第67話 白の余韻、名を贈る
祭りのあとの静けさは、時に心を落ち着かせ、時に次の一歩を照らしてくれる。
白い世界を離れ、ふだんの暮らしへ――けれど、新しい気配がそっと隣にいる。
雪霜の村の空は、イベントの終幕を告げるように淡い群青へと色を変えていた。
広場の掲示板には、薄青い告知がゆっくりと点滅している。
《雪霜の村イベント:集計中》
《イベントポイントは後日換算のうえ配布されます》
《一部クエストの結果はワールド進行へ反映予定》
ざわめくプレイヤーたちの間を抜け、シアンは拠点の小屋へ戻った。
肩には白い小さな体――霜牙の幼狼。腕の中の鼓動が、かすかな温もりと一緒に伝わってくる。
ロアスはその後ろをぴたりと付き、時おり鼻先で幼狼の背をそっと押し上げた。兄のような仕草が、頼もしくも可笑しい。
「まずは、いつものごはんからだな」
火を落とした鉄鍋へ、雪イノシシの残り肉と刻んだ根菜、森で集めたハーブを投じる。
とろりと香りが立ちのぼると、幼狼の耳がぴくりと動き、ロアスもつられてしっぽをふる。
湯気が窓の氷花を曇らせ、部屋にあたたかい幸福感がゆっくり満ちた。
木椀に盛って冷まし、まずはひとさじ――幼狼は慎重に舌を伸ばして味を確かめ、それから小さく鳴いて、次のひと口を催促する。
ロアスは自分の皿を一旦止め、幼狼の皿へ顎で「ここだよ」と示す。
「食べ方、教えてるのか?」
問いかけると、ロアスはふいと横を向き、しかし誇らしげに尻尾を一度だけ揺らした。
食後、炉の前。毛布を敷いた床に、幼狼をそっと寝かせる。
シアンは膝を折り、両手でその小さな額を包んだ。微弱な魔力が自然と滲み、額の下で星砂のようにきらめく。
幼狼は心地よさそうに目を細め、寝息の合間に、かすかな冷気の粒がぽつ、ぽつ、と宙へ浮かんだ。
「……名前、決めないとな」
独り言のように呟くと、幼狼の耳がぴんと立つ。
いくつか、口にしてみる。
「“ノエ”はどうだ。冬の祝祭の響きがある」
反応なし――首をかしげるだけ。
「“ユキト”は? 雪の使い手って感じで」
幼狼はくしゅっとくしゃみをして、ロアスの影に隠れた。ロアスが「違うらしい」と言わんばかりに目を細める。
シアンは少し考え、氷のきしみを思わせる短い音を口に乗せた。
「“リント”――凛として、冬(凛冬)を渡る、って意味を込めて」
幼狼がぱちりと瞬き、鼻先をシアンの手へ押し当てる。
長い睫毛の奥で、淡い光がひとすじ弾けた。小さな声が、確かに返事をする。
「……リント、か。よろしくな」
ロアスが一歩近づき、リントの額を軽く舐める。
白い毛並み同士がふれるたび、氷の結晶がひらりと舞って炉の炎に溶けた。
その時、ステータスウィンドウが柔らかく輝く。
《新たな契約段階:幼契を確立》
《霜牙の幼狼:リント》
《固有反応:零紋—微量の冷気を感応し、周囲の凍結危険を予知》
《親密度:Lv2→Lv3》
「危険の匂いを教えてくれる……頼もしいな」
シアンは毛布を整え、二匹が並んで休めるよう隣に自分のローブをたたんで置く。
やがてリントはロアスの前足の間に収まり、子どもらしい安心の体温をゆっくり広げていった。
外は、最後の花火のように雪が細く降り続いている。
村の焚き火の音、人の笑い声、遠くで鳴る鐘の音色――イベントの幕が下り、日常の調子が戻ってくる。
「明日は……街へ帰ろう。料理の仕事も、討伐も、少しずつ再開だ。リントの訓練も、ロアス、一緒に頼む」
ロアスはこくりと頷き、視線だけで「任せて」と言った。
リントは返事の代わりに、小さな氷の粒をぱらりと空へ浮かべる。
その粒はシアンの指先に触れた瞬間、水に変わって、するりと消えた。
「……きれいだな」
小屋の扉を少し開けると、夜気が冷たく頬を撫でた。
村の掲示板では、白い告知がまだ瞬いている。後日換算の文字は、努力が無駄でなかった証明になるだろう。
けれど、胸の真ん中で一番はっきりしているのは、数字でも報酬でもない。
ここに確かに残った、二つの気配だ。
「ただいま、って感じだな」
小さな灯りを落とし、毛布を肩に掛ける。
リントが寝返りをうって、シアンの方へ鼻先を伸ばした。ロアスがそれをそっと抱き寄せる。
明日が、少し楽しみになる。そういう夜だった。
白の余韻と、名を呼ぶ喜び。
後日、イベントポイントの換算と配布が行われます。日常と新しい日々が、静かに重なり始めました。
次回は18時更新予定です。お付き合い、ありがとうございます。




