爆弾爆発、被害はいかほど?
このところ俺、いやエバンス商会はとても調子がよかった。
打開策としてはじめたオークションは想像以上の盛り上がりを見せ、回を重ねるごとに客入りも増え売り上げも順調に伸びている。今では別館の売り上げの半分以上を占めるようになり、口コミが広がっていることからもますますの増加が期待できるだろう。
魔具にしたってどうなるか分からないものの、大きな手がかりが見つかったのは確かだ。ミラの様子からみるに完全に無駄になるようなことはないだろうから、完成に近づいたのは間違いない。
絵に描いたような順風満帆。でもその船には火のついた爆弾が一つ転がっていて。
ある日の朝に爆発してしまった。
「ついにきちゃったかぁ……」
店が開く前、朝食を食べながら新聞を読んでいた俺はある記事を見てため息をこぼす様につぶやいた。
「何がきたというのだ?」
「来るべきもの、かなぁ?」
ご飯を口いっぱいに頬張りながら器用に喋るアスの前に新聞を置く。開かれた面には『エバンス商会が獣人を雇用』の文字が大きく踊っていた。
アスは器を持ったまま一瞬固まり、またもとのように食べ始めた。
「確かに来るべきもの、だな。市長の前で暴れてしまったのだから仕方あるまい」
「その辺りのあれこれは書いてないみたいだからアルドさん約束守ってくれたみたい。それがせめてもの救いだね」
アスは興味がなさそうなので新聞を返してもらうと俺はもう一度目を通し始めた。
フィオナが書いたであろう記事はともすれば批判一直線になってしまうであろう獣人の記事をうまくまとめており、偏見なく公平に判断してほしいというメッセージがしっかりと伝わってきた。
実のところを言ってしまえば俺たちはアスが獣人であることはずいぶん前から広がることを覚悟していた。市長の前で問題を起こしてしまっただけでも事件なのに、市長が敵であるダミスなのだから町中に広まって当然。むしろ広まらなかったらそちらのほうが怖いぐらいだ。
「だがこれでまたエバンス商会に迷惑をかけてしまうな」
「どっちかというと今回のも前の時の一環って感じだけどね。で、前のはもうジルさんともども了解済みなんだからいまさら謝る事なんてなにもないよ」
アスは苦笑のような、照れ笑いのような顔をしてこくりと頷いた。
朝食が終わりゆっくりとお茶飲んでいると、ドアが控えめにノックされているのに気がついた。
前もっての約束もしていないので、たぶん今日の新聞を読んだザックさんかミラではないだろうか。ところが返事をしてドアを開けるとそこにいたのは今日の新聞を作ったまさにその人、フィオナだった。
「そりゃミラが新聞読んでるわけも、ザックさんが控えめにノックするわけもないよなぁ」
「あ、あの」
「あ、すいません。こっちの話なので気にしないでください」
困惑しているフィオナを落ち着けとりあえず中に招き入れた。
居心地悪そうに座っているフィオナにお茶をだし声をかける。
「こんな早くからどうしたんですか? とはいえ心当たりがないわけではないんですけどね」
「お考えの通り今日お邪魔させていただいたのは新聞でアスちゃんのことを取り上げた謝罪なんです。しばらく保留にするといっておきながら本当にすいませんでした!」
立ち上がってそれでもなお机に頭をぶつけそうな勢いでフィオナは頭を下げた。
そうなってしまうと逆に申し訳ないのはこっちだ。
「そんなに頭を下げないでください。もともと無茶な話だったんですよ、獣人がいることを黙っててくれなんていうのは。下手したら市長から圧力かけられちゃうでしょうし」
「記事にしないだけでフィオナにまで何かしてくるというのか!?」
「記事にすればほぼ確実に俺たちに影響のあるないようだからね。その上普通なら問題なく記事になるレベルときたら得意顔で圧力をかけてくると思うよ」
あの市長ならフィオナの新聞作りを禁止するなんてことすらやってしまいそうだ。そんなことになるぐらいなら俺たちの自業自得なのだからアスのことを記事にしてくれたほうが何倍もいい。
「まだ脅されたわけじゃないんです。ただ数日前にアルド=ヴェルニスがきて私に言ったんです。『交流するしないを決めるのは獣人やサンライズの市民だ。一記者が情報を握って操作すべきことじゃねえだろ』って」
フィオナは何かをこらえるように大きく息を吸った。
「私は良かれと思ってやっていたんですけど、良いかどうかを決めるのは皆さんなんですよ。正しい情報を伝える記者が自分でどうにかなるように操作したらだめですよね」
