反撃準備、スタート
サンライズに戻ってまず最初にしたのはミリアに頼んで、ミラとザックさんにこの店に来て欲しいと伝えることだった。森を出るときは相談しなくちゃなんて格好つけたけど、二人に相談を持ちかけに出かけることも出来ない身の上なので、アスの体調が悪い以上ミリアに頼るほかない。
ミリアが二人を呼びに転移した後、とりあえずアスの部屋を訪ねてみた。寝ていればそっとしておけばいい。でも起きているなら戻ってきたことを伝えたいし、出来ればザックさんやミラたちとの話し合いにも参加してもらいたい。そろそろと扉の前まで移動してノックしてみると中から返事が聞こえてきた。
「ただいま。起きてたんだね」
「病になったという訳ではないからな。そう長くは寝ておれん」
「それもそっか。ちなみに今体調はどうなの?」
「そこそこといったところか。普通に動く分ぐらいには問題ないぞ」
まだ表情に元気がなさそうだけど、この状況で元気はつらつというのも違和感があるからこんなものだろうか。俺が入ってきたときもベットに座っていたから、話し合いに参加してもらうぐらいなら問題ないかもしれない。
「これからザックさんやミラが来て話し合いすることになると思うんだけど、体調良かったらアスも入らない?」
「それは構わんが……よくそこまでする気力があったな」
「気力があったというか、湧かせてもらったというか。ミリアに諭してもらっちゃったよ」
「それでもすごいことだと思うぞ。分かった、二人が来たら我も行くとしよう」
正直言ってあれはミリアの手腕によるところが大きいから自分では大したことをしたという実感はない。でもまぁ、アスがすごいことだと少し笑ってくれたのだから、すごいことをしたのだと自惚れておこうか。
そんなことを考えているとノックが聞こえミリアが部屋に入ってきた。
「二人に伝えてきたわよ~」
「ありがと。返事はどうだった?」
「ザックは店を片付けたらすぐ来るみたいよ。ミラはもう下にいるわ」
もういるってミラはミリアについてきたのか。それにザックさんもちょうどいいぐらいの時間とは言えまだ店を開いているだろう。それなのにすぐ来きてくれるなんてさすがですといいたいぐらいだ。
「じゃあ二人に伝えたことだし私はもうそろそろ帰るわね」
「ちょっと待って。これから連絡も結構しないといけないだろうからフォンが三つぐらい欲しいんだけど何とかならないかな?」
「サイトウよ、あれは森の住人の証のようなものだから難しいと思うぞ」
「そうね。それに……ちょっと私にかけてもらっていいかしら」
言われるままにフォンを取り出しかけてみる。手順は間違っていないはずなのに出してくれたミリアのフォンはうんともすんとも反応しなかった。
「私も試したことがあるんだけど、なんだかフォンって森の外では繋がらないみたいなの」
「ああ、だから今日も連絡なしにミリアが直接来たんだ」
いつもの材料補給は決めてあるから問題ないけど、転移もタダではないのだから今日みたいに急なときは前もって連絡したほうがいい。言われてみて気付いたけどそういった理由があるなら納得だ。
うん、みんなから連絡がなくて少し寂しかったけどそういった理由があったなら納得だ。
「でもユウくんの魔法でフォンみたいなものは出せないの?」
「それが出せないみたいなんだよね」
前に調べてみたんだけど、どうやら携帯電話のようなものはないらしい。携帯電話でも本体だけじゃなく電波塔がいるからダメなのか、それともパソコン同様精密機械過ぎるからダメなのか。なんにせよ神様はもう少し気を利かせてくれてもいいと思う。
「また材料を補給してもらいたいときには来るからその時に何かあればいって頂戴」
「そうだね。今日は助かったよ。ありがとう」
深い感謝のを込めて頭を下げるとミリアは笑って転移していった。さてそろそろ行かないとミラを待たせすぎちゃうな。
「じゃあアスも降りてきてもらっていいかな?」
「うむ、もうザックも来る頃だろう」
ちょうど入り口からドアの開く音がした。噂をすれば影というやつか、ちょうどザックさんが着いたみたいだ。
