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アリアドネの柩  作者: 冬
4/4

恋する死神 03

003



「管理人さーん、ごめんなさい。急に声を掛けてしまって・・・」

 小夜子はみやび荘の1階の一番奥にある部屋の前で正座をしながら中に逃げ込んだ少年に話しかけていた。

「い、いえ、いいんです。ただ、お、落ち着くまで、待ってもらっていいですか?」

 部屋の中からはか細い声が聞こえてきた。

 どうやら扉から一番離れたところに居るらしい。

 胸に手を当てて落ち着こうとしているのが容易に想像できた。

「ええ、いいですよ。100年でも3685年でも待っていますから」

 小夜子が答えるよりも早くヴァルネが良く通る声で応じた。

 とたんに室内から、何かを落としたような音が聞こえた。

「さぁ、小夜子、食堂でお茶でも頂きましょう」

「え、でも・・・勝手には」

 背後で姿勢よく正座をしていたヴァルネは立ち上がると小夜子の肘に手を掛けて促した。

「そ、そうしてください。お、落ち着いたら行きますから」

「じゃ、そうさせてもらいます」

 またも小夜子の変わりに勝手に返事をしたヴァルネに連れられて、後ろ髪を惹かれる思いで食堂へ向かった。



 管理人の部屋の反対に位置する場所に食堂がある。

 奥にはカウンターがあり、酒の瓶が所狭しと並んでいる。

 ちょっと見るとバーのように見えなくもない。


 手前には長いテーブルが並び、20人ほどがゆっくりと食事できるだけのスペースが確保されている。


 ヴァルネは慣れた手つきでカウンターへ入り、紅茶の準備を始めた。

 ヴァルネは八幡家を塒にしている時以外は、ここの住人なのだ。

 小夜子にとって、ここは特別な場所で友人も多く住んでいる。

 その中のひとりが『管理人』と呼ばれる少年なのだが、いつまで経っても小夜子の存在に慣れてくれないのだ。



「ヴァルネさん、3685年ってどこから出た数字なの?」

 流れるような優雅な手つきで紅茶を淹れていたヴァルネの手が、ふっと止まった。

「小夜子は知らなかったんですね」

 と、逆に不思議そうな顔をされた。

「何を?」

 ヴァルネはカップに紅茶を注ぎながら、何気ない口調で続けた。

「ナヴェイルの年齢ですよ」

「3685歳なの?」

 思わず声が高くなってしまう。

「ええ、見事な若作りだと思いませんか?見習いたいものです」

 いやいや、そうじゃないだろう。若作りって作れる限界を超えすぎているだろう。

「中学生くらいにしか見えない・・・」

 小夜子が絶句して、手渡されたカップを手に管理人の姿を思い出していると、背後で小さな足音がした。

「お待たせしてすみません」

 振り返ると、大き目の洗いすぎで色の落ちた緑のシャツと脛が見えるほど裾を折ったジーンズを履いた、どう見ても中学生にしか見えない裸足の3685歳の悪魔が立っていた。





 顔でも洗ってきたのか、管理人の前髪とシャツの胸元は濡れて、束になった隙間から金色の瞳が透けて見えている。

 しかし、その不思議で綺麗な瞳も、どこか落ちつかなげにウロウロと彷徨っている。

 

ナヴェイルはヴァルネの淹れた紅茶を横目で訝しげに見詰めながら(多分、毒でも仕込まれているんじゃないかと疑っていたのだろう)、蝋封されていた手紙を開いた。

 少し硬い前髪は目を隠すほどに伸ばされ、鼻筋の通った顔を半分ほど隠してしまっている。

 人と目が合うのが嫌だというだけの理由で。

 ほんの稀にその前髪が無くなる(大概は住人達が悪戯半分に切ってしまうのだ)ことがあり、前髪の下の顔を小夜子も見たことがあったが、彫が深く十分整った顔立ちをしている。

 年齢のことも気になり、手紙の内容も気になり、小夜子は知らず知らずにナヴェイルににじり寄っていた。

 するとナヴェイルの小麦色の顔が赤く染まってきた。

 そして、じりじりと同じ距離だけ離れられてしまった。

(う・・・しまった)


