明日の朝は頑張って起きねばな。
「毎度あり、またよってくれよ!」
野菜を大量に買っていったザックに、少し太った店主が声をかける。
おそらく常連と言っても良いぐらいの間柄なのだろう。ザックは「値引きしたら考えてやるぞ」とぞんざいに返し、店主も「釣りはいらねえぐらい言ったら考えてやるよ」とそれに応じる。
そんな言葉通りでない、気安くふざけた会話を聞いていると思わず頬が緩んだ。
森では立場ゆえ親しくもどこか遠慮した関係が多かった我だが、この街でこんな会話ができるようになるだろうか? 新たな地での新たな可能性に思いを巡らせていると自分が話していた訳でもないのになんだか楽しい気分になり、笑いながら店主に手を振った。
「俺は店に戻るがお前はどうする?」
何件か回り買った肉や野菜といった大荷物をこぼさないよう、首だけこちらに向けザックが問いかけてきた。
「我はまだ他のところもを見て回ろうと思う。世話になったな」
せっかく街に出てきたのだからザックの店で昼食を食べたいとは思っているが、時間的にまだ早い上、朝食をしっかり食べたこともあり今はまだ食べる気分ではない。腹ごなしも兼ねて適度に散策し、昼を少し過ぎた辺りでザックの店に行けばちょうど良いぐらいだろう。
「おう。じゃあ俺は行くが昼は絶対うちに食いに来いよ! 場所はこの道をしばらくまっすぐ行って曲がったところだ。まぁ、分からんかったらそこら辺の奴に聞きゃ何とかなるだろ」
なんとも雑なセリフを残すとザックは笑いながら店があるという方向に歩きだし、角を曲がりすぐに見えなくなった。
「さてどこへ行ったものか」
ザックと別れ一人になると腕を組み呟く。
ザックの話によるとサンライズに来た当初に聞いたサンライズ鉱山や市長の家は、行っても外から見ることしかできずつまらないらしい。山を掘り石を探すという鉱山や、この街のいわば王であろう市長の家は一度見ておきたかったものだが外からしか見えぬのでは仕方がない。今日のところはザックの勧め通り中央広場という所に行くとするか。
もと来た道を振り返り、建物の上に文字盤をのぞかせる中央時計の下を目指し足を進めた。
「おおっ!」
さまざまな物からの誘惑を振り切りやっとのことでたどり着いた我を待っていたのは、他の場所とは一線を画す活気を見せる露天の集まりだった。狭いスペースにこれでもかというほど商品を並べ、目立ったものが者が勝ちだとでもいうように声を張り上げる商人たち。客も良いものを探すためいくつもの露天を見て回り、じっと商品を見ていたかと思うと値段交渉で店主と激論を交わす。森ではありえない、まるで狩りのような熱気を放つ商売の場がそこにはあった。
「露天が我を呼んでおるわ!」
そんな光景を見ていると居ても立ってもいられなくなり、早速露天の一つに駆け込んだ。
「らっしゃい! 満を持して王都からやってきた首飾りがありますよ! 見てってくださいな!」
「うむ、見せてもらうぞ」
王都からやってきたという言葉に若干の期待を持ち、台の上に載る首飾りに目をやった。
……が果たしてこれは良いものなのだろうか? 激しい主張をする石がいくつも付けられており、確かに豪華な印象は受けるがセンスがないと感じてしまう。こんなものを自信満々で紹介しておるとはもしかしたら人間と獣人とは感性が違うのかもしれんな。
自分の中で結論を出すと早々にその露天を後にした。
その後はふらふらと何件もの露天を回ったが始めの店とは違い軒並み満足のいくものだった。
中でもさまざまな模様の織物を売っていた露天は格別で、飾り布を一枚買ってしまうのも仕方のないことと言えよう。
買った飾り布を脇に抱えながら八件目に入る店を探していると、前方の露天に人が集まっておるのが見えた。
「おいてめえ、もういっぺん言ってみろ!」
「一回で聞き取れボケが。詐欺師は消えろっつったんだ」
なにやら大声が聞こえてくる。気になって人垣を掻き分けていくと、以前店に来た赤髪オールバックと店主であろう髭づらの男が言い争っているのが見えた。
「俺が詐欺師だと!? 言いがかりつけてんじゃねえ!」
どうやら赤髪が店主のことを詐欺師だと言い、店主がそれを怒っているらしい。
それにしても詐欺師とは穏当でないな。一体どうしたというのだろうか?