「えっと、重大なことから言っておきますとダミスにアスが獣人だということが知られました。あとエバンス商会の状況を俺達の前で暴露されました」
ミラとザックさんが集まった会議でまず最初に言った言葉がこれだ。今回市長が来ても来なくても敵対していたことには変わりないので問題にする必要はない。伝えなければならないのは獣人ということを知られそれが悪評に繋がるかもしれないということ。それに今までジルさんが俺達に隠していたであろうエバンス商会の状態を暴露されてショックを受けているということだ。
「くそったれ。いつも余計なことばっかりしやがって!」
ザックさんはダミスに対して怒りを募らせ机を叩いた。それに対してミラの反応は静かだ。
「ということはあなた達はエバンス商会の現状を知ったということ」
「どこまでかは知らないけど後一年で借金を返さなくちゃいけないってことは聞いたよ」
「そのことを伝えなかったのは私の判断。あなた達が諦めないか信頼しきれていなかった。この通り、申し訳なかった」
ミラは椅子から立ち上がり俺達に頭を下げた。確かに期限も教えてもらえればもう少し心構えが出来ただとかそういう気持ちはある。でもミラの立場に立ってみればそれは仕方のないことだったと今なら受け入れることができる。ただ問題は隣に座るアスの気持ちだ。
「昨日今日と考えていたのだがな。やはり話して欲しかったという気持ちはあった」
「当然だと思う」
「だが我は仮に知っていたとしても何も出来なかったであろう。だからこのことをもう責める気はないぞ」
「俺も責める気はないから気にしないでいいよ」
「二人とも、感謝する」
ミラは目を瞑りもう一度頭を下げた。その態度はとても真摯なもので、俺達を信頼してくれたことがはっきりと伝わってくるようなものだった。
それにしてもあっさりと言っては変かもしれないけど、アスがここまで簡単に責める気はないといってしまえることに少しびっくりした。体調を崩すほど気に病んでいたというならもう少し何かあるものかと思っていたんだけど。
まぁこじれることを望んでいたわけでもなし、きっと休んでいる間に整理をつけることが出来たのだろう。ミリアの力を借りなくちゃ出来なかった俺としては見習いたいところだ。
「じゃあそろそろこれからどうするべきかに移ろうよ。とりあえずエバンス商会について俺達が知っておくべきことはもうない?」
「たぶんないと思う。でも私達も完全に分かってるわけじゃない」
「あいつは聞いてもそこまで詳しく言わなかったからな」
それはかなりまずいかもしれない。ミラやザックさんは自分の分野でベストを尽くせばいいのかもしれないけど、俺やアスはあくまでエバンス商会の従業員という形でしか力を発揮できない。そのためどういう状態でジルさんがどうして欲しいかが分からなければベストを尽くすことはできないのだ。
「……もうそろそろ引き込むか」
「ザックさん何か言いました?」
「ああ、お前らちょっと待ってろ」
何か考えていたかと思うとザックさんが立ち上がりそのまま外に出て行った。通りに面した窓口からエバンス商会のほうに向かっていくザックさんが見える。
「まさかとは思うんだけど……ねぇ。ちなみにザックさんってさっきなんて言ってた?」
「『もうそろそろ引き込むか』と言っておったが……」
そんなセリフを残してエバンス商会に向かったならもうしてくることは一つだろう。
しばらく待っているとザックさんはジルさんを引き摺るようにして店の中に入ってきた。
「おい、本人を連れてきたぞ」
「ザック何のつもりだい。はなしなよ!」
「離すわけにはいかんだろ。エバンス商会の立て直しを考えるのにお前がいなくてどうする」
「立て直しってあんた……!」
ジルさんは俺達のほうを見て視線を下に向けた。わずかに見える顔から伝わってくるのは罪悪感と恐怖心。辞めるときは自分ではなく従業員に伝えてくれとまで言ったのだ。自分のしたことを考え辞められるのを仕方ないとしながらも、実際に言われるのが怖くて仕方がないのではないだろうか。
