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悪役令嬢、噂の尾を掴む——処刑ルートを一度だけ巻き戻ったので、監察卿と情報改革します  作者: 妙原奇天


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4/10

第4話 偽りの祝宴、公開断罪劇の破壊

 春の終わり、王都の風は花の名残りと冷えた硝子の匂いをいっしょに運んでくる。

 王太子主催の祝宴の招待状は、厚い羊皮紙に金箔押し。封蝋は王紋。飾りに過ぎない形式だと知りつつ、セレスティアは封を切る指にほんの一瞬だけ力を込めた。前の時間軸で、この封を開いた夜から、彼女のドレスは裂かれ、言葉は引き裂かれ、名誉は台本に従って消費されたのだ。


(今回は、筋書きをわたしが握る)


 鏡台の上で髪を結い上げながら、彼女はポケットの数を数えた。祝宴用のドレスにポケットを縫い足すという作法破りは、女主人自ら裁縫箱を取り出してやった。片側には小さな懐中時計、もう片側には折り畳んだ紙——号外の最終ゲラ。縫い目に沿って硬い感触が心強い。

 肩に薄いショールをひっかけると、糸の端が指先に触れた。その感触は、工房で紙を束ねるときの麻紐にも似ている。


 視界の端では、今日も光の尾がうねっていた。王宮の方向に幾筋も伸びる太い線。そこから分かれた細い線が、学園、聖堂、宮廷詩人の書斎へと連なる。尾の一本ひとつは囁きの道筋で、太さは熱量、色は目的、速度は焦りを示す。

 いちばん濃い尾は、宮廷詩人の机でひときわ太っていた。そこに、台本がある。


     ◇


 宮廷詩人の書斎は、窓の重い部屋だった。昼でも薄暗く、紙束が光を吸っている。

 セレスティアは呼び鈴が鳴る前に扉を開けた男の顔を見て、意外だと感じた。彼の瞳は怯えと羞恥で曇っているが、まだ完全に濁りきってはいない。


「——オズボーン嬢」

「仕事は、言葉です。だから、言葉で来ました」


 詩人は胸ポケットからハンカチを抜き、折り目で額の汗を押さえる。机の上には薄い紐で綴じられた何枚もの紙。端が少し破れている。破れた部分から、聖堂専用紙の繊維がのぞいた。

