Episode30 プロム
その日、私は玄関の前に立ち、師匠が外へと出てくるのをじっと待っていた。
何か粗相をして、「そこで反省しなさい」と玄関に出されることは時々あるが、そのときと違って私の心はとてもわくわくしている。
なぜならこうして立っているのは、これから師匠と二人、特別な催しに出かけるからだ。
「お待たせ」
ドアがゆっくりと開き、現れた姿に私は思わず呼吸を忘れる。多少の間なら忘れても魔王なので問題ないが、私の驚きように師匠は少し慌てたようだ。
「へっ、変かな?」
「そんなことは無い。すごく、綺麗だ!」
呼吸を再開しながら告げると、師匠は柔らかに微笑む。
今日の彼女は、美しい赤色のドレスに身を包んでいた。髪も綺麗に結い上げられ、化粧もばっちり施されたその顔は、いつもよりずっと華やいで見える。
「魔王も、タキシードよく似合ってる」
そして私もまた、今日はかなりめかし込んでいる。
その理由は今日、私たちは二人で『プロム』という催しに行くからだ。
プロムとは、師匠の高校で開かれる卒業前のダンスパーティのことだ。彼女は今年で高校を卒業するため、主役としてプロムに赴くのである。
「そうだっ、コサージュを用意したぞ。本当はドグルゲラバンダイックブルーフラワーで作ろうとしたんだが、皆に止められたのでバラにした」
「ドグラ……何とかってなに?」
「魔王の城に生える食人植物だ。品種改良したんで今は人は食べないが、虫の居所が悪いと触手で攻撃する可愛いやつなのだ。その花がとても美しいので師匠にどうかと思ったのだが、皆になぜか止められてしまってな……」
非常に残念だと肩を落とすと、師匠は何故か少し慌てた様子で私の肩を叩く。
「バラでいいし、むしろバラがいいわ!! それにコサージュは、動かない花で作るのが普通だから」
「そうだったのか。いやはや、プロムのしきたりとは色々あって奥が深い」
だから今日は粗相をしないようにせねばと、私は気合いを入れる。
「それでは、いざ行こう」
「エスコートよろしくね」
にっこり笑う師匠の手を取り、私はゆっくりと今日のために用意したリムジンへと向かった。
師匠と二人でやってきたプロムの会場は、高校の体育館だった。
他の街では大きな会場を借りることが多いらしいが、私達の街は小さく、高校もさほど大きくないので毎年体育館で行われているらしい。
体育館には何度か師匠に連れられ入った事があるが、普段は少し汗臭いのに今日は華やかで良い香りに満ちている。
そこで卒業生達は別れを惜しみながら踊ったり、私が大好きなフルーツパンチを飲んだりしながら賑やかに過ごすのがプロムだと師匠は教えてくれた。
「まあ私の場合は、賑わせる方でもあるんだけど」
私が代わりに持っていたギターケースを受け取りながら、師匠は体育館の奥にあるステージに上がる。
師匠は今日、みんなが踊るために歌う係なのだ。前々から、学校や街のパーティと言えば師匠が歌うのが定番となっていて、プロムでも是非と言われていたらしい。
彼女は街で一番の歌手だし、小さな街の学校なので歌手を呼ぶお金もあまりなく、下手に呼ぶより絶対師匠の方が上手いからと説得されたのだろう。
そして彼女は、同級生を自分の歌で盛り上げる最後の機会だからと快諾したのだ。
「だから、せっかくのプロムなのにダンスもあんまり出来なくてごめん」
「いいんだ。私は、いつもの定位置でずっと師匠を見ている」
催し物で師匠が歌うたび、私はステージの脇でじっと彼女を見てきた。
それはプロムでも例外ではなく、今日も私は側で晴れ舞台を見つめる。
こうしていると、ふと思い出すのはこの世界に来たばかりのことだ。初めて服を買ってもらい、連れて行ってもらったパーティで歌う師匠のことは、今も色濃く目に焼き付いている。
そのときから既に美しいと思っていたが、プロム用のドレス姿で歌う師匠はいつもの何倍も美しい。