「お前さっきこの客にそれをアコルって言ったよな」
「物を知らねえ奴は黙ってろ!」
「へえ、これがアコルなぁ?」
そう言って赤髪は筋の入った長細い木の実を取るとひどく面白そうな、バカにしたような笑みを浮かべた。
「アコル。西方に分布する香辛料で主に肉料理の香り付けに使われる。特徴的ながら上品な風味で西方や王都の富裕層を中心に人気が高い」
途端、店主の顔色が変わる。
「そんなアコルだが一つ注意すべきことがある。それはアコルタという香辛料だ。見た目がアコルに似ていて、味もまぁ……アコルのような感じがすると言えなくもない」
「こ、これがアコルタだって証拠がどこにある!」
「筋五本がアコルで六本がアコルタだろうが。そこまで言わせんな」
迫力に押されたのか赤髪が言い切ると店主は言葉を詰まらせ黙ってしまった。我は筋が五本だからどうしたといったことは分からぬが、雰囲気から察するに赤髪の言うことが正しく店主が嘘をついていたのだろう。
一連の会話を聞いていた客が怒りを顕わにし、店主に騙そうとしたのかと怒鳴り散らし始めた。
「もうすぐ兵士どもが来るだろ。言いたいことがあるなら商人ギルドの奴でも呼んでもらって言ってみたらどうだ?」
赤髪がそれだけ言うとこれ以上の面倒はごめんだとばかりに人垣を掻き分け歩き始め、周りの者たちも興味を失ったのかばらばらと散らばりだした。
もしかしたら再び露天巡りをするより赤髪に話かけた方が面白いかも知れんな。
そんなことを考え赤髪を後ろを追いかけた。
「そこの赤髪の者よ、待つのだ」
足の長さのせいか小走りになりながらも赤髪に追いつき声をかける。
「……それは俺に言ってんのか?」
赤髪は足を止め辺りを見回した後、めんどくさそうな顔をしてこちらを向きそう言った。
「うむ、先ほどの様子を見ていたが騙されようとしている者を助けるとはやるではないか」
ずっと見ていたわけではないだろうに騙されようとしている者に気が付く技量といい、強面の店主にそれを問いただす心がけといい見事なものだ。そう考え心からの賛辞を送ったのだが、赤髪が何かに気が付いたような顔をして放った言葉はひどいものだった。
「ああ、エバンスのとこで眠ってたガキか」
よし、落ち着こうではないか。
「……よく聞こえなかった。もう一度言ってくれぬか?」
「ああ、エバンスのとこで眠ってたガキか」
「……そういえば自己紹介がまだだったな。我が名はアスフェル、アスと呼んでくれ」
「そうか、ガキ」
「……ぬおおお!」
確かに名乗ってもいない身なれば一回目は許そう。しかし我の言葉の意図を察したであろう後に言った二回目、完全に笑うのをこらえておった三回目は明らかにわざとであろう! 無礼者、無礼者めっ!
「痛え、痛え! 悪かったからそう叩くな!」
まったく、なんと口が悪いのだ。きっと先ほどのことも騙される者を思ってのことでなく、店主の方が気に入らなかったなどの理由でしたに違いない!
我が叩くのをやめると赤髪は目元を拭ったあとバカに真面目な顔で話しかけてきた。
「失礼、リトルレディ。あなたがあまりに可愛らしかったものでつい調子に乗ってしまいました」
確かにその姿は赤髪の容貌も相まり様になっており、心底謝っているように見えるのだろう。しかし――
「この期に及んでそんなことで誤魔化されるわけなかろうがー!」
さんざんからかわれた我からすれば謝罪どころかそれはまさにからかいの一環。迫真の演技ゆえにかえって信じづらく、あまりの胡散臭さに鼻が駄目になってしまいそうだぞ!