 ナヴェイルは見事なほどの『赤面症』なのだ。


 この『赤面症』のお陰で、ナヴェイルが人前に出ることは滅多に無い。

 このみやび荘と空き地が彼の行動範囲の殆どだ。

 赤面症を理由にしているが、単に人間嫌いなのだろうと小夜子は思っている。



「どうですか?中々興味深い内容だと思いませんか?」

 手紙を読み終えたタイミングで、ヴァルネが人の悪そうな笑顔を向けた。

 ナヴェイルはチラリと顎を上げて、コホンと咳払いをした後で質問を始めた。

「この手紙の主は死神ですか?」

「ええ、書いてある女性の担当です」

「・・・何が知りたいんですか?」

「前例があるかどうかを」

「報酬は?」

「望みのままに」

「・・・それって、絶対?契約できますか?」

「はてさて、内容によります」


 そこでナヴェイルが見たことも無いような真剣な様子でヴァルネに視線を向けた。


「真実の名が知りたい」


「・・・それほどの報酬を渡すような内容とは思えませんが?」

 ヴァルネが小夜子のカップに紅茶を足しながら、横目でナヴェイルに視線を投げかける。

 微かに開いた瞼の奥からルビーのような透明感のある紅い瞳が覗いている。

 小夜子は一瞬息を呑んだ。



「ですよね」

 ナヴェイルはあっさりと答えて、ジーンズのポケットからボロボロの革の手帳を取り出した。

 じゃぁ・・・、と言いながらペラペラとページを捲っている。

「『13賢者の書』で・・・手を打ちます」

 仕方が無いなぁ、というちょっと意地悪な言い方に聞こえたのは、ナヴェイルのせめてもの抵抗だろう。

「ということは、心当たりがあるのですね」

「まぁ・・・」



 そう言うと、カップの中身を一気に飲み干して立ち上がる。

 そして、ふと気になったというように勧めかけた足を止めた。

「小夜子さんにも関係あるんですか?」

「ええ、お手伝いいただきたいと思っています」

 そこでナヴェイルは小夜子を振り返って、前髪の間から『本当ですか?』とでも言いたげな視線を向けた。

「・・・何を?私は散歩のついでに寄ったくらいのつもりで・・・」

 さすがに野次馬根性で付いてきたとは言いにくい。

 「どういうことですか!?」

 知らない間に巻き込まれてはたまったものではない!

 ふたりに噛み付くように質問すると、ナヴェイルが鼻から息を吐き出しつつ、じとっとした視線をヴァルネに向けた。

「小夜子さん、知らないって言ってますけど?」

「ええ、まだ話していませんから。しかし、いずれは私の妻となる身です。今回の件には関係があると思いませんか?」

 と、小夜子の方を一切見ないで会話を進めていく。

「妻になる身とか、勝手に決めないで下さい!」

 あわあわとヴァルナとナヴェイルの間に入って会話を打ち切ろうと両手を大きく振る。

「って、言ってますけど?」

「ナヴェイルにはまだ早い話です。女性の心と言うのは複雑で繊細で、素直になれないのですよ」

 と、幼い子供に言い聞かすように告げる。


 ナヴェイルは諦めた様に溜め息をつくと、もう一度椅子に腰掛け、小夜子に向かって話し始めた。

 もちろん、前髪に隠れていない頬の部分は桜色に染まっている。



「小夜子さん」

「はい」

「え、と、ヴァルネに任せていると、話しの全貌が見えないままにコトが進んでしまうので、僕から説明させてくださいね」

「お願いします」

 どうも視線の先は小夜子の肩先辺りにあるようだが、この際ちょっとした違和感を気にしていられない。

「今回は、ちょっといつもの仕事内容と違います。魂の回収ではなく・・・恋愛問題とでも言いますか・・・」

 言いにくそうに腕を組んで体を前に倒して唸りながらそこで言葉を切り、ちょっと間を置いた。

「兎に角、ある死神が死期に近づいた女性に恋してしまったようなんです。で、彼女を救うことはできないかと、死神の中でも桁外れに奔放で、身勝手で規律って言葉を知らないヴァルネに助けを求めてきたんです」

 中ほどの言葉は、ナヴェイルの心の叫びに聞こえたが、小夜子は大人しく拝聴した。

 拝聴と言うより、同意に近いか・・・?

「ご存知の通り、死神は担当した魂とは生きている間は直接会うことは出来ません。触れることも話すことも出来ません。でも、彼は担当した魂の宿る彼女に恋してしまい、彼女の寿命を延ばしたいと、その方法を知りたいと依頼してきたんです。


 普通の死神なら無視するか、一笑に付すかでしょうけど、ヴァルナは普通ではありませんので、この依頼を受けようと思っているようです」

 ナヴェイルはここで胸の大きなしこりを吐き出すように深い溜め息をついた。

「で、知識の泉として名高い、古書の蟲のナヴェイルを訪ねて来たのです」

 替わってヴァルナが言葉を結ぶと、ナヴェイルが不満そうに唇を曲げた。

「そう言ってるのは貴方だけですけどね」

「でも、その方法を知っている」

「まぁ、心当たりがあるくらいですけど」


 ヴァルネに向かって生意気そうに(青年位に見えるヴァルネと中学生にしか見えないナヴェイルの会話だとそう見えてしまう)言い切ると、トーンを抑えた声で小夜子に尋ねてくれた。


「これはヴァルネが依頼された仕事です。小夜子さんが手伝うかどうかは貴方の判断でいいんですよ?」



 小夜子は今日初めてまともに視線の合ったナヴェイルの金色の瞳を見ながら、ゆっくりと思考が止まっていくのを感じた。

「あれ、頭が・・・くらくらする」

「小夜子さん!?」

 慌てて小夜子の肩に手を掛けるナヴェイルと、その後ろでニヤニヤしているヴァルネが視界に入った。

「ヴァルネ!何を入れたんですか!?」

 身体の力が抜けて、思いどおりに動かない。

「貴方が余計なことを吹き込む前に効いてほしかったんですが・・・」

 ヴァルネの澄んだ声が頭の中で響いた。





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