それを見ているだけで瞬く間に時間は過ぎて、師匠の出番はあっという間に終盤にさしかかる。
一度私のいる舞台袖に引けると、会場からはアンコールを希望するたくさんの声が響いた。
「ねえ、一つ提案があるんだけど……」
私が手渡したミネラルウォーターを受け取った師匠が、なぜかそこでじっとこちらを見つめる。
「あんたさ、一曲だけ歌ってみない?」
「私が?」
予想外の提案に驚くと、師匠は愛用のギターを私に差し出す。
「実は、アンコールでゲスト出演してくれるはずの子が、体調不良でこれないの」
「だが私は魔王だ。歌手では無い」
「魔王だって歌えるし、あんた自分じゃ気づいていないと思うけど、すごく良い声してるじゃない」
ハンバーガーを作っているときについつい口ずさんでしまう鼻歌を聴かれていたらしく、師匠は「絶対歌うべきだ」と豪語する。
「ギターの弾き方も教えたし、魔王は立っているだけで華があるから絶対盛り上がるわよ」
「盛り上げられる自信は無いが、師匠が困っているなら手伝いたい」
「じゃあ、何か歌って。有名な曲なら、バンドの人に伴奏も頼めるし」
「いや、緊張で歌詞を忘れそうなので一人で頑張ってみる」
バンドの方々に迷惑をかけるのは申し訳ないし、恥をかくならなおさら一人で舞台に立つべきだろう。
「歌は、どんな物が言いだろうか?」
「そうねー。スローな曲の方がいいかな?」
「ならば私の世界の歌で、素晴らしい物があるのでそれにしよう」
「それ良いアイディア! じゃあ、ステージに出ましょ!」
言うが早いか、師匠は私を引きずるようにしてステージに戻る。
そのとたん、体育館は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「頑張れよーー!」
そう言って一番大きな歓声をくれたのは、ステージ側にいたチャーリーだ。
その側にいるのは、特例として参加を許可されたちび殿だった。チャーリーの相手がどうしても見つからず、ミスウェンディとも相性がよくなかったので仕方なく彼と来ることにしたらしい。
「それじゃあ、頑張って」
今度は師匠が私の定位置に向かい、一人ステージの上に残される。
周囲の注目を集めることに慣れていないので、正直とても緊張した。いかに師匠がすごいことをしているか、改めてわかった。
「私の世……いや、故郷の歌を歌おうと思う」
緊張を落ち着けようと大きく息を吸って、私は師匠から借りたギターに指を走らせる。
そして私は、あちらの世界で何度も聞いた旋律を奏でた。
――だが美しい前奏を弾きながら、私はふと思った。
この歌はすごく良い曲で、門出に最高な歌詞だと思ったのだが、いざ歌おうと思うと正確な歌詞が思い出せない。
たしか、愛の詩だった気はするが「アー」とか「ウェイ」みたいな所しか出てこない。
なじみがあるし、歌詞を忘れないと思ったからこれにしたのに、そもそもの歌詞をちゃんと覚えていなかったのは痛手だ。
とはいえ前奏を弾いてしまった手前やり直すことは出来ず、仕方なく私は適当な歌詞を当てはめ歌った。
思うがまま、頭に浮かんだ言葉を旋律に乗せて、私は必死にギターを奏でる。
ちゃんと歌えているかもわからないほど必死に口を動かしていると、なんとか曲の最後までたどり着く。
あまりに必死すぎて、歌っていたのはほんの一瞬のように感じられたが、終わった頃には額を汗が伝っていた。
最後に奏でたギターの音が消え、私は今更のように客席に意識を向けることが出来る。
そして私はぎょっとした。先ほどまではあれほど盛り上がっていたのに、学生達は皆その目に涙を浮かべている。
「へっ、下手ですまない!」
慌てて謝ると、こちらも目に涙を浮かべた師匠が慌てた様子でやってくる。
「その逆よ。あんまり上手いから感動しちゃった」
涙を擦りながら肩を叩く師匠の言葉に、会場からは再び割れんばかりの拍手が響く。