 セレスティアの光の尾は、紙の繊維にまで入り込み、そこに刻まれた水印の骨格を拾い上げる。


「依頼は、聖堂の書記官から?」

「……そうです。『朗読台本』とだけ。内容は“世の浄化”。名前は書かれていない。ただ、贈り物のワインが二箱」

「あなたは書いた。これは、あなたの言葉?」

「私の手で書いたが、私の言葉ではない。……あの日から眠れないのです。文字の行間が、わたしの胸の内側を傷つける」

 詩人は指で紙の角を撫で、かすかに震えた。「わたしは、たぶん、ずっと言葉の責任を誤解していた」


 セレスティアはうなずく。

「なら、ここからがあなたの言葉です。渡してください」


 沈黙。窓の外で鳥が一声鳴き、詩人は観念したように紐を解いた。その一瞬、別の音が部屋の空気を固くした。

 扉のそばに、黒い外套。灰色の目。

 監察卿ルシアン・ヴァルハイトが、予告も足音も立てずに立っていた。


「——証拠保全」

 彼は淡々とそう告げ、机と扉の間の空気を楔で固定するように歩いた。

 紙の束は封印袋に収められる。袋の口には封蝋と糸。蝋に押された印章が「学園監察」の文字を刻む。

「詩人」ルシアンが短く名を呼ぶ。「君は、今ここで話したことを、同じ言葉で後日も話せるか」

「……はい。今度は、私の言葉で」

 セレスティアは詩人に向けて、紙を一枚滑らせる。学園新聞の投函口の絵が描かれた小片。

「反論の窓は、あなたのためにもあります」


 部屋を出るとき、光の尾がいっせいに逆立った。王宮のほうで、準備が進む。祝宴に合わせて、用意された“公開断罪劇”。

 セレスティアは外套の袖口をたたみ直すルシアンを見上げた。

「間に合います」

「間に合わせる」


     ◇


 印刷工房は、臨戦態勢だった。

 活字は箱から溢れ、見習いたちの手はインクで黒い。ルーは棒で紙束の端をコツコツ叩き、ミラは台所でクッキーを焼きながら、冷めた皿から順にトレイに乗せる。

「タイトルは決まってる?」

「決まってる。“今日、この場で起きる予定だったこと”」

 セレスティアは紙面の中央に縦の罫線を引き、右側に台本の全文、左側に台本の伝達経路の図を置いた。尾の線を簡略化し、誰がどこで太らせたかを丸と矢印で描く。「詩人」「書記官」「王宮舞台係」「王太子側近」。

