探検隊、暗躍
薄暗い魔具の制作室、お世辞にもきれいとはいえない室内で一際大きな机の上に袋が置かれていた。
袋の中に収められた魔力を宿す鉱物や骨、角といった素材が薄ぼんやりと光っている。
目の下にくまを作ったミラは鉱物を一つ手に取りポツリと呟いた。
「……すごい」
ミラは手に取っただけでどのような素材か分かるような能力は持ち合わせていない。しかし手に持つ素材からは、これが半端であるはずがないと思わせる何かがしっかりと伝わってきた。
心なしかふらふらとしているレイフはミラの様子を見てにやりと笑う。
「探してて僕も驚いたよ。どれも素材として申し分ない魔力を内包している」
「具体的には?」
「全て魔法強度が五から八の素材だ」
ミラは反射的に袋を開き中に入っている量を確認する。
無表情なミラにしては珍しいほどの反応。袋から顔を上げたミリアにレイフは頷いた。
「なあザックよ。レイフたちは何を言っておるのだ?」
「俺たちが持ってきたものすげぇってことだろ」
「おお、さすが父上の治める森だな! それでどのぐらい凄かったのだ?」
「んな難しいこと俺に聞くな」
ばっさりとしたザックの回答にアスはそれもそうかと頷き、てくてくと歩いていきレイフの袖を引く。
「どのぐらい凄かったのか我らにも教えてくれ」
レイフはやれやれと右手で眼鏡の位置を直しアスに向き直った。
「いいかい? 魔力強度というのは文字通り素材が持つ魔力の強さだ。これは一から十まで分かれているわけなんだけど、一般的な魔具を作る際は魔力強度が三から五あれば十分といわれている。もちろん一般的な魔具とは何かという疑問を持つだろう。ここでいう一般的な魔具というのは王立研究所で発行されている魔具大全の一種から――」
「おい、もう少し手加減してやれ」
アスの表情はレイフに質問をしたときのまま固まっており、頭の中にとどまっていないのは一目瞭然だった。
「この間注文したマキュリアスの魔力強度が八。それぐらい凄いものだった」
「お、おお、そうか。取り寄せたものにも負けぬものだったということだな!」
「そう」
ミラの説明で大まかにどのぐらいのものか理解できたようでアスは再び嬉しそうに笑い始めた。
ぺしぺしとミラの肩を叩く。
「ならこれで魔具の開発もだいぶ進むんだろ?」
ザックは期待を込めてミラに問いかけた。
魔具の開発が進むということはエバンス商会の、ひいてはジルの窮地が救われるということだ。ジルの苦労を傍で見てきたザックにとって開発がどのぐらい進むのかという情報はすぐにでも聞きたいものだった。
「そのはずなんだけどね、懸念がある。魔物の森の素材は魔力波長の振れ幅が大きいんだ」
ミラの代わりにレイフがザックの問いに答えた。
言っている内容を完全に理解することは出来ないものの、よくないことを言っていることぐらいはわかる。
「どういうことだ?」
「扱い難い素材ということ。魔力の波長はどれぐらい?」
「プラス九からマイナス十、普通の素材の約三倍の振れ幅がある」
魔具の材料としての判断基準のひとつに魔力波長の振れ幅というものがある。安定した魔法効力を引き出すためには安定した魔力波長が必要不可欠だが、自然のままで波長が安定している素材は少ない。そこで魔具士は振れ幅を吸収する回路を組み使用できる素材の幅を広げる。
魔具士にとって基本ともいえる技術だが、振れ幅が大きくなればなるほどその難易度は加速的に上昇する。
普通の素材の二倍もの振れ幅といえば、汎用の回路では対応できず素材ごとに専用の回路図が必要になるほどのものだった。
「いったいどうするつもりなのだ?」
「素材をこの中からさらに選別する。そして特に使えそうな数種類だけを魔具に組み込めるまで分析するのが妥当だろう。君たちの事情を聞く限りそれしかないと思うよ」
とにかく今は時間がなかった。ここまで魔力波長の振れ幅が大きい素材となると、通常は魔具に組み込めるようにするだけでも一つの研究として成り立つほどだ。
ならば最小限にまで数を絞って後はミラという魔具職人に任せるしかないというのがレイフの考えだった。