実際ジルさんのしたことは冷静考えても褒められたものではない。誰かを勧誘するのであれば全てを伝えろとまでは言わないにしろ有る程度のことは言うべきだと思うし、それは俺のように半ば断わる選択肢のなかった相手でも変わらないだろう。そう考えれば良識を持っているジルさんが罪悪感を持つのも分からなくはない。
しかし、しかしだ。仮に罪悪感を持っていたとしても、いや持っているならばこそ人のことを勝手に辞めると思いこみ、気力がなくなってしまうのは違うだろう。
「ジルさんは今、俺達に対してどんなことを思っていますか?」
「分かってる、分かってるんだ。あんた達は自分達だけでしっかりやっていけた。それをこんな商会に引きこんじまって本当にすまないと思ってるんだよ」
「すまないと思ってくれてるんですね。分かりました。
――ところでジルさんは俺たちがサンライズに来た目的を知っていますか」
突然変わった質問にジルさんが目をしばたたかせる。
「サイトウは土地を手に入れるためでアスちゃんはその付き添いじゃないのかい?」
「もちろんそれもあります。ただそれだけじゃなくて、実は獣人と人間の交流を図りたいって目的もあるんですよ」
「獣人と人間の交流? でもそれは……」
追い詰められていたとはいえ獣人と商売をしようと思ったジルさんのことだ。サンライズ全体としての獣人への評価がどういうものかということは俺達以上に分かっているだろうし、困難さについての理解も俺達より深いのだろう。言葉を濁すのも無理ないのかも知れない。
「実際にはどれぐらいかよく分からないんですけど、話を聞く限りかなり難しいみたいですね。でもいくら難しそうだからって俺は絶対に諦めたりしません」
アスが獣人だと知ったときの様子を見る限り、ダミスがいる以上獣人と人間の交流なんて難しいどころか不可能に近い。それでも俺は不思議と諦めの気持ちが浮かんでこなかった。
もしかしたらそれは無知から起こるものかもしれないし、森の外を見に行くためにはどうしてもやらなければならないことだからかもしれない。
でもそれはとても大事なことだと思うのだ。
「だからジルさんがもし罪悪感を感じているなら、俺達も手伝いますから諦めないでエバンス商会を立て直してください。
それでお金が儲かれば嬉しいですし、ダミスを市長から引き摺り下ろしてくれたら涙流して感謝しますよ」
「うむ、それはいい。ジルがただ落ち込んでいるだけよりそちらの方が何倍もうれしいぞ」
アスも俺の言葉に笑って同意を示した。
俺の言ったことは罪悪感をたてにジルさんを厳しい道に突き飛ばすひどいことなのかもしれない。それでもこの選択に後悔はない。
恩あるジルさんが落ち込んだまま終わっていってしまうのを眺めているほうがよっぽどひどいことだと思うのだから。
「おいジル、お前ここで諦めたら不義理を続けることになっちまうぞ」
「私の知ってるジルならそんなことしないはず。それに私達も手伝う」
ミラとザックさんからも声がかかる。ジルさんは天井を仰ぎ見てため息をついた。
「確かに不義理を続けるわけにはいかないねぇ。
分かったよ。あたしも諦めないからあんたたち、力を貸しとくれ」
ジルさんは出会った頃のように俺達に笑いかけた。
ただ、ちょっとだけ目が赤いような気がした。
それから少し時間を空けようかと思ったのだけど、ジルさんたっての希望ですぐに話し合いを始めることになった。
俺達は別に平気なのだけどジルさんは大丈夫なのだろうか。そんな不安を持っていたわけだけど、話しはじめてすぐそれが杞憂だったと思い知った。
「まず初めにエバンス商会のために集まってくれて本当にありがとね。
エバンス商会ははっきり言ってがけっぷちもいいところだ。普通に過ごしてたんじゃ間違いなく潰れちまうだろう。
だからこれからはあんた達の力を存分に借りたい。覚悟しといてくれよ」
「おう、任せとけ!」
ザックさんを筆頭に四人とも次々声をあげる。そんなこと言われなくともここに集まったメンバーは覚悟の上なのだ。否が出るはずがない。
「もうあんた達は知ってるだろうけど、今エバンス商会は情けないことに借金が返せないでいるんだ。これさえ返せれば何とかなるんだけど、期限が一年しかないし額が多い。多分普通に商売をしているだけじゃもう間に合わないんじゃないかと思うんだよ」