 見出しの下に、小さく但し書き。「冤罪の可能性——検証欄参照」。

 紙の下部には、誰でも読める三つの質問だけを載せた。「見たのは誰か」「いつどこで」「どのように」——この順番に答えられなければ、物語は燃えない。


「配り方は?」とジョノが聞く。

「三波でいくわ。開場前、乾杯直前、そして“偽造だ”と叫ばれた直後」

「僕、二波!」

「ミラは三波。クッキーを持って笑う係。紙だけだと怖い顔が増えるから、砂糖を添えるの」

 ミラが笑ってウィンクした。「お任せ」


 ルシアンは工房の片隅で、別の準備を進めていた。

 彼が取り出したのは、小さな油灯と細工の施された真鍮の板。板の上に紙を一枚置き、油灯の火を遠くからかざすと、水印がじわりと浮き出る。

「教会専用紙だと、これが出る。偽造の言い訳は難しい」

「でも、声は上がるでしょう。だから、見せるの」

「ああ。見せる」

 ルシアンは油灯を吹き消し、蓋を閉める動作まで無駄がない。

 セレスティアは彼の手つきを見て、胸に熱い針が一本刺さるのを感じた。その針は痛くはない。生き延びるための方向を示す針だ。


     ◇


 王宮の大広間は、計算し尽くされた光の罠だった。

 シャンデリアは無数のガラス滴で滴り落ちるように吊られ、壁には金箔の蔓が走り、床は磨き上げられた黒の石。

 王太子エドモンドは、誰かの顔を完璧に装っていた。冷たい宝石の目。完璧な笑み。

 聖堂広報の男は、その横で硝子の笑顔をさらに薄くし、袖口の陰で合図を送る。

 舞台係が、幕の裏で台本の最終確認をしている。詩人の机から出たあの紙と同じ文言が、別の紙に清書され、別の人間の声帯に入る準備をしている。


 開場前、第一波。

 ルーとカスが背負い袋を抱え、扉番の死角から入って、そっと紙を置いていく。花瓶の陰、椅子の背、給仕のトレイの隅。

 「ご一読を」と小声で告げ、すぐに離れる。寄ってくる視線は、まだ好奇心。炎ではない。

 セレスティアは客に紛れ、ドレスの裾を響かせずに、誰がどこで読んだかを光の尾で確認する。貴族の若い夫人、財務局の小さな役人、学園の教師——尾が薄く輝き始める。


 乾杯直前、第二波。

 ジョノが背伸びをして皿の上から「号外!」と囁く。ミラは笑顔でクッキーを差し出し、「甘いのはいかが」と一緒に紙を手渡す。

 紙は想像以上に早く広がり、囁きは想像以上に揺れる。

 「断罪劇の台本?」

 「“今日、この場で起きる予定だったこと”?」

 声が反響し、光の尾は王太子の周囲で重なって太る。

 王太子の眉が、ほんのわずかに寄った。彼はまだ何も知らない。予定していた筋書きが、誰かの手で先に読まれているということも。


 侍従が杯を掲げる動作に入った瞬間、第三波。

 セレスティアはポケットから見本紙を抜き、前列の列に沿って一枚、また一枚と滑らせる。

 指先で紙が空気を切る音が、刃の音に聞こえた。


 そして——読まれた。


 音のない破裂が広間を満たした。

 目に見えないが確かに爆ぜたのは、予定調和だ。

 誰もがこの場で起きるはずだった物語——「聖女への嫉妬に狂った悪役令嬢を断罪する」という、型抜きの歓喜——に、突然、説明が差し込まれた。

 説明は熱を奪う。

 熱に代わって、質問が生まれる。


「偽造だ!」

 最初に叫んだのは、聖堂広報の男だった。硝子の笑顔は砕け、剥き出しの歯に唾が光る。「こんな紙は、我らのものではない!」

 ルシアンが前へ出る。ひと息の長さで広間の空気の重心を移動させ、油灯の蓋を開いた。

 紙の一枚を真鍮板に置き、火を遠くからかざす。

 じわり、と。

 水印が浮かぶ。聖堂の紋。羊皮紙に染み込ませた薄い薬剤が熱に反応し、模様を光に返す。

 ざわめきが沈み、次に、別のざわめきが立つ。

 偽造の叫びはひとつ、力を失った。


 王太子は一歩、前へ。杯を持つ腕が静かに下がる。「これは、何の意図だ、オズボーン」

 セレスティアは一歩、前へ。舞台の中央へ進む。

 心臓は静かだ。紙の匂いと砂糖が、胸の内側で熱の配分を整えてくれている。

 彼女は裾をさばき、深く、丁寧に一礼した。


「王太子殿下。わたくしは本日、婚約の再協議を正式に望みます。王国法第五章、および学内規程に基づき、書面にて提出済みです」

 「何だと?」

 「また、学内保護措置の発動をお願いします。公開の場で個人の名誉を傷つける演出の停止を。——学院長、監察卿」


 視線がふたつ、セレスティアの右と左に降りた。

 学院長は手にした書類を静かに掲げ、「受理済みだ」と短く言った。

 監察卿は印章付きの封を掲げ、「連名だ」と告げる。

 場の重力が反転する。

 断罪劇の台本は、この場で、破棄された。


 王太子の顔から笑みが落ちた。初めて、そこに人間の肌の色が戻る。

 怒りではなく、混乱。誰の顔でもない、空洞の顔。

 彼が何か言葉を探すあいだに、広間のあちこちで紙がめくられる音が重なり、質問の三つが、声に出される。「見たのは誰か」「いつどこで」「どのように」

 聖堂側の口は詰まる。

 詩人の机は証拠保全済み。舞台係の書類も押さえ済み。

 「冤罪の可能性」が、誰の目にも見える形で浮かび上がった。


 セレスティアは勝ち誇らない。

 ただ、深く息を吸い、吐く。

 息に砂糖の粒が溶け、喉に残らない。


