Episode34 掛け声
「はけよーいのこたー、とはどういう意味だ?」
「とりあえず人間の言葉で話して」
師匠はそう指摘するが、これは歴とした人間の言葉である。
「テレビで見たのだ、太った男達がそう掛け声をかけながらタックルしているのを」
「太った男…」
「スポーツだとアンソニーが言っていたな」
「誰よアンソニーって」
「テレビの中にいる眼鏡の男だ」
「ああ、今朝のニュース番組の奴ね。アレは日本って国の相撲ってスポーツよ」
「すもう? にほん?」
「相撲は私も良く知らない。日本って言うのは地球の反対側にある島国よ」
「ちきゅう」
「仕事の合間に、色々教えてあげる」
その日の夜、客が途絶えたダイナーのボックス席に師匠は大きな地図を広げた。
「私達がいるのはここ、アメリカ。相撲があるのはこの小さな島国」
「日本か」
「この地図は平らだけど、私達が住んでいるのは大きな球体の上なの。これを地球って呼ぶのよ」
「丸の上と言うことは、この世界は繋がっているのか」
「そうよ。海や陸で繋がった大きな世界にたくさんの国があって、たくさんの人が住んでいるの」
「それは凄いな」
「でも本当に大きな球体だから、場所によって言葉や文化、住む人の姿は全然違う」
「私みたいな物もいるのか?」
「それはいないわね」
わかりきっていたことなのに、何故だか落胆してしまう。
そもそもこの世界は命ある者の世界。私のような存在があるわけがない。
むしろ、私のような者が存在すべきではないのかも知れない。
「でも多種多様な人間が集まってる星だから、あんたみたいのがいても全然平気よ」
落胆した私を救ってくれたのは、師匠の微笑みだった。
まるで私の考えを見透かしたように、大丈夫だと彼女は言ってくれた。
「あんたが思う以上に、色々な人や生き物がいるんだから」
「例えばどんな人がいるのだろうか」
「相撲がある日本では、刀って武器をさした侍とか忍者って言う暗殺者がいるらしいわ」
「怖いな」
「あと、この前見たホラー映画の……テレビから出てくる女の人はここ出身」
「…私は、日本には行きたくない」
「あと中国はね…」
そこで言葉を切り師匠は少しばかり考え込む。
「……キョンシーがいるわ」
「キョンシーは人間か?」
元人間だから似たような者だと師匠は言う。
「あとルーマニアにはドラキュラ伯爵でしょ。フランスはオペラ座の怪人、切り裂きジャックはイギリス人で、エジプトにはミイラ、ブラジルには大アマゾンの半魚人がいるわ」
「……世界は、モンスターだらけだな」
「私世界史とか地理の授業サボってたから、この手の有名人しかわかんないのよね」
といいつつ師匠は何気なく、我々が住む場所からほど近い州を指さした。
「あと、テキサスにはレザーフェイスかしら」
「彼のチェーンソーも怖い……。アメリカはすごく危険だな」
「たしかに、モンスターは凄く多いわね。だからほら、あんたがいても全然大丈夫よ」
師匠は私を元気づけようとしたようだが、その後も立て続けにモンスターの名前を列挙する師匠に、私は恐怖で身動きが取れなくなった。
結局この日、あまりの恐怖に私は仕事がままならなくなり、翌朝まで師匠の腕を放せなくなった。