再び応接室にて
顔を見せてくれるまでは、まだ頑張らないと。息を大きく吸い込んだら、顔を遮るように手を翳された。
「もう……っ、わかりました。これ以上は仰らないで……」
上半分だけ顔を見せてくれた彼女に、嬉しくなって笑顔になった。教師に叩き込まれた微笑みは、どこかに行ってしまったようで、自分でもわかるほど全開のやつだ。
「やっとお顔が見られました。風が出てきましたし、本日はやめておきますね」
葉擦れの音が大きくなってきたし、このままではせっかくの髪型も崩れてしまう。女性の衣装は風を受けると歩きにくいとも聞いた。
歩き出しながら、離れて着いてくれていた侍女へ戻ると伝える。
風に乗って、柑橘の花のような香りがした。彼女の香油か何かだろうか。落ち着くことが出来なかった所為で、今になって気がついた。とても好きな香りだと伝えるのは、構わないだろうか。
僕は、きっと何年経ってもこの香りを忘れられないような気がした。
応接室のご両親の元へ送り届けるまでに、これだけは確認しなければと、顔を覗き込みながら勇気を出して尋ねた。顔が見えやすいのは、背の低い僕の特権かもしれない。
エスコートの為に触れる腕へ知らず力が入る。
「僕は貴女の事を、お名前でお呼びしたいのですが……許していただけますか?」
◎
「長らくお嬢様をお付き合いさせてしまいました。お待たせしてしまい申し訳ありません」
幾分か和らいだ表情の父と御夫妻に、少し気が緩んだ。彼女を席に掛けさせつつ、髪はお父上に似たのかと気付き「そこも何だか良いな」等と思って見つめていると、
「まあまぁ……!あら、良い雰囲気ですこと」
などという婦人の一言で我に返る。僕と彼女の落ち着いてきていた顔が再び赤くなった。
初対面で真面目そうに見えたのは、先程のご令嬢が言った似非紳士の所為も有ったのだろうか。
僕達の様子を確かめた今は、喜んでいるような少し楽しそうな雰囲気だ。
「そのように見えるのならば、望外です。取り敢えず、お名前で呼ぶことを許していただけました」
できるだけゆっくりと席に戻り、見つめすぎていた焦りを感じさせないよう気をつけた。流石に、親たちに見られながら池でのやり取りをする訳にいかないのは、僕でもわかる。
「ならば、取り敢えず半年ほど後の婚約前提で、交流を持つという事で如何かな?」
伯爵の言葉に、もっと早く婚約を!と漏れそうになるのを抑えて、父と彼女の顔を伺う。
返事次第では、明日は一日ヤケ食いである。
「あなた、私はこのお話を進めていただきとうございます。」
婦人からの後押しもあり、父も良い笑顔で了承した。
「ご令嬢の意見は如何かな。何分、倅は若輩で至らない事も多いだろうが、長男に懐いていた故か指摘が有れば聞く質だ。半年もあれば為人も確かめられよう」
喪が明ける半年後、秋穫祭に合わせての婚約本締結が前提のようだ。
果たして肝心の彼女は、まだ少し顔の赤みを残しつつ、ほんのりと笑って頷いてくれたのだった。
「あ、ありがとうございます!やった!よろしくお願いします!僕、絶対に大事にします!」
「あら、気の早い事!でもその言葉……信じますわね」
笑顔の婦人から特大の釘を刺されたが、こんなに嬉しいのに大事に出来なかったら、僕が結婚できる事なんて今後無いんじゃあ無いだろうか。
心臓が、ばくばく鳴っている。何故か吸い込む息が震えている。これから過ごす日々は、きっと素晴らしいことが沢山あるに違いない。だって僕が彼女の為にできることは沢山あるはずだから、その全てが素晴らしいに決まっている。
思わず立ち上がっていた僕が返事をしつつ、そろりと着席した。父から溜息が、伯爵夫妻から笑い声が上がる中、ご令嬢からもささやかな笑い声が漏れた。
「……ふふっ。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」
……やっぱり、彼女は笑うと更にとても可愛い。




