AnotherEpisode 産声
今日はとても嬉しい日のハズなのに、朝からずっと兄さんは青い顔でハンバーガーばかり焼いていた。
「やはり、今からでも病院に行くべきだろうか……しかし師匠には来るなと言われているし……だが……うむ……うう……」
ダイナーの厨房に立っているのは兄さんだけだから、無駄に右往左往しても、しゃがみ込んでも、バンズをまっくろ焦げにしても、注意する人は居ない。
お客はもちろんお姉ちゃんも居ないのは、今日が彼女の出産予定日だからで、兄さんが動揺しすぎているのもそれが理由だ。
【そんなに不安にならなくても、無事生まれるよ】
だから姉さんに変わってボクが兄さんに思念を送ると、彼はようやく我に返る。
驚いた顔でこちらを振り返る姿をどこか間が抜けていて、ボクがいるのにも気づいてなかったみたいだ。
【夢で見たんだ。赤ちゃんはみえなかったけど、二人は幸せそうだったよ】
「チビ殿の予知夢か?」
【うん。兄さん大喜びしていたし、きっと大丈夫だよ】
「そうか、チビ殿が言うなら、安心できそうだ」
【だからもうハンバーガーを作るのはそれくらいにしたら?】
「しかし、生まれたら食べたいと師匠に言われたのだ」
【さすがのお姉ちゃんも20個は食べられないと思う】
それに出産は体力を使うと本で読んだから、ハンバーガーよりシェイクとかの方がいんじゃないかなとボクは思う。
【ともかく、落ち着いて待ってようよ。今の兄さん、慌てすぎて目からビームとか出そう】
「そ、そんなにか?」
【うん、だからとにかく落ち着いて】
兄さんの腕を引いて、ボクは彼を窓際のボックス席に座らせる。
あえてそうしたわけじゃ無いけれど、兄さんを座らせた席は、2年前ボクが初めてこの世界に来たときに彼が座らせてくれた席だ。
そこに兄さんと二人座っていると、なんだかひどく懐かしい気持ちになる。
初めて来たときはこの世界について右も左も分からなかったけれど、今はもう随分となれたし、ダイナーのことやハンバーガーのことについても随分と詳しくなった。
もちろんこの世界のことも色々学んだし、お姉ちゃんいわく兄さんよりボクの方がずっとこの世界の適応できているらしい。
【とりあえず、これ食べて落ち着いて】
一緒に持ってきたハンバーガーとシェイクを兄さんの前に置くと、彼はおずおずとそれに手を伸ばす。
【本当に大丈夫だから、ほら、角もしまって」
「すまない、動揺で化身の術が安定しないようなのだ」
でもチビ殿の夢の話を聞いて、少しは安心したと言いながら、兄さんはハンバーガーを頬張る。
けどその姿を見て、ボクは少しだけ、不安になる。
ボクはことあるごとに未来を夢で見るのだけれど、今日の日のことは途切れ途切れにしか見たことが無い。
そして兄さんたちが幸せそうなのは何度も見たけれど、一方でボクは夢の中でいつも泣いていた。
夢の中のボクがどんな気持ちでいるのかは分からないけれど、泣いているということはきっと悲し事があったに違いない。
そしてお姉ちゃんと生まれてくる赤ちゃんのことを思うと、何となく、その涙の理由は分かる気がする。
たぶん、ボクが泣いていたのは、寂しいからだ。
ボクがこの世界に来たとき、兄さんはボクに自分たちの子供にならないかと言ってくれた。
どうしても結婚したい人が居て、そのためには自分の子供が必要だからとボクの手を引いてくれたのだ。
でもボクは兄さんの本当の子供ではないし、どちらかと言えば弟に近い。
だから二人に本物の子供が出来たら、ここに居る理由が無くなってしまう。
もちろん二人はボクを追い出したりはしないだろうけど、本物の家族の邪魔になってしまうんじゃないかって気持ちは消えない。
だからきっと、ボクは赤ちゃんを前にひとりだけ泣いていたんだろうと思う。
「……あっ!」
そのとき突然、兄さんがほっぺにケチャップをつけたまま立ち上がった。
そして次の瞬間、ボク達の周りの景色がぐるりと歪む。
「師匠!!」
そう言って兄さんがかけだしたのは、見覚えのある病院の廊下だった。
たぶんここはお姉ちゃんが入院している病院で、兄さんは赤ちゃんが生まれたのを感じ取って魔法で転移したのだろう。
確かに、ボク達とそっくりな魔力が、側の部屋の中から暖かく流れてくる。
同時に兄さんが喜ぶ声が聞こえたけれど、ボクの心はずんと沈んでしまう。
凄く嬉しいはずのことなのに、寂しい気持ちがこみ上げて、足も動かない。
それどころか、楽しげな声に僅かな苛立ちまで感じてしまい、ボクは慌てて胸の内にに芽生えた黒い感情を押さえ込んだ。
赤ちゃんができたとわかってからずっと、二人が今日を楽しみにしていたのを知っていたのに、それを喜べないなんてやっぱり自分は悪い魔王なのだなと思う。
「ちび―、おいでー」
そんなとき、部屋の中からお姉ちゃんの声が聞こえた。
それを無視することはできなくて、ボクはそっと部屋の中を覗き込む。
こちらからはみえないけれど、赤ちゃんは兄さんがだっこしているらしい。
そしてお姉ちゃんは少し疲れた顔で、ボクにおいでと手を振る。
手招きにつられて側に行くと、お姉ちゃんは凄く嬉しそうにボクに微笑みかけてくれた。
「妹こと、だっこしてあげて」
【えっ、妹……?】
その言葉が良く理解できなくて、スケッチブックに書いた字が少し震えた。