下を向いたフィオナの表情はこちらからは見ることが出来ないが気持ちは痛いほど伝わってきた。
アルドさんのいっていたことは正論で、正しい記者であろうとするフィオナの心に鋭く刺さってしまったのだろう。誓って間違ったことをさせようという意図なかった。それでも俺は結果としてフィオナに記者のプライドを傷つけるようなことをさせてしまったのだ。
どうしてあんなことを軽々しく頼んでしまったのだろうか。激しい後悔が俺の中に渦巻く。
「まずは謝らせてください。意図していなかったとはいえ記者のプライドを傷つけるようなことを頼んでしまい申し訳ありませんでした」
顔を上げたフィオナに向かってアスと二人で頭を下げる。
「そして言わせてください。新聞は紙面に限りがある以上どうしたって記者の意図が混ざることになる。その上で少しでも公平でありたいと記者のプライドを持つフィオナさんを俺は心から尊敬します」
公平でいたいという記者のプライドは、記事選びにどうしても意図が混ざってしまう以上あいまいなものになる。よほど極端なことをしない限り「この記事は公平なんだ」と自分に言い聞かせてしまえるほどに。その中でここまで苦悩できるフィオナのなんてすごいことだろう。心から尊敬するという俺の言葉は一切社交辞令などではなく、まさに本心からの言葉だった。
「ありがとう、ございます」
フィオナはゆっくりと頭を下げ席を立った。
その顔は来たときよりも少しだけ晴れやかに見えた。
「私はもうサイトウさんたちの味方とは言えないですが、皆さんが幸せになれる結末を心から祈っています。朝早くから失礼しました」
これからフィオナの新聞は必要だと思うことを公平に記事にしていくのだろう。それはもしかしたら俺たちに不利なことが多くなるかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ一つ分かっていることはフィオナが正しいと思ったことを貫いていくだろうことだけだ。たぶんそれはフィオナにとってもサンライズの人たちにとってもいいことなのだろう。
後ろ姿が遠くなっていくフィオナを見ながらアスがポツリとつぶやいた。
「サイトウたちが話していたことはよく分からなかったのだが、フィオナは自らの職務に誇りを持っているのだな」
「確実に俺よりも誇り高いね。もしかしたらアスも負けちゃうんじゃないの?」
「ふふん、なかなかやるが我にはまだ及ばぬな」
得意そうに腕を組むアスに軽くふきだす。怪訝そうな顔でアスが見てくるがそこのところはノーコメントで。
「さて、時間も押してるしそろそろ始めよ。たぶん辛いことも増えると思うけどがんばっていこうか」
「うむ、任せておくがよい。サイトウも落ち込むでないぞ」
それってアスより俺がする心配だよね。
とは言え俺も落ち込みかねないので真摯にお言葉を賜っておくことにしよう。
お互いエプロンをつけバンダナを頭に巻く。さて、今日も一日はじめましょうか。
営業が始まるといやが応にも新聞の影響力は大きいと思い知らされることになった。普段なら開店と同時に何人かのお客さんが来ているはずなのに、今日に限っては一人として来ていない。まるで開店したてのころに戻ってしまったような光景に苦笑がもれる。
「まぁ予想通りといえば予想通りかな。今まで誰もアスに不満なんてなかったはずなのにね」
「だとよいのだがな」
答えるアスの表情は冴えない。いくら予想できたことで覚悟していたとはいえ、実際に味わうと精神的にきついものがあるのだろう。表情は極力普段どおりを装っているが俺も一緒だ。いくら少なくなると予想していたとはいえ、いつも決まった日に買いに来るお客さんさえ来ていないのは、新聞の影響を明確に示されているようでつらいものがある。
「ついに広まっちまったみたいだね」
暇をもてあましている俺たちにエバンス商会から歩いてきたジルさんが声をかけてきた。本館のほうも暇でねと笑いかけてくる。
「本館のほうもですか。まだお客さん一人も来てないんですか?」
「昔からの馴染みの業者がいくらか来てくれたけどほかはからっきしだね。みんな薄情なもんだよ」
何事もないようにジルさんは話すが、そんな楽観できる状況でないことは俺でも分かる。
何かできることはないかと声をかけようとしたタイミングで、アスがジルさんに声をかけた。
「ジルはこれがいつまで続くと考えておるのだ?」
