がふわりと浮き上がり、天に向かって逆立つ。
こういう、髪の毛が逆立つ日本のアニメを見たことがあるなと場違いな事を考えていたとき、あの貧相なじいさんが、体を縛る縄を引きちぎった。
たしかに、これは凄いかも知れない。
「驚くのはまだ早い。さあ伝説の聖剣よ、我が元にきたれ!」
以前魔王が魔剣を呼び出したときのように、じいさんの手に現れる聖剣。その途端、魔王が苦しそうに胸を押さえた。
「どうしたの!」
「アレは我が命を絶つ唯一の聖剣。側にあるだけで命を吸い取られるのだ」
それは困る。魔王には、まだ死んで欲しくない。
「今度こそ、貴様を殺してやろう!」
だが幸運なことに、このじいさんはひとつのことに集中すると周りが見えなくなるらしい。
私は念のため側に置いておいたフライパンを手に取り、じいさんの後ろへと回り込む。
「ていっ!」
あっけなく、あまりにあっけなくじいさんの頭にフライパンが直撃した。
先ほどより若干強く叩いたせいか、フライパンには少し血が付いていた。
「勇者殿、生きておられるか?」
殺されかけたというのに、人が良い魔王は勇者を心配そうにゆすっている。
しかし勇者からの返事がない。これは屍になってしまったかもしれない。
「これって正当防衛だから罪にならないよね?」
さすがに牢屋には入りたくないなと思っていると、勇者が僅かに動いた。
「大丈夫そうだが、病院に連れて行った方が良いかも知れない」
「そうね。でもちょっと待って」
じいさんの手にある聖剣を取り、私はそれを肩に担ぐ。
「魔王を唯一殺せる剣、そう言ったわね」
「これだけが我が命を絶てる」
「なら、これは処分しないと」
怪訝な顔をする魔王の前で、私は剣を持って店の前にある大きな岩の前に立った。
「師匠、何をするつもりだ?」
「剣って意外と折れやすいって世界史の先生が言ってたの」
岩に刃を叩き付けると、伝説の聖剣はあまりにあっけなくぽっきり折れた。
その途端、青ざめていた魔王の顔がいつもの色に戻る。
「聖剣を折るとは、師匠はやはりただ者ではないな」
「たかが剣じゃない。でも念のため、これもとかした方が良いかしら」
「既に魔力はない、それはタダの剣だ」
「なら穴掘って埋めておいて」
「しかし勇者殿が酷く落胆するのではないか? それに土の中でずっと過ごすの可哀想だ」
聖剣にまで同情する魔王を見ていると、やはり彼が悪人には見えない。
勿論目からビームが出たり、変な魔法を使うのは普通ではないが、普通でないことを悪というならあのじいさんだって十分悪人だ。
「ねえ魔王…」
「どうしたのだ改まって」
「何で魔王は、魔王なの?」
その質問は、今までに何度も聞こうとした物。
けれど彼の事を深く知ったら、お互いの間に大きな溝が出来てしまう気がして、私はずっとその質問を飲み込み続けてきたのだ。
「もちろん、魔王として生まれたからだ」
しかし私の覚悟に対して、その回答はあまりに間抜けだった。
「あんたねぇ!」
「だって私は生まれたときから魔王なのだ。故に魔王であることを疑問に思ったことがなく、誰かに何故と尋ねたこともなかったから、どう答えて良いかわからない」
「生まれたときから魔王って、つまり赤ちゃんの時からって事?」
「いや私に幼少期はない。先代の魔王が勇者に倒された時、私はその模造品として製造された」
王とつくくらいだから、血筋的な関係で魔王をやっているのかと思ったが、どうやら事情は少し複雑らしい。
しかし幼少期がないというのはなんだか納得がいった。
多分魔王は見た目よりも年を重ねていない。頭が空っぽだったり子どもっぽかったりするのは、きっとその所為だろう。
「親から位を受け継ぐとか、そう言う事じゃないのね」
「魔王は消耗品だからな。子をなす前に勇者に倒されることが多く、その血筋はずいぶん前に途絶えてしまっている。けれど私達の世界は憎しみを糧に回っているらしく、人々の憎しみを産む魔王は無くてはならないらしい」
「だから作られたって事?」
「そうだ。魔王が人々の憎しみを生み、憎しみが多くの……何千万という勇者を生む。その勇者の活動を支えるために職が生まれ、そうして人々の社会は回っていると私を生み出した者達は言っていた」
それはたぶん、戦争をすると社会が潤うのと同じような原理なのだろう。
しかし残念ながら、私は社会や政治経済の授業は常に赤点。魔王の言葉から彼の世界の詳細を想像するだけの知恵を持たない。
だがそれでも彼の世界が歪んでいることは何となくわかる。
そしてそんな歪んだ世界に生まれ、それを疑問に思う間もなく死んだ魔王が、私は哀れでならなかった。
だから今度は、この世界では、勇者なんかに殺させたくない。
「安心して。あんたはもう魔王じゃなくてうちの店員、理不尽な理由で殺されたりはしないから」
決意を言葉にしながら魔王を見つめると、彼は魔王らしからぬ暖かい笑顔を私に向けた。
「殺される理由は、師匠がへし折ってしまったしな」
そう言って魔王が拾い上げたのは聖剣だ。
「しかし見事に折れたな」
「安心した?」
「心配している。勇者殿が落ち込まないかと」
本当に人が良すぎる。
でもだからこそ、私は彼が好きなのだろう。
目からビームを出したり羽が生えたりした時点でおかしいとは思っていたが、正直製造されたと言う言葉は衝撃だった。
けれどこの笑顔を見ているとそんなことはどうでも良くなる。
だって私を救ってくれたのは、この間の抜けた笑顔に他ならないのだから。
「そんなに気になるなら直してあげれば? 中にガムテープあるし」
そうすれば腰には差せるというと、魔王は良いアイディアだと笑って店に戻っていく。
冗談のつもりだったし、たぶんガムテープの巻かれた剣を渡された方がじいさんは傷つくと思ったが、あえて私は止めなかった。
私の今までの不安と、そして魔王の一生を思えば、それくらいの嫌がらせは当然だ。
「師匠、ガムテープが見つからないのだが何処にあるのだ」
そう言って手を振る魔王に苦笑して、私は店へと戻る。
ふと店内を見回すと、相変わらず勇者は死んだままだった。
そう言えば魔王は無一文だったが、この人お金を持っているのだろうか。
保険に入っているとは到底思えないし、怪我は思いの外大きそうなので治療費も高くつくだろう。
いっそ殺しておいた方が楽だったかも知れない。
そう思う自分の方がよっぽど悪人だと思いつつ、私は治療費を確保するためレジスターを開けた。