そんなボクの手からお姉ちゃんがスケッチブックを奪うと、兄さんがボクの側に膝をつく。
「今日からは、チビ殿が『お兄ちゃん』だな」
【ボクがお兄ちゃんで良いの……?】
「なぜ駄目なのだ? チビ殿は我が家の長男だから、弟では変だろう?」
そう言って兄さんは、ボクの腕に妹を抱かせてくれる。
思っていたよりすごく軽くてびっくりしたけれど、彼女は今まで見たどんな赤ちゃんより可愛かった。
いやもしかしたら、今まで見たどんな物よりも可愛くて素敵かも知れない。
小さな手でボクの角に触れて、きゃっきゃと笑う姿に、ボクは嬉しいのに目の奥が熱くなる。
「それで、名前はきめてくれたの?」
「決めたはずだったのだが、師匠が心配でうっかり決めた名前を忘れてしまった……」
「まあ、そんな事だろうと思ってったわ」
お姉ちゃんの呆れた声に、兄さんがすまないと項垂れる。
でもボクは、妹の顔を見た時からもう、彼女の名前が分かっていた。
「この子は、アリスっていうんだ」
それを二人に教えたくて顔を上げると、何故か二人とも驚いた顔でボクを見ている。
お姉ちゃんは、驚いた上に、何故か少し泣きそうになっている。
どうしたのか尋ねようとして、ボクは自分の喉が震えていることに気がついた。
何故だろうと首をかしげていると、お姉ちゃんが赤ちゃんとボクをいっぺんに抱きしめる。
「チビの声、すっごく素敵ね」
「あっ、ボク……」
「その声で、もっと名前呼んであげて」
お姉ちゃんの声に、ボクは腕の中の妹に目を向ける。
すると不思議と、身体が温かくなって、ボクの口からは自然と声がこぼれる。
何度も何度もアリスって名前を呼びながら、ボクは自分が普通にしゃべっていることに驚いていた。
だってボクの声は、人を殺すためにあるって昔言われたからだ。
だからずっと、誰も傷つけないように声を出さないようにしていたのに、妹が……アリスが笑った瞬間、ボクは彼女の名前を呼ばずにいられなかった。
そしてボクの声は前と違って前々怖くない。お兄ちゃんって感じが凄くして、もう誰も殺したりはしないって自然と思えた。
「でもどうしてアリスなの? それって、私とちょっと似てない?」
「だっこした瞬間、二人がそう呼ぶのがみえたよ? お姉ちゃんと同じくらい愛おしいからって、アイリスからひと文字取って『アリス』なんだって」
「そうだ! ハンバーガーを焼きながら考えていたのはその名前だ!」
チビ殿ありがとうと今度は兄さんにもぎゅっとされると、何だか凄く照れくさい。
そうやって四人で笑ったり抱き合ったりしていると、びっくりするくらい幸せで、ボクはアリスを抱きながら泣いていた。
「おっ、さすがのお前もやっぱり感動してんのか?」
泣いていると、親友の声が突然うしろから聞こえる。
振り返るとそこに居たのはアルファだ。その更に後ろにはチャーリーやおじいちゃんやおばあちゃん、それに魔剣と聖剣の二人も立っている。たぶん兄さんが、ボクらと一緒に魔法で呼び出したんだろう。
「うおおお、すげぇ可愛い!」
一番興奮してたのは、チャーリーだ。
そしてアリスも、チャーリーを見て何だか凄くびっくりしていた。
アリスの気持ちはつたなくて、ボクの魔法でも上手く読めないけれど、「好き!!!」って気持ちだけは伝わってくる。
「アリス、チャーリーに一目惚れしたみたい」
「えっ、よりにもよって?」
お姉ちゃんの言葉に、チャーリーが複雑そうな顔をする。
「そう言うな師匠。チャーリーほどの男なら、アリスを託してもいいではないか」
「気が早いし、物わかり良すぎよ。普通、父親の方が嫌がるのに」
「確かに寂しい気持ちはあるが、娘の幸せが一番だ」
と言うことで娘を託すと言われ、チャーリーはすごくびっくりしていた。でもアリスは嬉しそうだった。
魔王の血を引いているだけ合って、アリスは普通の赤ちゃんより、ずっと頭が良くて、周りの言葉が分かるみたいだ。
「喜んで良いのかな……俺……」
ぽつりとチャーリーが零したとき、すこしおくれてお店の常連さんのスティーブが入ってくる。
「悪い、カメラ探してたらおくれた!」
「おおっ、待っていたぞスティーブ!」
スティーブが呼ばれたのは、今日この瞬間を写真におさめようと考えた兄さんの考えらしい。
そういえば前に、「私に写真の撮り方を教えてくれた先生なのだ」とかいってたっけ。
「よし、それじゃあみんなで撮るぞ!」
集まれと言うスティーブの声で、ボクはアリスを抱いたまま真ん中に立つ。
お姉ちゃんに返さなきゃって思ったけど、「これからはお兄ちゃんが面倒見てあげてね」って言われたから、もうちょっとだけだっこさせて貰うことにした。
「よしっ、みんな笑えよ!」
タイマーをセットしたカメラが、壁際に置かれた棚の上でぴかぴか光る。
それを見ながら、ボクも、兄さんも、お姉ちゃんも、アリスも、みんなも、一緒に笑顔になった。
小さな箱に笑って、みんなで同じ表情を浮かべていると、ボクの改めて一人じゃないんだって思うことが出来た。
ボクはまだ、寂しいと黒いことを考えてしまう魔王だけれど、これからはアリスのお兄ちゃんでもあるんだ。
だからきっと、いつかボクも兄さんみたいな優しい魔王になれる。
アリスをだっこして、ボクは初めて、そう思うことが出来た。
魔王はハンバーガーがお好き【END】




