残された傷跡。
俺の後ろに隠れるようにして二階から降りてきたアスをまず真っ先に迎えたのは、ジルさんの言葉でもアルドさんの言葉でもなく、ダミスの不躾な視線だった。
アスの容姿にびっくりして凝視してしまっているならまだ良い。しかしダミスの視線はまるで商品の良し悪しを検討するようなもので、到底初対面の女の子に向けるべき視線ではなかった。
「お待たせしました。アスフェル、挨拶して」
「はじめまして。われ……私はエバンス商会で働いている、アスフェルといいます」
アスはダミスの視線に気付いたのか少々警戒しているような様子だったけど、それをあまり感じさせないようたどたどしい言葉遣いにおどおどした様子で頭を下げた。
本来王女であるアスはこういったあいさつは完璧なはずだから、先ほどの話に合わせるために演技をしてくれているのだろう。その様子はまさに不十分なところがありそうな従業員そのもので、アルドさんはまだしもダミスに違和感を感じられるようなことはないはずだ。
「ほう、まさかこんなところにこのような少女がいるとはな。アスといったか、わしの店に来る気はないか。ここより良い待遇で迎えてやるぞ」
相変わらず気に障る視線でアスを見ながら、俺の時と同じようにダミスは勧誘を始めた。その声は俺の時よりも少しは優しげな、いや少しはマシな感じになっていて、俺よりもダミスの中で優先度が高いことが伺える。だけどやっぱり根本的な部分は上から見下した様子で、俺からしてみればまるで人を勧誘しようとしている態度だとは思えなかった。
「も、申し訳ありませんが私はこの店で働きたいと思っています」
「なに、遠慮しなくてよいのだぞ。ここより賃金を上げてやるし、下働きのような仕事も極力減らしてやろうではないか」
アスが一度断わったにも関わらず、ダミスはしつこく勧誘を重ねてくる。商人である以上簡単に諦めるようではダメなのだろうけど、雇い主の前でここまでしつこく勧誘するのはさすがに問題だろう。アスも断わったにも関わらず続く度重なる勧誘にいらだっているのか、だんだん断わり方が雑になってきている。
「ダミス様、ここまで断わっているのですからその辺りにしておいてはいかがでしょうか」
これ以上続くようならもう止めないと。
俺がそう思ったとき今まで静観していたアルドさんがダミスに声をかけた。市長側としてダミスの態度を見かねての静止か、アスの状況を見かねての助け舟かはわからないけど俺が止めに入らずにすんだのはありがたい。
「なかなかいい人材だと思ったのだがな。まぁこの店の状況を知りながらここまで断わるのだからそこまでの者ということか」
「はい、無理に引き抜く必要はないかと思います」
ダミスはアルドさんの一言で先ほどまでの態度が嘘のように勧誘をやめてしまった。よほどアルドさんを認めているのだろう。傲慢な貴族といった印象のダミスにここまで信頼されるのは並大抵のことではないはずだ。もともとある程度の地位を持っていたのか、それともそう認めさせてしまうほどの実力があるのか。どちらかは分からないけどあまり敵に回したくはない人だということは分かるのには十分だ。
それにしてもアスに対する勧誘を聞いていて引っかかったのだけど、ダミスのいうエバンス商会の状況とは一体どういうものなのだろうか。
確かに以前ミラからエバンス商会の現状を聞いていて、お世辞にも良好とはいえないことは知っている。それでもジルさんが借金を減らそうと休みなく働いているし、微力ながら俺たちもそこそこ利益を上げているのだから致命的な問題というほどではないはずだ。そしてそのことを商売敵であるダミスたちが知らないはずがない。
ダミスの相手をしているジルさんの後ろに立ちながら考えをめぐらす。でもダメだ、情報が足りなさ過ぎて答えが出ない。
傍から見ても考え事をしているのが分かったのだろう。悶々としている俺にアルドさんが声をかけてきた。
「サイトウさん、先ほどから何か考え事ですか?」
「あ、いえ、そういう訳では……」
「そうですか。ところでサイトウさん、あなたは今エバンス商会がどういう状況か知っていますか?」
まさに今考えていたことを当てられ思わず動きが止まる。それが答えになってしまったのだろう。にこやかなアルドさんの笑みが少し深くなったような気がした。
そしてそれだけではない。ダミスもそれを聞き、見た人が嫌悪感を催すような笑みを浮かべた。エバンス商会にいちゃもんをつけに来たダミスたちからすれば、格好の攻めどころを見つけたようなものだろう。