「あー、悪い悪い。あんまりからかいやすそうだったからつい調子に乗っちまった」
元から誤魔化す気すらなかったようですぐに胡散臭い喋り方を止め口調を直す赤髪。そんな捻くれた性格だからぞんざいな口調が似合いすぎておるのだ。真面目に喋るたび周りの者から失笑されてしまえ。
「まったく、調子に乗りすぎだ。我ほど寛容でなければ決闘が始まっておるぞ」
「随分な力で叩かれた気がしたんだがな。随分寛容なことで」
「オホン……我も名乗ったのだからそろそろ名乗って欲しいのだが?」
赤髪は腰に手を当て喉で笑う。
「それもそうだな。俺はアルド=ヴェルニス、アルドでいい。よろしくな」
少し腰を曲げ差し出された手は先ほどの態度からは信じられないほど気のいいもので、意外なほど自然と握ることができた。
「結局お前は何で俺を呼び止めたんだ?」
「先ほどの露天での行いを褒めたかったのと、なぜそんな似合わぬことをしたのか気になってな。だがそれについては分かったからもう良いぞ」
どちらともなくふらふら歩き始めやっと本題に入った。
これまでの恨みをのせて言葉の中に嫌味を混ぜるが、そんなものはどこ吹く風とアルドはまったく気にしていない様子だ。
「へえ、お前に会ってから理由を言った憶えはないんだがな。どんな理由だと思ったんだ?」
「どうせ人助けでなく店主に腹が立ったとか太陽が目に入ったとかそんな理由に決まっておるわ」
自分で考えついた理由だが不思議なほど違和感なく思える。むしろこのタイミングで「騙されそうな人を放っておけなかったから」など言われてもまるで信じられん。
「くくっ……あながち間違ってねえから始末が悪い」
おそらくこやつのクセなのだろう。また腰に手を当て喉で笑っておる。
「まあそれはいいとして、お前はこの時間に何やってんだ。店開いてるんじゃねえのか?」
なんだその笑みは。もしや我が仕事を抜け出してこの辺りをうろうろしておったと思っておるのではあるまいな。
「我はサイトウに頼まれ商売のためになるものはないかと探しておるのだ。暇そうにしておるおぬしとは違うわ」
「そりゃ悪かったな。まぁ許せ」
「うむ、分かればよいのだ」
半ば理由付けのようにサイトウがくれた目的だが思わぬところで助けられた。こやつの前で目的もなくふらふらしていたと言おうものならどんなことを言われるか分からんからな。サイトウよ、感謝するぞ。
とはいえこの理由を盾にするのもサイトウの善意を利用しているようで心苦しいものがある。これ以上何か言われる前に早く話題を変えるとしよう。
「ところでアルドは一体何をしておるのだ?」
「俺もお前と同じようなことだな」
「なんだおぬしも商人だったのか」
「……似たようなもんだな」
そう言うとアルドは苦笑を漏らす。
なるほどだからアコルという植物についてもあそこまで詳しく知っておったのか。
アルドに質問しながら露天見学をしていたのだがこやつの説明が簡潔すぎることもあり、しばらくすると広場を一周して我が入ってきた辺りまで戻ってきた。一通り露天も見て回りいい時間になったのでそろそろ行くかと思ったところに首飾りを売っていた店が目に入る。
「アルドよ、あの店で売っている首飾りは本当にそこまで人気があるのか?」
それを聞きアルドはそちらに目をやると興味を無くしたかのように目を逸らしこちらを向いた。
「少なくとも俺は知らんな。というかそもそも人気があるとは言ってねえだろ、あれ」
「満を持して王都からやってきたのではないか?」
「満を辞すってのは十分に準備をして機会を待つって事で人気があったから来たってことじゃねえよ」
なんと! ……だが確かに言われてみれば必ずしも人気があるという意味にはならんな。まったくなんと紛らわしい言葉遣いをするのだ。
「あの店には文句を言いに行かんのか?」
「『勘違いする人がいたら可哀相だから』ってか?」
むむむ。まるで我の心を読んでおったかのような、嫌味溢れる返答をしてくるでないわ。
「あれぐらいは店側の経営努力だ。あんなもんにまで文句言ってたら息苦しくて仕方ねえよ」
「ふーむ、そんなものか」
森でも商売しているものはおったが、あんなことを言っておらんかったからいまいちしっくり来ぬな。だがまあここは森ではなく人間の街なのだ、それぐらいの違いはあって当然だろう。
「アルドよ、世話になったな。我はもうそろそろ昼食に行こうと思うがおぬしはどうする?」
「俺はまだ行くとこがあんだよ。ガキはさっさとどっか行ってろ」
「ええい、うるさいわ赤髪よ!」
この期に及んでまたガキ呼ばわりとはなんと無礼な奴だ。もう一度叩いてやろうかとも考えたがアルドの言葉を思い返し手が止まる。
アルドはまだ行くところがあると言っておった。それはつまり行くところがあるにも関わらず我に付き合ってくれたということ。もちろんあやつも露天をしっかり見ておったから我に付き合うためだけに回っていたわけではないのだろうが、余計に時間がかかったのは間違いない。