「ううん、全部試す」
しかしミラから返ってきた返事はレイフの計算を無視するようなものだった。表情を変えずに答えるミラにレイフは信じられないようなものを見るような目つきで視線を送る。
「正気かい? 君が天才という話は聞いているがいくらなんでもそれは無茶だ」
「新しい魔具に新しい素材。試してみないと分からない」
「そうだとしてもだ。これ以上無理したら君は本当に倒れてしまう」
ミラの目の下にはくまが浮かんでおり、身なりもそのまま人前に出るのはためらわれるような状態だった。
森に出かけていく前に見た状態からさらに悪化しており、すでに無理をしているのは明らかだ。
「もし選ばなかったものの中に適合する素材があったら。私は自分を許せなくなる」
可能性があったのに、それを自ら選ばなかったとしたらジルにどんな顔をして会えばいいのだろうか。
おそらくジルはミラを責めないだろう。世間一般からしても仕方のないことなのだろう。
しかしミラという個人はそれを決して許すことは出来ない。
ミラの瞳には強い光が宿っていた。
レイフは眉にしわを寄せて頭をがりがりと右手で掻きため息をついた。
「僕も研究に熱中して徹夜することはよくある。それでもはじめから身体を壊すような予定を立てることはない。なぜなら僕らみたいな人種は本当に身体を壊すまでやってしまうからだ。――それを承知でやるんだね」
「うん」
気負った様子もなく頷いたミラにレイフは一段と大きなため息をついた。
おそらくこの娘はもはや何を言っても止まることはないのだろう。ならば――
「わかった、僕も手伝おう」
「そこまでしてもらうわけには」
「魔物の森の素材による魔具の作成。こんな面白そうなことに参加させてくれないなんて意地が悪いね」
レイフは持っていた袋から怪しげな器具を取り出し、作業場に自分の場スペースを作り上げていく。
魔法学の権威としてこんな面白そうなことに参加できないなんて事はあってはならないことだった。そしてレイフ=グリントとしてせっかく見つけた魔法バカをこのまま見捨てるなんて事はあってはならないことだった。それならばすることは一つしかない。
「ほら、ここは僕たちに任せて君たち二人はさっさと戻りたまえ。言っておくが研究費は君たち持ちだし給料だってもらうからね。資金不足になりましたなんて許さないよ」
「じゃあまた」
二人はそれだけ言うとアスたちから視線を外し作業を始めようと黙々と動き出す。
打ち合わせなどしていないはずなのに二人は効率よく動き、あっという間にアスたちは蚊帳の外になってしまった。
「おし、じゃあ帰るか」
「うむ」
先ほどの話で楽観できる状態でないことは分かっていたのだが、二人は不思議なほど安心した気持ちでミラの店を後にした。
アスもザックも別れてそれぞれの店に帰路を定める。
「意外とあの二人は相性がいいのかもしれんな」
一人になった帰り道、さきほどの二人の動きを思い出しアスは空を見上げ呟いた。
お互いてきぱきと動いているのに一切邪魔しあうことのない作業風景。見ていてなんとなく二人はぴったりなのだなと感じた。
そんなことを思いながら歩いていると、アスの頭にふとサイトウの顔が浮かんだ。
特に理由はないのだけど早く会いたくなってアスは帰りの道を走り始める。帰ったら森での出来事を詳しく話してやろうと。
戻ってきたアスにサイトウがお帰りという五分前の出来事である。
◆
書類がうず高く積まれた部屋の中でアルドは机に向かいペンを走らせていた。
日常的な仕入れの量、他の商店の情報、そしてエバンス商会の経営状況。アルドが知らなければいけない情報は数多くあり、また判断しなければならないことも山のようにあった。
手にしていた書類を書き終わり脇に退けると傍にあった紅茶に口をつけた。
冷めてしまってはいるがアルドにとっては大した問題でない。疲れを取るため砂糖が多量に入った紅茶を飲み干し息をついた。
「なんでダミスの野郎はこうもめんどくせぇ事ばっかり思いつくんだ。俺に恨みでもあんのか?」
アルドが呟いたのはたった今まで手をつけていた仕事、新しい魔具の開発と販売についてだ。