一体俺はなんのつもりだったのだ。いくら気になるとはいえダミスたちを前にして他のことを考えてしまうなんて。ここまで来てしまえばどう転んでもミラから聞いたことは話さなくてはならない。
アルドさんに指摘された瞬間からまるで石のように固まってしまったジルさんに目をやった。
完全な俺の失態だ。
「エバンスよ、これは一体どういうことだ。まさか従業員にエバンス商会がどういった状況か伝えていないわけではあるまいな」
「私とサイトウは店の借金のことは知っています!」
「はい、そのことは以前ジルから聞きました!」
ジルさんがなにか反応を見せる前にアスと二人で声を張り上げる。
今俺にできることはこれ以上傷を広げないこと。さすがのジルさんでもこの状態で落ち着いて対応することなんてできないはずだ。ならば反応を見せる前に借金のことは以前から知っていたと俺たちが話の流れをもっていくしかない。
ジルさんは驚いたような――怯えたような様子で俺たちのほうを向く。ジルさんごめんなさい、この話にあわせてください。
「申し訳ありません。言っても良いものか分かりませんでしたが、聞いていなかったと思われるのが我慢できませんでした」
「すいませんでした。サイトウともども罰は後でいかようにも」
「あ、ああ。そのことについては気にしなくていいよ」
秘密にしていたはずのことを急に知っていると言われたのに、こんなに早く話をあわせてこられるなんてさすがはジルさんといったところだろう。少々言葉が上ずったかもしれないけどあれなら大声にびっくりしたで十分通る範囲だ。ダミスも期待はずれといわんばかりに顔をしかめている。
実際ここにいるのがダミスだけだったらこれでこの話は流れていたのだろう。しかしここにはもう一人油断ならない人がいるのだ。
アルドさんは微塵も残念そうな様子を見せることなく質問を続けた。
「では返済期限はいつかご存知ですか?」
「……そこまで詳しくは聞いていません」
以前ミラが話してくれたときにその話は出なかったので正直に言うほかない。聞き方からそこまで余裕がないことは分かるけど、下手なことをいってこじれてしまうよりはいいだろう。
「聞いていないとは驚きです。実は返済までもう一年を切っているのですよ」
「一年ですか!?」
余計な情報をを与えないためにあまり反応しないよう心がけていたつもりだった。しかしあまりの期限の短さに大きく声を上げてしまう。
思わずジルさんを見るが彼女はただただ下を向いて震えているだけだった。
その様子からアルドさんの言っていることが本当だと嫌でも理解させられる。
「まぁ従業員に店の状態を話さなかったからと言って法的に問題があるという話ではありません。しかし――いささか信義に欠けるのではないでしょうか」
「その通りだな。わしならそんなことはとてもできん」
アルドさんの言葉が目に見えてジルさんを攻め立てる。
本来であればそんなことないと俺が庇うべきなのだろう。しかし今の俺はアルドさんの言葉が正しいと心の片隅で思ってしまっているのだ。
別に教えてくれていればエバンス商会で働かなかったという恨み言を言いたい訳ではない。知っていれば何もできなかったとしてもどうすればいいか考えることができたと言いたい。知っていればジルさんの負担を減らすためにもっと働くこともできたと言いたい。そして何より、どうして伝えても辞めたりしないと信じてくれなかったのかと叫びたかった。
静まり返った店内には、外からの喧騒が聞こえるだけだった。まるで物理的な重圧を持っているかのような沈黙が流れる。
そしてその沈黙を破ったのはアルドさんだった。
「ダミス様、視察も大方済みましたのでそろそろ引き上げるとしましょう」
「そうだな。ではお前達、精々商売に励むといい」
この状態にしておいて、こんな気持ちにしておいて商売に励めと言うのか。
ダミスに対する怒りと我慢しろという理性。目にもの見せてやるという反骨心とジルさんに信じてもらえなかったという虚脱感。いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃになって俺はまともな反応をすることができなかった。
アスとジルさんもそうだったのだろうか。二人とも碌な反応をすることもなく、俺と同じようにまるで出来損ないの機械のようにダミスたちに頭を下げた。
「この店では従業員に礼儀の基本も教えていないようだな。上の者に頭を下げるときは帽子なども取るということも知らないのか?」