そんなことを考えておると叩く気がどんどん無くなっていくが、かといってガキ呼ばわりされた後に再び礼を言う気にもなれん。
しばし固まりどうすべきか考えた後、アルドにくるりと背を向け歩き出す。うむ、その礼ということで先ほどの無礼を許してやることにしよう。
自分が文句を言った後という事実を頭の隅に追いやり若干足を速めると逃げるようにその場を後にした。
中央広場を離れておよそ二十分、やっとのことでザックの店にたどりついた。ザックから説明を受けたところまでは問題なく進めたもののまったく知らぬ道はそうはいかない。不安になり歩いていた者に聞いてみると道が一本違う始末。これはザックに一品奢ってもらわねばな。
ザックの店である<闘魂亭>に入ると、昼には少々遅い時間だというのに多くのものが食事をしていた。皆幸せそうに料理を食べていることからもこの店が繁盛しているだろう事が分かると言うものだ。
知っている者がうまくいっているのを見て嬉しくないものはいまい。
周りの客の顔に目をやり、笑いながら店の奥に進んだ。
「おう、アスじゃねえか! 遅かったな!」
「そう思うならもっと詳しく場所を言っておかぬか」
カウンターの奥から声をかけてくるザックに返事をする。
それを聞くとザックが反応するよりも早くカウンターにいた者たちが笑い始めた。
「お前また適当な道案内したのかよ!」
「俺もお勧めの店聞いたとき、まっすぐ行けばまあ分かるだろとか言われたもんなぁ」
どうやら前にも同じようなことがあったらしい。なんともザックらしいと言うべきか。
「それにしてもこの子はどうしたんだ?」
「確かにな、こんな可愛い子とお前の接点がまるで思いつかん」
「そいつはこの前できたエバンス商会の新しい店舗で働いてんだ。お前らの食ってるラーメンもその店で材料買ってんだぞ」
ザックの言葉を聞き見てみると確かにこの者たちの手元にはラーメンの器が置いてあった。改めて見回してみるとこの客たちのほかにもラーメンを食べているものはちらほらいる。
味から考えれば当然のことだが、なかなか人気なようで何よりだ。
「そうなのか! いや、見慣れない物ばっか売ってるらしくていまいち行く気になれなかったんだが今度行ってみるよ」
「そうしてくれ、歓迎するぞ」
「アスちゃんだっけ? 俺も行くから歓迎してくれー!」
「うむ、ただしちゃんと買っていくのだぞ?」
「お前らそれぐらいにしとけ。アス、お前もそろそろ注文したらどうだ?」
言われてみれば店に入ってから話してばかりでまだ注文していなかったな。
カウンターに座り壁にでかでかと書かれている日替わり定食を注文する。
「あいよ!」
大声でザックが答え料理を作り始める。
料理を待つ間はどうしたものかと思っていたのだが、先ほどの客が親切にも話しかけてきてくれ全く退屈することはなかった。
その客はこの街に来てまだ日が浅いことを話すといろいろな場所について説明してくれ案内までかってでてくれたが、さすがに初めて会った者にそこまで迷惑をかけるのも悪いので礼を言いながらも遠慮する。相手もやけに残念そうにしながらも笑いかけてくれた。
「日替わり定食お待ち!」
ザックが間を割るように定食を出し話は一時中断となった。出された定食はいい匂いをさせており早く食べろと訴えてくるようだ。
「ではいただくぞ!」
食器を持つと定食の願い通り早々と料理に取り掛かった。
「じゃあな、また来いよ!」
威勢の良いザックの声に送られ<闘魂亭>を後にする。食べ終わった後もつい話を聞いてしまい帰るのが遅くなってしまったな。
もうそれなりの時間になってしまったため大回りしながらも直接家に歩を進める。
今日聞くことのできた話は非常に興味深い物が多く最後まで全く飽きることなく聞くことができた。
中でも絶対に見ておくべきと言って紹介してくれた場所は特に興味深く、迷惑も考えず話してくれた者に案内を頼んでしまいそうになったほどだ。
さまざまな物に目をやりながら歩いていると日が傾きかけた頃に家までたどり着いた。改めて家を見ると我だけが楽しんできてしまったという罪悪感のようなものが頭をもたげるが何とかそれを押さえ込む。
サイトウはきっと我が遠慮しながら帰ってくることを望んではいない。ならば我がすべきことは申し訳なさそうにすることではなく、サイトウが楽しくなれるよう面白い話をたくさん聞かせてやることだろう。
扉を開け家に入ると笑顔のサイトウが我を迎えてくれた。その笑顔には卑屈なところはまるでなく、ただ純粋に我を迎えてくれ今日は楽しかったかと語りかけてくるようだった。
その気持ちが嬉しくて、その心が好ましくて。我は自然と表情をゆるめる。
「さぁ、サイトウよ。話したいことがたくさんあるぞ。覚悟するが良い!」
たくさんのお言葉ありがとうございます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。