表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侯爵令嬢は人魚を買う~理に縛られた帝国で、私は秩序を壊す。  作者: 絵庭 明


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

1.オークションと出会い

  黄昏の鐘が三度鳴ると、帝都の導灯(どうとう)が一斉に灯った。

火ではない。魔術師団が街路に張りめぐらせた導灯の紋が、花弁のようにゆるやかに開き、通りの上空へ淡い光を落としていく。

無数の光の花が街を包み、その規則正しい輝きは、夜の訪れよりも先に“秩序”を彷彿とさせた。


冬を呼ぶ気配の冷えた空気に、甘いバニラと焼きたてのパイの香りが混じっていた。

街角に仕込まれた香煙(こうえん)の魔導具が、定時に煙を吐き出しているのだ。吸えば心が落ち着き、嫌な記憶が少し遠のく……“記憶を柔らげる”魔術、らしい。

けれど、私はその香りを吸い込むたびに胸の奥がざらつく気がした。


(これ、要するに“考えなくていい匂い”だよね……)


 侯爵家の紋章を掲げた馬車の車輪が石畳を叩き、私は車窓越しに街を見た。

道の端には『人用』と刻まれた白い線、陰の溜まる側には『その他』とだけ彫られた無愛想な石標。

そこを、鈍い光沢の無骨な首輪をつけたドワーフの使用人が大荷物を抱え、息を切らして走っていた。足を傷めているのか、引きずっているようにも見えた。背後では監督役の兵士が杖の石突きを無言で鳴らしていた。


その光景から目を逸らし、静かにまぶたを伏せる。

他の誰も違和感を覚えない。見向きもしない。それが、この国の常だった。


(相変わらず胸くそ悪い……)


膝の上で手を組む。今から猫をかぶる準備だ。

指先で、ほんの小さな気を休ませる印を空へと走らせる。息を整え、吐くたびに心拍をゆっくりとゆっくりと沈めていく。よし。


「セイラ」


向かいに座る父の低く、抑揚のない声。窓を見たまま続けた。


「着いたら、にこやかにしていなさい。今日の夜会は慈善のための献金集めだ。余計なことは言わなくていい」


父の声は、いつもより硬い。胸元には人間至上党の薄紅の徽章(きしょう)。嫌でも視界に入る。


「慈善、ですか」


わずかに口角を上げる。


「“非人間種救済のための寄付”……救われるのは、寄付をした側だけですわね」

「……なんだと?」

「“慈善”という名の優越感を競い合う会、というやつですね。ほら、皆様“いい人”でいたいでしょう?」


父の眉がわずかに動く。怒りでも呆れでもない。ただ、理解不能なものを見る目。


「おまえは本気でそんなことを言っているのか?」

「ええ。冗談のつもりでしたけれど、伝わらなかったようですわ」


扇を軽く鳴らし、視線を外す。

父は小さく息を吐き、低く言った。


「セイラ、人間が上に立つのは当然のことだ。この国を造り、維持してきたのは我々だ。亜人は劣る。だから管理される。感謝されこそすれ、責められる筋合いはない」


言い切る声に、一片の迷いもない。

この人にとって“人間の優位”は理屈ではなく呼吸だ。いや、この人だけじゃない。


「けれど……」


口を開きかけた私に、父は視線を向ける。

その目には怒りも冷笑もなく、ただ“常識を教える大人”の穏やかさがあった。


「セイラ。おまえは、優しいのだろう」

「……はい?」

「それは悪いことではない。しかし、優しさは立場を誤らせる。この国の血統に生まれた以上、人間として上に立つのは義務だ。分をわきまえぬ情けは、腐敗だ」


喉の奥で息が詰まる。

父の声はまるで聖句の朗読。そこに悪意はない。だからこそ、いっそう寒気がした。


「はい、お父様。ご安心くださいませ」


完璧なお嬢様口調を置いてから、私は微笑んだ。淑女の鏡のような笑顔。

()()から持ち越した倫理観は喉元までせり上がるが、飲み込む。

窓に映る自分に、ほんの一拍遅れてまぶたが微笑みを追いかける。演技は筋肉と魔術だ。繰り返せば自然になる。


父はその笑顔を確認し、軽く頷いた。それ以上、何も言わない。

馬車の中には、香煙の残り香と沈黙だけが満ちていた。


(この沈黙こそ、この国の“正しさ”なんだろうね……)