ダミスは立っているのもやっとのようなジルさんに、アスの頭のバンダナについて指摘する。
はっきり獣人だという確信を持っての指摘でなく、ただ少しでもジルさんを責めようという目的のそれは、アスをダミスの前に出すに当たって最も恐れていたものだった。
おそらくこの世界でもその辺りの常識は日本と同じなのだろう。言っていることは至極まっとうで、俺も立場が違えば賛同しているようなものだ。
しかし今それに従うわけにはいかない。バンダナを外してしまえばアスが獣人だとばれてしまうのだから。
なんといえばこの場をやり過ごせるだろうか。この危機的状況を脱するために動かない頭を必死に動かすがいい案など何も出ない。
追い詰められ俺がパニックを起こしそうになったときジルさんがゆっくりと口を開いた。
「アスフェル、バンダナを取って頭を下げなさい」
「……ジルさん?」
どうしたのかとジルさんを見るが彼女は下を向いてこちらを見ない。
明らかに様子がおかしいとはいえ、雇い主の言葉。アスも代案が何も浮かばなかったのかため息を一つ吐きバンダナに手をかけた。
後ろで縛った結び目を解き頭からゆっくりバンダナを外す。
そこに現れたのはこの街で恐れられている獣人の証たる獣の耳だった。
「貴様、獣人だったのか!」
「そうですが何か問題があるというのですか?」
「何が問題かだと? 貴様ら獣人など、人のまがい物など存在すること自体が問題だ!」
アスたち獣人に、森のみんなに対してこいつは人のまがい物といったのか?
ジルさんから問題を起こさないでくれと言われていなければその場でダミスを殴りかねない衝動が体を駆け巡った。しかしそれもあっという間に霧散する。隣に立つアスから鈍感な俺ですら背筋が震えるほどの強烈な怒りを感じたからだ。
「だめだアス!」
「サイトウよ離せ! こやつは!」
とっさにアスに飛びつくが、子供とは言え獣人の王たるフェンリルを一般人である俺が止められるはずがない。案の定あっという間に片手で吹き飛ばされ、勢いのまま壁に打ち付けられた。
人ではありえないほどの圧倒的な力。おそらく俺では止めることはできないだろう。しかし動くことのできる限り止めなければならない。
ふらつく体に鞭打ち頭を上げると、視界に飛び込んできたのは俺を振り払った姿勢のまま固まり蒼白な顔をしているアスの姿だった。
「ダミス様、急ぎ馬車にお戻りください」
「あ……ああ」
アルドさんは動けなくなっていたダミスを外にいた護衛に引き渡し、周りを固めさせると馬車の中へ避難させた。
その手際には一切無駄がなく俺はまるで人事のようにその様子を眺めていた。しばらくして指示を出し終えたのかアルドさんがこちらを向く。
「王国には獣人を虐げていいという法もなければ権力者ならば罪が消えるという法もねえ。今のはダミスに怪我もねえし、原因を作ったのは明らかにこっちだからあいつが何か言っても押さえておいてやる。ただこれからかなり厳しいことになるのは頭に入れとけ」
アルドさんはそれだけ言うと自分も馬車に乗り込んだ。そしてそれを見届けた御者はまるで逃げるように馬車を急発進させた。
あっという間にいなくなった馬車が店先からいなくなり、店内にはまるで嵐が過ぎ去った後のような雰囲気が漂う。いや、実際に過ぎ去ったのが嵐程度だったならばどれほど良かったのだろう。ジルさんは顔を押さえしゃがみこんでしまっているし、俺も根本的な部分でどうすればいいか分からないほど精神が乱されてしまっている。ダミスたちが残していったのは嵐などとは比較にならないほど深い爪跡だった。
「二人ともごめんよ。こんな店に引きずり込んじまって本当にごめんよ」
ジルさんは顔を押さえながら俺たちに何度も何度も呟いた。その声は痛ましく、今にも消え入ってしまいそうなほど小さかった。
「ジルさん――」
「お願いだから、もう何も言わないでおくれよ。
ヴェルニスの言ったとおり借金の返済は近づいているし、これからもっと辛いことになる。今更で悪いけど、あんた達はこんなボロ舟に乗る必要なんてなかったんだ。
もし辞めたくなったらあたし……いや、本店にいる誰かに言伝しておいてくれればいい。未練がましく引き止めたりなんかしないからさ」
ジルさんはもう何も聞きたくないと俺の言葉を遮り、俺たちが出て行くのが当然かのように話を進めていった。
