第15話 君の名前はまだ知らない
幻獣が現れた。
氷のように静かで、確かにそこにいる彼と、初めて言葉を交わした夜。
だけど名前も、正体もわからない。
それでも、何かが始まりそうだった。
スープの器を空にした白い幻獣は、満足そうに目を細めた。
けれど、その表情が“嬉しい”ものなのか、シアンにはまだわからない。
「……ありがとうって、言うのか?」
「わからない。でも……おいしかった」
返ってきたのは、曖昧で静かな声。
幻獣の声は人のものに近いが、どこか冷たく透き通っている。
聞いていると、胸の奥が少しだけ凍えるような、でも温かくなるような、不思議な感覚だった。
「君の名前は?」
問いかけると、幻獣は少しだけ首をかしげた。
「……わからない」
「わからない、って……自分の名前、知らないのか」
うなずく代わりに、幻獣は前足で地面を軽く叩く。
その振動で、小さな氷の結晶がぱらりと舞った。
シアンはふと、言葉を口にする。
「……じゃあ、今は“君”でいい」
幻獣はそれに対して否定も肯定もしない。
ただ、ほんの少しだけ距離を詰めて、シアンの隣に横たわった。
夜風が吹いた。
けれど、寒くはない。
まるで、どこかの空間に結界でも張られたかのように、静かで、やさしい空気が流れていた。
「……氷魔法を使う人間って、初めて見た」
「君は……どこから来た?」
「わからない。ただ、呼ばれた気がした」
また、漠然とした返事だった。
でもその言葉には、“理由がある”ような響きがあった。
やがて眠気が訪れ、シアンは目を閉じる。
横には、白い幻獣が静かに息をしていた。
まだ名前は知らない。
でも、この夜を、シアンは忘れない。
“ロアス”という名前はまだ語られず、
でも確かに、シアンと幻獣の距離が近づき始めた回でした。
次回は朝。