「それではどうしようもないのではないか?」
「それがそうでもなくてね。商会として将来性を見せることが出来れば出資を集めることもできるし、借金も待ってもらえるかも知れないんだよ。だからエバンス商会としてはそっちを狙っていくことになるね」
つまりこれからは通常の営業に力を入れるより、何か新しい商売なり何なりを考えて将来性を見せるための活動に力を入れる必要があるということか。
理屈は分かるのだけどかなり大変なことになるだろう。なにせ平時であっても大変なことなのに、今は借金という時間制限まであるのだ。とはいえそれしかないならやるしかない。
「そのために私が転移の魔具を開発している」
「あんた前から何かやってるとは思ってたけど……転移の魔具を作ってたのかい?」
「ダミスに対抗するにはそれしかないと思った」
「でもあんた……いや、違うね。
ミラ、頼んだよ」
「もちろん」
ミラはジルさんを見つめ力強く頷いた。
ミラが転移の魔具を作り始めてそれなりに経っていることは聞いている。そしてまだ完成しそうにないということも。
だというのにミラはまるでいつもの注文を受けるように頷いて見せたのだ。
「俺達はミラが存分にやれるようにサポートすればいいんですね?」
「そうだね。魔具の開発にはかなりの資金がかかるからあんた達にはそれを稼いでもらうよ。
恥ずかしい話だけどあたしだけじゃ月々の返済やらで十分にミラを支えてあげられないんだ」
「けどよ、ダミスに知られちまったのにそこまで稼げるのか?」
ザックさんが言っているのはダミスが妨害をしてきて売上が落ちないかということだろう。
今までどれほど敵対していたか知らないけど、ダミスの帰り際の様子を見る限りこちらの売上を下げるために何かしてくることは容易に想像がつく。それにアスが獣人ということもばれてしまったのだ。そう考えれば妥当な心配と言えるだろう。
「厳しいかも知れないけど、これしかやりようがないんだよ」
「……ジルよ」
「前も言ったけどあたしはこうなることも覚悟で雇ったんだ。アスちゃんが悪いことなんて一個もないさ」
ジルさんは言い切るがアスの顔は晴れず肩を落としたままだった。
たぶんアスが欲しかったのは責めない理由ではなく居ていい理由なのだと思う。
自分が悪いと認めてしまえば獣人であることが悪いと認めることになるから、アスは自分が悪いとは思わないし思えない。実際アスは悪くないのだからそこは問題ないだろう。
ただそうだとしても、それだけではアスがエバンス商会に居ていい理由にはならない。なぜなら接客も難しくなるだろうから、このままではアスは『何も悪くはないけどマイナス影響のある存在』になってしまうからだ。
ジルさんが辞めなくていいというのも、現時点ではアスが欲しいというより危険は覚悟していたんだから責任は取るという色が強い。いくら責められないといっても誇り高いアスがそれを良しとするはずがないのだ。
だからこそ俺は下を向くアスに声をかけた。
「ねぇ、アスはエバンス商会の従業員なのは間違いないんだけど、もう一つ重要な役割があるの忘れてない?」
「獣人の王族であるということは忘れておらんぞ」
「そっちじゃなくって監視役の方だよ」
本当に監視のためなのかアスに外を見せる理由作りのためか意図は分からないけれど、王様が土地を渡してくれるときに出した条件の一つ。初めから監視されてる気はまるでなかったのだけどアスの役割の一つということに間違いないだろう。
アスは虚をつかれた様にピクリと反応した。
「確かにその役割は任されておるが、それがどうかしたのか?」
「アスがサンライズにいる意味の中に監視があることも思い出してもらいたくてさ。アスがいてくれなかったら俺はここにいられないんだから」
新参者で大した成果も挙げていない俺が土地をもらうことができたのは、監視役としてアスという適役がいたことが大きいのではないかと思っている。聞いたわけではないからはっきりとは分からないけど、確実に理由の一つではあるだろう。
つまり俺がサンライズに来てエバンス商会で働くことが出来ているのもアスのおかげといえるのだ。
「それはそうかも知れんが」