諦観の念だとか、絶望の表情だとか、そういったものすら浮かべることができないほど憔悴しきっているのだろうか。幽鬼のようにふらりと立ち上がったジルさんの瞳はいつもと違いまったく光が灯っていなかった。今にも倒れてしまいそうなほどふらふらと、一歩一歩本店に向かって歩き出す。その姿は自分の店に帰るのではなく、まるで逃げたくとも逃げられない地獄に向かっていくかのようだった。
本当ならば任せてくださいといってあげたい。しかし俺にはジルさんでも返しきれないほどの借金を一年以内に返済しきる術なんて何もないのだ。ジルさんだってそれは分かっている。だからこそ、その場限りの耳障りのいい言葉で誤魔化すようなことはできないしそんなことをしたくなかった。
いや、それだけじゃないんだ。確かに俺は誤魔化すようなことをしたくないとも思った。でも一方で確実にジルさんを責める気持ちがあったのだ。
なんで市長とここまでうまくいっていないことを伝えてくれなかったのか、なんでここまできて自分から諦めるようなことをいってしまうのか。
無論市長との関係を教えてもらっていても森にいた頃の俺は今と何も変わらない選択をしただろうし、従業員に店の状態を知られたうえ獣人を雇っていたということをダミスに知られてしまったのだから諦めの気持ちが強くなるのも分かる。それでも理屈ではどうにもならない部分が納得していなかったのだ。
「こんなんじゃダメだよな」
実際ここまで来てしまえば恨み言を言っても何も変わらない。俺たちにできることは次にどうすべきかを考え、最善と思われる行動を繰り返し足掻いていくことだけなのだ。
そのためにはなるべく早くこの気持ちに整理をつけ、少しでも迅速に行動し始めなくてはならない。気持ちを静めるために一度深呼吸をした。
「アスは大丈夫だった?」
「う、うむ。我は大丈夫だ」
アスは俺の言葉にはっとしたように言葉を返した。しかし本人は大丈夫だといっても顔色は悪く座り込んでしまっている。
ダミスにあれだけひどい侮辱をされたうえ、ジルさんからあんな言葉を聞かされたのだ。頑強な獣人といえ体調が悪くなってしかるべきだろう。
立つのを手伝おうとアスに手を差し出す。だがアスはその手を断わり自分でゆっくりと立ち上がった。
「そこまでしてもらわなくて大丈夫だ。ただ今日は少々疲れた。もう部屋に戻らせてもらっていいだろうか」
「もう今日はとても営業なんてできそうもないからね。ゆっくり休んで」
「すまんな。では失礼させてもらうぞ」
それだけ言ってアスは自分の部屋に戻って行った。当然部屋に残るのは俺一人。
――どうすりゃいいんだよ
一人心の中で呟いた。
◆
「獣人なんぞを雇うとはエバンス商会は一体何を考えておるのだ!」
市長邸宅に向かう馬車の中でダミスはエバンス商会を言葉の限り罵っていた。握り拳で座椅子を叩きつばを飛ばすその姿は傍からいくらなんでも過剰に思える。しかしダミスからしてみればこれでも足りないぐらいなのだ。なにせ本人は決して認めることはしないが、一度アスフェルを、獣人を自分の店で働かせてしようとしまったのだから。
そしてその怒りは獣人を雇うというありえないことをしていたエバンス商会へと向かう。可能であるならば今日にでもエバンス商会を潰してしまいたいほどの気分だった。
「ダミス様、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!」
「エバンス商会がわざわざ弱みを握ってくれたのです。喜ぶべきことではありませんか」
「……しかしだな」
アルドに言われて冷静になったダミスは、この状況がこちらにとって有利であることを理解し始めた。確かに腹は立つがそう考えればそこまで悪い話ではない。
「ここは感情を抑えて冷静に利だけを見てください」
「確かに商人でたるもの一時の感情よりも利に注目すべきだな。よし、早速帰り次第エバンス商会が獣人を雇い入れていたことを街中に知らせる手筈を整えるのだ」
「お任せください」
「エバンスめ、劣等種族である獣人を雇ったことを後悔するがいい」
ダミスはそれだけ命令すると自分の行動に満足し嫌らしい笑みを浮かべ始めた。その表情はまさに愉悦そのもので、頭の中では返済の期限を待たずに瓦解していくエバンス商会の様子が想像されているのだろう。
しかしその対面。ダミスの前で普段どおりの笑顔を見せているアルドはそこまで状況を楽観していなかった。
アルドから見てもエバンスは優秀な商人だ。エバンス商会の情報を集めてみてもそれは伝わってくるし、諦めずできることを模索し商売を続ける姿勢は得がたい資質と言えるだろう。果たしてそのエバンスがこのタイミングでただの獣人を雇うものだろうか?