「ダミスたちが煽ってこれば長くなるだろうし、私たちが何か手を打てれば短くなるかもしれない。それに獣人のことが広まったなんて初めての事でまったく見当もつかないよ」
気軽にはこたえられない質問だからかジルさんは一切の楽観を省いてただただありのままの答えを返した。
甘く見積もれば今時点でのアスの不安を軽くして上げられるかもしれないが、根本的解決にならない上おそらくアス自身にとってもいいことではない。だからこその返答だろう。
「そう、か」
「なにか思いついたら遠慮なく手伝ってもらうから、それまではそっちでがんばっといておくれよ」
「もちろんですよ」
大げさなガッツポーズで応じると、ジルさんは楽しそうに大きく頷いた。そして「がんばりな」といって本館のほうに帰っていった。
結局昼になってもお客さんが来ることはなく開店して以来始めて来客ゼロでの昼休憩を迎えることになった。
アスはお世辞にも明るいとはいいがたいが、俺のほうはここまでわかりやすいと逆に面白くなってしまってあまり暗くならずにすんでいた。
「アス元気だしなよ。そんなだとせっかくのごはんがまずくなっちゃうよ?」
「確かにそれでは食事にも、サイトウにも失礼だな」
いただきますと元気よく言うとアスは昼食に手をつけた。心からというわけではないにしろ、あれだけしっかり食べられるならまだまだ大丈夫だろう。
俺も手を合わせて食べ始める。
「ジルさんは結構かかるかもしれないって感じで話してたけど、俺は案外早くどうにかなるんじゃないかって思ってるんだよね」
「そうなのか?」
「俺の住んでたところでは動物の耳をつけた女の子をかわいいと思う文化があってね。アスもかわいいし案外早くみんなも魅力に気づくんじゃないかと思って」
アスが食べていたスープを噴出す。
いざ口に出して説明してみると突っ込みを入れたくなるような文化だけど実際そうなのだから仕方がない。いやまて、これに該当するのって少数派だったっけか。
「サ、サイトウ。急に何を言い出すのだ!?」
「いやいや、根拠がないわけじゃなくてね。アスは耳を隠した状態でかなり人気があったわけだ。そしてそこにかわいい動物の耳がついたらプラスこそあれマイナスになるわけないじゃないか」
「なっ、ななななな……」
俺もそのあたりの文化に対して造詣が深いわけではないのでなんともいえないがたぶん理論的には間違っていないはずだ。というより実物がかわいいのだから理論が入る余地もないわけなんだけども。
「というわけでいっそのことバンダナとって開き直ってみたらどうかと思うんだけど、どうだろう?」
「う、うむ我は分からんからサイトウに任せるぞ」
「そっか、まぁアスがいやじゃないんならまたジルさんたちと相談してみるよ」
俺の意見としてはどうせ知られてるんだからバンダナを外してそのままの姿を見てもらったほうがいいと思うけど、ぱっと見ただけで獣人ということがはっきり分かるようになるのだからどんな影響があるか分からない。じっくり相談してからのほうがいいだろう。
そんなことを考えているとパリンと耳障りな音が部屋に響いた。
窓のほうから響いたその音に視線を向けてみると石が一つ、窓ガラスを破り部屋の中に転がりこんでいた。
――投げ込まれちゃったか。
石をすぐにでも拾って片付けたいところけど、そんなことの前にやらなければいけないことがある。
「行くな!」
はじかれたように飛び出して行こうとするアスを止まらせる。そして止まったアスに近づいていき肩に手を置いた。
「声上げてごめん。でも今でていって相手が怯えたらやっぱり獣人はってことになっちゃうからね」
「だがっ!」
「俺は石を投げ込まれるよりそっちのほうが嫌だな。ここは我慢して」
悔しそうにだらんと腕を下ろしたアスの頭をぽふぽふと撫でる。たぶんアスのことだから逃げていくやつの足音がしっかり聞こえているんだろう。自分が直接の原因ということが分かっていて、やったやつが分かっているのに何もするなというんだから残酷なお願いだ。でもここは我慢してもらうしかない。じゃないとこれよりひどい状況になってしまう。
アスが落ち着いてきたのを確認して片付けようと窓に目をやる。そうすると一人、何度か来てくれたお客さんがこちらを見ているのに気がついた。
「あ、すいませんこんな状態で。いらっしゃいませ、何をお求めでしょうか」
できる限り明るく声をかけると、それを見たお客さんが苦しそうな顔になった。
「俺、結構この店使ってたのに新聞見てなんかこれなくなっちまって。でも気になってふらふらしてたら、石投げてるやつ見かけて、な」