もともとミラの存在のせいでサンライズにおいて高品質な魔具といえばダミスの商会よりエバンス商会のほうが有名だった。とはいえ職人の数で言えばダミス側のほうが圧倒的に多く、魔具を作り上げる速度の関係もあり売り上げもダミスの商会のほうが多い。
職人が悪いのではなくミラという魔具士が優れていたために起きたことでありアルドは仕方がないと考えていたのだが、どうやらダミスにとっては違ったらしい。
エバンス商会を潰す前に魔具でもダミスの商会のほうが優れていると証明するために、新しい魔具を作り販売しろと指示されたのだった。
「それでも目星をつけるアルド様はさすがです。もう先ほどの案で動き出してしまっても?」
空になったカップに新しい紅茶を注ぎながらシアンは問いかけた。
「いや、まだだな。この案も悪くはねぇがエバンス商会の魔具を超えられるかっていうと疑問が残る。後一ヶ月職人に粘らせてみて駄目なら実行に移せ」
「わかりました」
シアンは頭を下げアルドに了解の意を示す。
そして暖かい紅茶に砂糖を放り込んでいるアルドに懐から取り出した一通の封筒を渡した。
「今日の昼に荷物と一緒に届いたようです。アルド様は何か心あたりがございませんか?」
封筒の裏には蝋で重要度の高いものをを送る際に使われるエスタリア商会の印が押されている。
アルドは机からナイフを取り出し封を開け中に入っていた手紙を読み始めた。
「お前こないだ俺がエスタリアの魔具士に手紙だしたの覚えてるか」
手紙を読み終えたアルドが問いかけた。
突然のことに驚きながらもシアンが思い出すのは、ミラ=セフィラスの購入した素材を調べた後何を作るつもりか調べろと送られた手紙だ。
そこまでする必要があるのかと考えた記憶がある。
頷いて肯定するとアルドはシアンに手紙を渡した。
その内容を見えシアンは絶句する。
「なんですか、これ……」
手紙に綴られていたのは購入した材料から作られるであろう数々の魔具のリスト。そしてエスタリア商会が作ろうとしていた転移の魔具の素材に非常に近いという報告だった。
エスタリアの工房長が興味をしており、調べてみた結果によっては引き抜きすら考えているという内容にシアンは背筋が冷たくなった。
「エスタリアだって転移の魔具は完成しなかったんだ、別に致命的でも何でもねぇよ。ただうちの工房が総力で考えたもんに近い素材を選べるようなやつを放置するのはうまくねぇな」
同じような材料を選んだからといって回路のほうがお粗末ならばまったく心配する必要はなかったのだが、相手はレベルの高いサンライズの職人が及ばないほどの魔具を作り出すミラ=セフィラスだ。可能性が低いとはいえリスクを考えれば無視していい問題でもない。
「ここ数日セフィラスに動きはなかったよな」
「そのはずですが。念のため本日の分を今すぐ上げさせてきます」
シアンは一礼し駆け足で部屋から出て行った。
静かになった部屋でアルドはもう一口紅茶を口に含む。張り付くような紅茶の苦味が口内に残った。
「おい、アルドはいるか」
ノックもせずに扉を開けたのはこの館の主人であるダミスだ。相変わらずせりでた腹を揺らし、何が楽しいのかにやつきながら室内に入ってくる。
「ダミス様どうされましたか」
「新しい魔具のほうはどうなった。エバンス商会を打ちのめすような計画はできたのか」
「はい、一案は出来ましたが現在はよりエバンス商会にダメージを与える事は出来ないかと改善点を洗いなおしています」
「そうか、それはいい!」
ダミスはどんな想像をしているのか顔を歪ませ楽しそうに笑う。アルドは顔に笑顔を貼り付けただただ黙ってダミスを見ていた。
「それでこそ高い金を出してお前を雇っている価値があるというものだ。金が欲しければ見合う分働く必要があることを分かっているようだな」
どれだけの成果を出そうが報酬を払う際、毎回のように文句を連ねる男の言葉をアルドは黙って聞いていた。身体の横に添えられた手には幾分の力も入っておらず、表情も不満の感情に敏いダミスが気づくこともないほど変わっていない。これがシアンであったならばこうはいかなかっただろう。