どうやら師匠の言葉は世辞では無いらしいとわかり、私はほっとした顔でギターを彼女に返す。
「あんまり上手すぎて、このあとじゃやりにくいわ」
そう言って師匠は私と場所を後退したけれど、彼女の歌は最後まで最高だったし、会場はもっと盛り上がった。
「それにしても、さっきの歌はどこで覚えたの? 知らない国のだったけど、響きがとても良かったわ」
出番を終え、ようやく訪れたダンスににやにやしていると、師匠がふと私を見上げる。
「私の世界で、良く歌われていた歌だ」
それを、師匠が大好きなカントリーっぽくアレンジして歌ったのだと言えば、師匠はなるほどと頷く。
「それにしても、すごく良い曲ね。私も泣いちゃった」
「驚いた。門出にぴったりの良い曲なのだが、歌詞もアレンジしたので逆に笑われると思った」
「アレンジ?」
「ああ。頭に浮かんだ愛を、歌詞にした」
「それって……」
意味を聞きたそうにしていた師匠に、私は照れながらも歌の意味を伝える。
「いつもダイナーの厨房で歌っている、ハンバーガーへの愛を歌詞にした」
「……えっ、それ、冗談よね?」
冗談では無かった。私はただひたすらに、ハンバーガーが如何に尊くて素晴らしくて美味であるかをあの場で歌い上げたのだ。
「なぜそう思うのだ? 私のハンバーガー愛は伝わらなかったか?」
「いやだって、あんなにしっとり、感情的に歌ってたから」
「スローが良いというのでそうしたが、なにかまずかっただろうか?」
私の言葉に、なぜか師匠は少し拗ねた顔でため息をつく。
「いや、あんたらしいなって思っただけ……」
「でも不満そうだ」
「ただその……、愛なら私でもよかったんじゃ無い?」
上目遣いに聞いてくる師匠が可愛くて、私は思わず彼女の唇を奪う。
とたんに師匠は照れくさそうに、視線を私から外した。
「その顔が可愛すぎるから、ハンバーガーにしたんだ。前に、愛の言葉は人前で連呼するなと怒られたこともあったし」
「たしかに、言った気はするけど……」
「あと照れる師匠は可愛いから人に見せたくないしな」
そこでもう一度キスをして、私は微笑む。
「そういうの反則」
「ん? キスにルールはあるのか?」
「そうじゃなくて、急に嬉しいこと言われるともっと照れる」
「なら、他の人に顔が見られないよう隠さねば」
先ほどより師匠との距離を縮めると、師匠が私の胸にこつんと額をあずける。そうすると彼女の顔が見えなくなってしまったけれど、他の人にも見られないなら良いかと、拗ねた気持ちを引っ込める。
「今度さ、私のために歌、歌ってくれる?」
「もしかして、気に入ってくれたのか?」
「うん。あと今度はその、ハンバーガーじゃ無い歌がいいかな」
「では、師匠への愛を歌おう。二人きりの時でも良いし、式のときでもいいな」
「しっ、式って気が早くない?」
「だが、卒業したらちゃんと夫婦になろうと前に言ってくれただろう」
「まあそうだけど、式で歌われたらもっと恥ずかしいかも」
なら二人で歌おうと、私は師匠の耳にそっと囁く。
「それならば、恥ずかしくない」
「まあ、それなら」
「じゃあ約束だ」
私が微笑むと、師匠が再び赤い顔で私を見上げる。
照れくさそうだったけれど、可愛らしい笑顔を見たかぎり私の提案に不服はなさそうだ。
「じゃあ、今度魔王の世界の言葉教えてもらおうかな。英語じゃ無きゃ、恥ずかしくない」
「ならば……」
師匠にだけ聞こえる声で、私はかつての世界の言葉を発する。
「今のは、ハンバーガーが好きって意味?」
「いや、『永遠に師匠を愛し、共に居る』と改めてプロポーズしたのだ」
私の言葉に師匠はもっと真っ赤になったけれど、照れながらも最後は笑顔で頷いてくれた。
【お題元】
「アメリカらしく、プロムのお話が読みたいです」
「魔王は、師匠みたいに歌ったりしないんですか?」
などのメッセージなどより作成。
オーダーとネタ振り本当にありがとうございました!