窓の外、導灯の光が流れる。

花弁のように咲いた光が淡く街並みを照らし、ガラス越しに揺れる。整然とした美しさ。人の手で“完璧に管理された夜”。


馬車が止まる。

御者が軽く鞭を鳴らし、父が立ち上がる。

 

「降りなさい。笑顔を忘れるな」

「もちろんですわ、お父様」


私は裾を整え、扇を軽く鳴らし、いつも通りの貴族令嬢の顔を貼り付ける。


 


 

 会場は帝都一の社交会館「ルミナ・パヴィヨン」。

術式により天井そのものが半透明の夜空のようになっており、無数の光素が星座を形づくってゆっくり回っている。

玄関の扉には結界が二重に張られ、結界の縁をなぞるように鎖模様が脈打っている。意匠が正直すぎて笑える。

この結界は人用の魔力波形には柔らかく歓迎を示し、亜人の波形には刺のように反応する仕掛けだ。更にこの結界の内に入った亜人は体の動きが鈍化されるなど制限もかけられる。


(差別のための結界。技術は立派、使い道は最低)


出迎えの執事が頭を下げる。耳は丸い。『人』だ。

彼は魔導筆で私たちの名を宙へ走らせ、銀の板に転写する。来賓一覧に侯爵家の名が流れ、会場に微かなざわめき。

視線が集まる温度を肌が覚えている。褒め言葉と値踏みの熱は似ていて、少し焦げ臭い。


「ようこそ、侯爵閣下。今宵はチャリティの目玉として、素晴らしい“収蔵品”の披露もございます。皆さま、きっとお喜びに」

「それは楽しみだ」


父は磨かれた仮面のように、完璧に笑った。

胸の奥で、鈍く鉄がきしむ。17年経ってもまだ、帝国に染まりきれていない証だ。

前世の倫理観が、この国の常識に私を馴染ませない。


 

大広間の床は光を受けて波打つようにきらめく。頭上ではシャンデリア型の魔導具がいくつも浮かび、荘厳で美しい。けれど、どこか生気のない輝き。

その光に集うのは羽根飾りの令嬢、酒杯を傾ける若い紳士、古い紋章をぶらさげた老侯。

笑い声の合間、か細い悲鳴。側の通路で獣人の給仕が足を滑らせた。トレーが床に触れる寸前、私は掌を軽く上げる。

一筋の風が流れ、銀盆が音もなく宙へ浮かんだ。

 

「あなた、お怪我は?」


獣人の少年は、目を見開いたまま硬直した。尻尾が一瞬だけ動き、次の瞬間には背にぴたりと貼りつく。

血の気の引いた唇が震え、手に持ったナプキンが小刻みに揺れた。


「し、失礼しました……!」


声は裏返り、掠れていた。

反射的に床へ膝をつき、頭を下げる。叱責される前に、謝罪を差し出す仕草。この国では、大抵の奴隷が“反射”として覚える防衛本能だ。

 

「お気になさらないで。あら……お父様、この子の装飾が少し乱れているわ」


笑顔のまま、少年の襟元に指を添える。

金具の尖りを微量な魔力を流してわずかに歪め、丸める。誰にも気づかれないほどに。少年の肩がほっと落ちた。

父の視線が釘のように突き刺さる。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。

 

私は流れる仕草で扇を開く。真珠の縁に薄紅の羽根。扇面の内側には自作の隠蔽の魔術式が描いてある。

貴族らしい薄っぺらな言葉と表情の上から、更に一枚、薄い幕をかけるために。


「あら、セイラ嬢。すっかりご立派に。学園でもご活躍とか」

「恐れ入りますわ。先生方のご指導のおかげでしてよ」

「今季の課題論文、『術式の公共利用における倫理』……刺激的ね」

「お褒めいただき光栄ですわ。倫理は、魔術より癖のある学問でしてよ」


相手の耳に心地よいだけの軽口。前世で致し方なく身につけた“会議での呼吸術”が、まさか転生後に役立つとは。


ふと、紺の外套(がいとう)。学園の教導官が見えた。私に気づくと一瞬だけ眉を寄せ、何事もなかった顔で会釈した。

 