「人の悪意が、別の悪意を呼ぶのを止めるために。わたくしは、透明にいたしました。断罪を望んだのではありません」

 その言葉は、広間の天井に跳ね返り、シャンデリアのガラス滴を一つ、震わせた。


 王太子はやっとのことで声を見つけ、怒号を絞り出した。「出ていけ!」

 だが、怒号は手続きの上を飛び越えられない。

 監察卿と学院長の連名措置はすでに敷かれている。

 セレスティアの身柄は学内保護下に置かれ、広間の衛兵は彼女ではなく、人だかりを制するために動いた。

 舞台の幕は、無音で下ろされる。

 やらかしたのは、断罪を仕掛けた側——という記録だけが、紙と目の底に残る。


     ◇


 祝宴は散会に追い込まれた。

 外に出る前、セレスティアは壁際で詩人とすれ違った。頬は青く、手は空。渡すべき紙はもうない。

 詩人は彼女に小さく頭を下げ、囁くように言った。「ありがとう。わたしは今日から、やっと自分の言葉で眠れます」

「あなたの言葉が、あなたの寝床になりますように」

 詩人は笑いとも泣きともつかぬ表情で去っていった。


 庭に出ると、夜気は冷たく澄んでいた。

 ルシアンが背後に立つ気配は、風よりも静かだ。

「面白い夜だった」と彼。

「砂糖を入れすぎませんでした?」

「適量だ。熱は削げたが、心は冷えていない」

 セレスティアは頷き、袖口の内側で小さな震えを隠した。緊張の残滓。興奮の名残。やり直しは、毎回、体のどこかに古い傷を思い出させる。


「送る」

「お願いします」


 馬車が待つ石畳までの短い道を、二人で歩く。

 道の端で、聖堂広報の男がこちらを睨みつけていた。硝子の笑顔はもうない。裸の敵意は、刃よりも扱いに困る。

 ルシアンは視線も向けず、しかし確かに男の位置に気づいている合図を空気に残し、歩き続けた。

「彼は次の名義を探す」

「わたしたちは、次の真名を用意する」

「敵は、数も言葉も持っている」

「暮らしは、砂糖と紙を持っている」


     ◇


 工房に戻ったとき、見習いたちはまだ起きていた。

 ルーが目を輝かせて走ってくる。「どうだった? どうだった?」

「予定調和が壊れた」

「やった!」

 ミラは皿を差し出し、クッキーをひとつ載せた。「砂糖、ちょうど?」

「ちょうど。甘さは、罵声を中和する」

 カスが壁の時計を見上げる。「次号、何書く?」

「“やらかした”のは誰か、ではなく、“どうやってやらかしを止めるか”。公開の場での侮辱を拒否する手順を再掲。それから、王国法第五章の簡易解説」


 版木を片づけながら、セレスティアは学内保護措置の文言を思い出していた。

 ——公衆の面前における侮辱の禁止。

 ——反論権の保障。

 ——名誉回復の手続き。

 紙にすれば、誰の家の壁にも貼れる法になる。暮らしの横に置ける。


 ルシアンが工房の奥を一巡し、窓の閂を確かめ、見習いたちの寝床の毛布を足で軽く押して厚みを確認した。

「今日は、ここに泊まる」

「監察卿室より固い板の床ですよ」

「板は、正直だ」

 短い会話が、砂糖のように口当たりをやわらげる。

 セレスティアは湯を沸かし、二つのカップにミルクティーを注いだ。

「恋は最後」

 自分にだけ聞こえるように囁く。

 カップの縁に、湯気の輪ができる。輪はゆっくりほどけて、夜に紛れた。


     ◇


 夜が明けると同時に、王都中に噂が走った。

 ——断罪劇は不発。

 ——台本が暴露された。

 ——教会専用紙の水印。

 ——学園が保護措置を発動。

 光の尾は、昨日よりも太く、しかし、湿っていた。湿り気は紙から、台所から、ミルクティーから、そして誰かが壁に貼った名誉保全の簡略版から立ち上っている。燃えにくい街。燃やしにくい朝。


 聖堂広報の男は、新しい呼び名を考えるだろう。「儀礼」「浄化」「王家の品位」。

 宰相府の黒い財布は、項目の名を変えて同じ出費に捻じ込むだろう。

 それでも、真名は一度覚えられた。賛辞は賛辞で、救済ではない。

 紙は、今日も工房の台の上で乾き、見習いたちの指で角を整えられる。

 暮らしは回り、数字は煮詰められ、透明は加熱されて深まる。


 セレスティアは学園へ向かう前、工房の戸口で振り返った。

 ルシアンが手短に指示を出し、見張りの交代を決め、最後に彼女を見た。

 灰色の瞳は相変わらず無表情で、その無表情が、彼の内側の熱を隠しているのが、今は分かる。

「君は、勝ち誇らない」

「誇るほどのことはしていない。透明にしただけ」

「それが、いちばん手間がかかる」

「だから、甘いものを用意するの」

 彼は頷いた。「帰りを送る」

「はい。今日も、お願いします」


 石畳に朝の光が落ち、影が長い。

 セレスティアは細い影を踏まずに歩き、光の尾の上に紙を一枚置くみたいに、一歩一歩、確かめながら進んだ。

 前の時間軸の公開断罪劇は、もうどこにもない。

 あるのは、誰かの手で書き換えられる説明と、それを読む暮らしだけだ。


(悪意の連鎖を、ここで止める。止められるだけ、止め続ける)


 胸のうちで小さく燃える火は、紙に移らない。

 紙は湿っている。湿りは、生活の湯気。

 その湯気の中で、彼女は今日もペンを持つ。


——第4話・了——

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