感情を完全に制御する商人としてのアルド=ヴェルニスの顔だった。
室内に普段よりわずかに強い調子のノックが響いた。アルドが返事をすると息を切らしたシアンが室内に入ってくる。
「失礼します。これはダミス様、こんなところまでどうなさいましたか」
「計画の進捗を聞きにこられた。特にお前が気にすることではない」
「そんな邪険に扱わなくてもいいだろう。なぁシアン、普段の姿もいいが息を切らせる今の姿も悪くないぞ」
ダミスの視線が首元そして胸元を舐めシアンの身体がわずかに硬直する。それ以上の反応は抑えたがダミスはその葛藤さえも楽しんでいる様子でシアンを見ていた。
「それでお前がそこまで急ぐとは珍しい。なにかあったのか」
「いえ、ダミス様のお耳に入れるほどのことでは」
「わしの耳に入れることをお前が決める、そう言っているのか?」
ダミスは足を鳴らし半眼でシアンを睨みつけた。
どんなに上機嫌であったとしても気に食わないことがあれば容赦しない。アルドたちが来たときから変わらない暴君たるダミスの性格だ。
視線を泳がせるシアンにアルドは目で合図し内容を喋る許可を出した。
「本日の夕方、白い袋を持ったザック=ラグ、レイフ=グリント、アスフェルの三名がミラ=セフィラスの店を訪れたそうです。ラグとアスフェルの両名は店から出て来た際袋を持っておらず、グリントは今だ店から出てきていないことからグリントが何かを持ってセフィラスに協力するのではないかと報告がありました」
「……アルド」
「セフィラスの魔具作成に魔法学の権威であるグリントの協力ですか。袋の中身は断定こそ出来ませんがなんらかの素材かと」
ダミスは半眼のまま顎に手をやる。
「セフィラスか。前から思っていたが……邪魔だな」
抑揚のない平坦な声で紡がれた言葉はひどく冷たい印象をシアンに与えた。
そのままダミスは無言で部屋出ていき本館のほうへ消えていった。
「アルド様……」
「荒っぽいのは俺の流儀じゃねえんだが、契約がある以上俺たちにとめる術はねぇ。胸糞悪りぃ」
ダミスがミラに対して何をするつもりか考えアルドは心底気に入らなさそうに頭を掻いた。
しかしどれほど気に入らなくてもエスタリアの契約でダミスの邪魔を出来ない以上アルドに出来ることは何もない。
商売をするものとして大きくなればなるほど、綺麗事だけではないそういった手段も選択肢の中に入ってくる。
その中であってもいわば綺麗事だけでここまでやってきたアルドの心中を察しシアンは胸を痛めた。
アルドは気分を切り替えるようにカップに残っていた紅茶を一気に呷った。
「にしてもやべぇかもしれんな」
「セフィラスの身が……ですか」
「それは今すぐどうこうってこたねぇだろ。俺が言ってるのは転移の魔具のほうだ」
アルドが先ほどの出来事を完全に切り替えたことを感じたシアンは居住まいを正す。
「やはりグリントの協力は大きいですね。性格的に問題ありとの報告は受けていますが、業績だけ見るなら非常に優秀かと」
「それもそうだが……俺は袋の中身のほうが気になる」
「グリントが何らかの素材を持って行ったという話では?」
「それなら三人も一緒についていく必要はねぇだろ。ましてついていったのがアスフェルとラグとなると……」
森の素材かもしれん。
アルドは言葉にこそしなかったがシアンにははっきりと聞こえたような気がした。
森の獣人であろうアスフェルと単独で森を探索できるザック=ラグ。その二人がレイフ=グリントについて何かを持っていたとなれば、持っていたものが森の素材という可能性も十分にある。
これまで何人もの魔具士や研究者が挫折してきた転移の魔具だ。なまじ専門家が増えることより未知の素材が使われることのほうが恐ろしい。
シアンは震えた。もしアルドがセフィラスを気にしていなかったらどうなっていただろうかと。
「本格的に素材の流通操作に入る。各所に指示をだせ」
「分かりました!」
再び部屋から出たシアンは息を切らさない程度に廊下を進む。圧倒的に有利であるにも関わらず何か言い知れない不安を感じながら。