「それに今まで一緒に働いてきた経験からいうんだけど、俺はアスと働きたいよ」
かなり恥ずかしいことを言っている自覚はあるけどこれはまぎれもない本心だ。二人で働く楽しさを知っている俺には一人の寂しさは少し辛い。
必死の説得が功を奏したのかはにかんだようにアスは笑った。まだ気になる部分はあると思う。でもこれ以上は人に何か言ってもらうんじゃなく、自分で考えて役割を見つけなければどうにもならない気がするのだ。だからあと俺にできるのはその役割を見つけるまでの時間を稼ぐことだけだろう。
姿勢を直してジルさんのほうに向き直った。
「アスは俺の監視のためにサンライズについてきてくれました。アスが不調ならその間は俺が補います」
「別にアスちゃんを責める気はないからいいけど、補うって一体何をする気だい?」
「遠慮なく魔法を使います」
そう言った途端、俺を除く四人が同時に怪訝そうな表情になった。その気持ちは分かる。こんなこと急に言われたら俺でもそうなるだろう。
「ジルさん、俺ずっと考えてたんです。俺の魔法ってもう少し商売に役立たないかって」
「珍しいものを扱えるし在庫を抱える危険もないんだ。今でも十分役に立ってるんじゃないのかい?」
「それはそうですけど家から出られないんですからもっと役立って欲しいと思いますよ」
確かにジルさんの言う通り俺の魔法は今でも随分役に立っている。たくさんの品物を扱っても在庫の心配がまったくないし、出せないものもあるけどこちらの世界では見たこともないものを売ることができるのだ。拙い商売経験で着実に利益を上げることができているのもひとえにこの魔法のおかげだ。
でも魔法を使った成果が制約に見合うほどかといえばとても頷くことはできない。だからいろいろ考えた。
「それはそうだろうけどこれ以上どうするっていうんだい?」
「俺の魔法って『多くの人が妥当と思える価格』を払うことで何か出すことができるじゃないですか」
「前に魚を出してくれたときにそう言ってたね。だから食材の販売じゃあ儲けられないって」
「俺もそう思ってたんですよ。でも考えてみれば『多くの人が妥当と思える価格』って裏を返せば『少数の人が高い、もしくは安いと思える価格』ってことになりません?」
以前ミリアは油揚げなら多少高くても買うといっていた。その時は深く考えていなかったけどそれこそがこの魔法を生かす鍵であるような気がするのだ。
安価な食材であれば妥当な価格が分かれることはそんなにないだろう。でも高価になればなるほど、専門分野の領域になればなるほど妥当な価格とは人によって分かれていくのではないだろうか。お金持ちがありえないような高級食材や調度品を買い、一流の職人が過剰なまでに材料や器具にこだわるように。
「俺も他のやつらが見向きもしないようなものでも新しい食材なら買ってみようと思うな」
「私も。性能が悪くても面白い魔具なら買ってみる」
「なるほどね。簡単に言えば高くても欲しがりそうな人に売るってことか。でもあんた食材と生活用品しかだせないんだろう。そんな都合のいいもの出せるのかい?」
「生活用品は増えてきてますけど微妙だと思います。でも食材ならちょっと自信ありますよ」
台所から容器や皿を持ってきて机の上に置く。そして魔法を発動すると一枚の皿の上にきれいな霜降りのいかにも高そうな肉が現れた。これをアスは覚えてくれているかな。
「それはあのときの肉なのか?」
「覚えててくれたんだね。い……狼の姿で会いに来てくれたときご馳走したお肉だよ」
「アスちゃん知ってるのかい?」
「うむ、あれは我が食した肉の中でも一二を争うほどだ。ペガサスの肉にも負けておらん」
「おまっ、ペガサスっつったら貴族でもめったに食えん高級食材じゃねえか!」
職業柄かジルさんも反応していたけどザックさんが一番大きく反応した。なんでもペガサスの肉は食肉の最高峰で高価ながら市場に出れば即座に完売してしまうほどの人気食材らしい。
品種改良を重ねた牛を最高の環境で育てた肉なのだから売りの一つにはなるかと出したけど、まさかここまで評価が高いとは思わなかった。