(あの表情は……「おとなしくしてろ」か。はいはい、心得ておりますとも。)


 

 壁際、壇の背後を覆う朱金のカーテンの奥に何かを隠すような扉が見えた。扉の上には、一般には解けない種類の防音・視線遮断の術印が細かく刻まれている。私は目を細めた。他の人には見えないらしいが、この世界に生まれた時から魔力の流れが私には視えていた。地味ながら転生特典というやつなのだろうか。扉の隙間からは冷たく湿った気配が薄く漏れていた。


(……水。それも“深い”)


喉がきゅっとなる。グラスの氷に指を触れ、体温を落ち着かせた。

扇の陰で小声で数える。


「……結界の層数、三。術者は五。二人は帝都警備隊の貸し出し、ね。やる気満々」


グラスの氷が音を立てて沈む。その向こうで、絹の裾と香水の波が揺れていた。


「流石、第二等級“銀”のお家柄は違うわねぇ」


(銀のお家柄、ね)

帝国では爵位を“色階”で示す。金・銀・紅・蒼・翠──〈銀〉は第二等級。

理性と純血の象徴であり、帝国中枢に直接命を下せる家柄だ。アルトリウム侯爵家もその一つ。

 

笑い声にまぎれ、針のような言葉が通る。

父と視線が合い、彼は小さく頷いた。意味は違う。父は「余計な波を立てるな」。私は「今はまだ」。


 楽団の調べが緩んだところで、仮面をつけた男が中央の壇上に上がった。黒い燕尾服に細く青い光が流れており、まるで夜空に回路を描くように魔力の糸が刺繍されている。一歩動くたび、光が淡く脈動し、生地の影を際立たせていた。

そしてそんな男の声に拡声の魔術が乗り、広間の隅まで滑っていく。魔声の響きは耳の後ろを撫でるように甘い。甘さに毒を混ぜるのが上手い人種だ


「ご来賓の皆々さま。ルミナシア帝国の繁栄のため、そして人類の明るい未来のため、今宵も寛大なるご支援を賜れればと存じます」


瞬く間に拍手が満ちる。父の指先まで均整のとれた拍手。

……見えない指揮者に従う人々みたいに。


(人類の未来、ね)


「第一部は舞踏と歓談、続く第二部にて、ささやかな余興をご用意しております。どうぞご期待ください」


“余興”。上手い言い換え。喉の奥で笑いを飲み込む。

父の知己、母の旧友が順に挨拶に来る。羽根扇子の隙間から、いくつもの視線がかすめる。


「銀の娘は気取りが強いな」

「はっ、首輪でもつけりゃ静かになるんじゃないか」


ああ、聞こえてる。全部。

ねえ、あんたたち。自分の歯で、舌を噛んだことある?

血の味は、案外すぐそこにあるんだけど。


天井近くの光素が色を変えた。合図だ。

舞踏の輪が解かれ、人々が壇前に集まる。司会役の声に合わせて音楽がすっと止む。

天井の星座がゆっくり組み替わり、海の獣の図形を象る。空気が、潮の匂いを思い出す。


「紳士淑女の皆々様。第二部の“展示”に移る前に、軽い趣向を。古来、人類の文化は未知を知ることで栄えました。今宵、その“未知”が皆さまの審美眼に委ねられます」


広間の空気が一瞬張り詰める。照明が落ち、青い光だけが残る。

薄闇の中、朱金のカーテンが音もなく左右に開いた。


そこには、巨大なガラスの水槽があった。


広間の中央に、突然海が運び込まれたように見えた。透明な壁の内側に深い藍が満ちている。水面には泡が幾筋も昇り、導灯の光を吸って淡く光った。


その水の中心に、人影。

しかし胴の下で揺れているのは、脚ではなかった。透き通る尾鰭(おびれ)がゆるやかに広がり、水を抱くように動く。

 


──────“人魚”だった。

 

鱗は青とも銀ともつかない色をしていて、貝殻の内側のように角度によって淡い虹の光を返している。水に溶ける宝石のようで目を奪われるほど美しかった。

息をするのも忘れるほど、透明で、それなのに、触れたら壊れてしまいそうなほど儚かった。

人生初の物書きです。お手柔らかにお願いします…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