「それで心配して来てくださったんですね。ありがとうございます」
ふらふらしていて石を投げた人を見たということは、この辺りを歩いていてくれたということだ。石を投げている人を見かけて店を覗いてくれたということは何か思うところがあって気にしてくれたということだ。
それがどんなにありがたいことか。
営業中だからということではなく自然と俺の頭は下がっていた。
お客さんは気まずそうに苦笑し俺から目を外した。そして店内を見回し、立ちすくむアスのところで視線が止まった。
「石を投げ込まれて傷ついてる普通の女の子なのにな。……アスちゃん、ちょっとこっち来てくれないか」
「…………」
お客さんに呼ばれアスは黙って歩いてくる。その足取りは普段より重い。
「バンダナ、取ってみてくれないか?」
アスが伺うように目を向けてきた。
たぶんここが分水嶺だ。この人の反応しだいでアスの、獣人の人間に対する感情が大きく変わってくるだろう。
でも俺の勘でしかないけれど、このお客さんになら任せてもいい気がした。
アスに応じて俺はゆっくりと頷いた。
しゅるりと音を立てて外されるバンダナ。その下から現れたのはきれいな黒髪と毛並みの美しい狼の耳だった。
「……ほんとにあるんだな。失礼かもしれないけど、触ってみてもいいかい?」
こくりとアスが頷きお客さんに頭を近づけた。おそるおそる、はじめはほんの指先だけアスの耳にお客さんの手が触れた。触って、離れて、もう一度触って。最後にはお客さんはアスの頭をゆっくりと、労わるように撫でていた。
「どうですか。普通に狼の耳でしょう?」
「ああ、ほんとに普通に狼の耳だ」
お客さんはおかしそうに軽く笑うとぽんぽんとアスの頭を撫で手を離した。
「俺の知り合いに犬つかって狩りしてるやつがいてな。昔その犬に触らせてもらったことがあったんだ。そのときはほとんど怖がらずに触れてたんだよ。考えてみると不思議だよな、相手は言葉が通じないし噛まれでもしたら大怪我なのにぜんぜん怖くなかったんだ」
触っていた手を見て目を閉じ、お客さんはアスに笑いかけた。
「狩りの犬が怖くないのに、言葉の通じる女の子を耳があるってだけで怖がるのも変な話だよな。情けない、びびっちまってごめんな」
「ふん、寛容な我は許してやろうではないか。その代わり何か買っていくがよい」
「ははっ、じゃあアスちゃんが自分でも食べたいと思うようなお勧めのものを二つ頼むよ」
「それならリンゴがお勧めだな。これを食べたら普通のリンゴが食べられなくなるほどおいしいぞ」
お客さんの注文を受け俺は二つのリンゴを出しに奥の部屋に入っていった。深呼吸をして本日始めての魔法をすこし気合をいれて発動させる。この魔法は半ばオートで発動してしまうので、気合を入れたからなにかが変わるというわけじゃないのだけど、ちょっとでもおいしくなればいいなと思ったのだ。
とはいえでてくるのはいつもと何一つ変わらないリンゴ。息をついてお客さんのところに向かった。
「お待たせしました。こちらが商品になります」
「ふーん、見た目は普通のと変わらないんだな」
お客さんはリンゴを受け取ると上から下からじろじろと見ていた。
「じゃあこれが代金な。でだ、お詫びの印にこれを受け取ってくれないか?」
お客さんは今買ったばかりのリンゴの一つをアスの前に差し出した。アスは目をしばたたかせて自らを指さし、お客さんは笑って頷く。アスが両手でリンゴを受け取るとお客さんは持っていたもう一つのリンゴにかじりついた。
「アスちゃんの言うとおりだ。うまいな、もう普通のリンゴは食えんかもしれん」
「ならばまた買いに来るがよい。歓迎してやらんこともないぞ」
「そうだな、そのときはぜひお願いするよ」
お客さんは軽く手を振り、リンゴをかじりながら歩いていった。
アスはお客さんの後姿を見送りながらしばらくの間固まっていた。完全に姿が見えなくなるとポツリとつぶやいた。
「不思議なものだな。石を投げてくるようなものもおれば、ああやって話してくるものもおる。いったいどちらが当たり前なのだろうな」
「どっちも当たり前なんだと思うよ。いい人もそうじゃない人も両方が当たり前にいる。どっちが多いかは分からないけどね」
「それならばきっと分かってくれる者のほうが多いであろう。少なくとも我はそう信じたいぞ」
「はは、それは俺も同感だね」
アスは手に持ったリンゴを小気味よい音をたてて一口かじった。俺もリンゴを取り出してかじりつく。シャクリと小気味よい音がした。