「このクラスの肉になると普通の市場じゃ出回らねえから『多くの人』じゃどれぐらいが本当に妥当なのか見当もつかんだろ。ちなみに出すのにどのぐらいかかるんだ」
「この量で四千フォルぐらいですかね」
「……おいおい。売りに出したら奪い合いになるレベルだぞ」
「これを軸に販売すればいけるかも知れないね……!」
「それでもいいですけど候補はまだまだありますよ」
そもそもこの魔法はどういうわけか食材の品揃えが異常なまでに多い。使っていくうちに加工食品も出せるようになって種類が大幅に増えたけど、そうじゃなくても初めの段階から松坂牛なんてピンポイントなものまで出せたのだ。それを考えれば候補となりえるものだって一つであるはずがない。
魔法を発動し日本にいた頃にも食べたことのないような高級食材を次々と食器のうえに載せていく。肉類、野菜に果実や調味料。一つ出すたびにザックさんやジルさんが目を見張る。
最後には唖然とし始めた二人を横目に一目で高品質と分かるような食材が所狭しと机の上に並べられた。
魔法を使い終わった後一瞬の静寂が訪れる。
「……聞いたことなかったけどあんた魔法で何種類ぐらいの食材を出せるんだい?」
「どれぐらいなんでしょう? 多すぎて数えたことないです」
「ありえない」
「ほんとにね。まったく、何者なんだいあんたは」
ミラが呟き、ジルさんは呆れたように苦笑を洩らした。
ジルさんがした質問の答えは、異世界から来た人間だとか神様に魔法をもらったやつだとか何通りもある。もうそろそろ信じてもらえそうな気はするのだけど、何者だと聞かれてそうの辺りを答えるのは自分の中でしっくりこない。今の俺にとって一番しっくりくるのは――
「森の住人で、エバンス商会の従業員ですよ」
間違いなくこれだろう。
それを聞くとジルさんは下を向いてくつくつと笑い始めた。
「その通りだ。変なこと聞いて悪かったね」
「ご理解いただき感謝です。
どうでしょう、これならしばらくの間はアスの分を補えますか?」
「もちろんさ。森の住人組の働きとしては十分だよ」
魔法が予想外に高評価だったから、この言葉はきっとジルさんの本心だろう。ほっと胸をなでおろす。
本質的な解決になっていないような気がしないでもない。でもこれでしばらくの間はアスも居心地よくできることを探せないだろうか。
そう思ってちらとアスのほうを見るとなぜかぐしぐしと泣きそうな顔をしていた。
「ちょ、ごめん! 下手なことしたなら謝るから許して!」
「違う。サイトウには感謝しておる。ただ、なんだか、急に」
ごめんなさい、お願いします、助けてください。
俺に泣いている女の子を慰めるなんて超高等技術はありません。それどころか未来永劫手に入れられる気がしません。
迷うまでもなく俺一人では対処しきれないと判断。捨て犬にも負けない気持ちで助けを求めるが、なぜか三人とも椅子から立ち上がり帰り支度をしている。
「ザックに引っ張られてきたから今やらなきゃいけない仕事を放り出してきてるんだよ。魔法の利用案があればまた夜にでも伝えにきとくれ」
「俺もそろそろ支度しないと夜の営業に間に合わなくなるから帰るとするか」
「……今魔具を作ると神が降りてくる気がしないでもない」
んなことだれも聞いてねえよ。
ジルさん、みんなの力を借りるとか言っといてこっちの危機は無視ですか。ザックさんもジルさんのときはあんなに早く駆けつけてきたのに。あとミラはせめてちゃんとした理由を言おうね。
となりでアスが泣いているのに声を出して助けを求めるわけにもいかない。薄情者たちは手を伸ばす俺にガッツポーズといい笑顔を残して扉の向こうに消えていった。
室内には俺とアスの二人きり。これほどまでミリアが急に現れてくれないかと願ったのは初めてだった。
ただいくら俺が適正ゼロとはいえ、このままそばであたふたしているわけにもいかないだろう。それに技術はなくても少しでも楽になって欲しいという気持ちはあるのだ。
意を決して近くに座りなおしぽんぽんと背中を撫でる。特に抵抗しないのだから嫌がってはいないと取らせてもらおう。
気の利いた言葉は一つとしてない。それでもほんの少しでも楽になってもらえるようにゆっくり、ゆっくり撫で続けた。