考えられるのはアスフェルがただの獣人ではなく魔物の森の獣人という可能性。それならば追い詰められたエバンスが獣人というリスクを背負ってでも雇うことは十分にありえる話だ。そのつてを使って森から有用なものを得ることができれば大きな利点となるのだから。
「エスタリア商会としても獣人を雇うような商会は早く潰してしまったほうがいいとは思わんか?」
「申し訳ありませんが私程度が商会の代弁をすることなどできません」
思考を寸断するように声をかけられたアルドだが、そんなことはおくびにも感じさせない様子で答えを返した。
アルドは顧問商人としてダミスに仕えているものの、完全にダミスの部下かといえばそういうわけでもない。アルドはエスタリア商会という王国最大規模の商会に所属しており、いわば雇われ商人のような形でダミスの側についているのだ。
雇われたと聞けば忠誠を持って従うものに比べて信用ならないという印象があるかもしれない。しかしエスタリア商会においてそのようなことはまるで当てはまらない。なぜならエスタリア商会にとって経済を回す金銭とは体を巡る血と同じであり、金銭による契約とは血の契約にも等しいものとして扱われるからだ。
だからこそアルドはダミスに対しカケラも忠誠心を持っていないが裏切ることも手を抜くこともありえない。例えダミスよりはるかに好感の持てる相手を敵に回すことになろうとも、契約の範囲内である限りダミスの顧問商人として叩き潰すのだ。
「その辺りは相変わらずだな。まぁいい、新たな命令だ。これよりエバンス商会を敵とみなし確実に潰しにかかれ」
「お任せください」
アルドはダミスに向かって丁寧に頭を下げた。
契約の範囲内である限りダミスに命じられれば否はない。この瞬間を持ってエバンス商会は明確に倒すべき相手となったのだ。
ダミスはこれをひどく容易な命令と思っているのだろう。
しかしアルドにしてみれば今のエバンス商会は追い詰められているとはいえ不確定要素があまりに多く、容易とは言い切れない命令だった。
なにせ精神的に弱ってこそいるものの優秀な商人であるジル=エバンスに森の獣人かもしれないアスフェル。魔物の森の危険地帯に単身で入り込める怪物ザック=ラグ、若干十五歳で特級魔具士になった天才ミラ=セフィラスもいる。そしてあと一人。
(サイトウって言ったか。この時期に雇ったのは獣人と仲がよかったからか、それとも――)
これ以上考えるのは情報を集めてからだな。
アルドは思考の海に沈みそうになった意識を頭を振って引っ張り出した。
外に目をやれば徐々に近づいてくるダミスの邸宅が見えた。
こちらが有利とは万一がないとは言い切れない厄介な相手だ。情報収集に根回しと邸宅についてからすべきことは山ほどある。
「奇跡なんぞ起こさせねぇよ」
エバンス商会にとっての死神を乗せた馬車が邸宅の中に入っていった。
やっと卒論から開放されました。辛かった。
ひさしぶりなんで文章に違和感あったらすいません。