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愛しき世界の冒険者!―転生者が愛される世界に異世界転移―  作者: 彼岸りんね
第一章 『知らぬが仏の異世界転移』
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第一章8 『目覚めはスープとジャムとハーブティー』


 もっふ。もっふ。もっふ。


「んぶぶ……」


 もっふん、もっふん、もっふん。


 ふんわりとした圧が頬に当たり、繰り返し優しく押してくる感触。


「んぶわぁあっ!」


 反射的に目を見開いた百合霞(ゆりか)の視界に飛び込んできたのは銀灰の毛に覆われた柔らかな――巨大な獣の手だった。


「おはようございます、()()()()()。どうでしょう? わたくしの肉球マッサージ起床法は」


 覗くようにして、満面の笑みでそう問いかけてきたのは、昨日、百合霞にテントを貸してほしいと進言した、メイドのラカイナだった。

 その手には、指先に本当に肉球のような柔らかいパッドが付いた、まるで演出か工夫か、もはや天啓かと錯覚するもっふもふ手袋が装着されていた。


「す、凄いですね、その手袋……暖かくて、まるで本物の肉球みたいです」


「いえ、本物でございますよ?」


「……えっ」


 瞬間、百合霞の思考が止まる。


「わたくし、人狼(ウェアウルフ)ですので」


 ぱふっ、ぱふっ。


 そう言いながら、ラカイナは自分の肉球の実った手を数回、ゆっくり開いて、閉じて、見せてくる。

 黒く柔らかいそのパッドは、どこからどう見ても……本物。


「えっえっえっ、え、えええ!?」


「部分変化可能ですっ」


 混乱MAXの百合霞、口をパクパクさせながら、間近で観察を始めた。目は生気を取り戻し、光を放っていた。


「誠に勝手ながら、疲労回復効果及び精神安定効果を付与させていただきました〜。ところで()()()()()?」


「はっ、はい」


「ご朝食の準備ができております。よろしければ、共有テントにご案内いたしますが」


 ラカイナが、ほのかに香ばしい香りを纏いながら微笑んだ。百合霞の鼻がぴくりと反応する。


(あれ、なんか美味しそうな匂い……)


 ぐぅぅぅ~~~~~っ……!!


 静まり返ったテントに、ありえないほど長く、立派な腹の音が響いた。本人の意思とは無関係に、空腹が高らかに勝利宣言をしたのである。


「っ……ご一緒しても?」


「もちろんです」


 くすり、と微笑んだラカイナに手を引かれるようにして、百合霞は外へと出た。


 先ず外に出ると、百合霞は、己に一斉に降り注ぐ光に目を細めた。

 それから、異世界の朝を感じた。

 これだけの光が降り注いでいながら、朝の空気はひんやりとしていて、けれど日差しはじわりと温かい。風に揺れる草の香りが、寝起きの体にじんわりと染みわたる。


 共有テントは、焚き火の煙がゆらゆらと立ち上る中央の広場に建てられていた。木の支柱に丈夫な布が張られた、シンプルながらも居心地のよさそうな構造。中にはすでに何人かの人影が見えた。


(あ……ローテさんと、ヴァルクレイドさん……と?)


 テントの件で快諾してくれた恩人である青年、ローテが対面に座る長いの先が尖った少女と、全身鎧の騎士と三人で何やら話していた。すると、ラカイナに連れられた百合霞の姿に気づいて顔を上げた。


「おはようございます。流浪の御方」


「お、おはようっ、ございます……」


 ローテがにこやかに挨拶する。

 ヴィルクレイドはヘルムの中からちらりと視線を向けた後、特に言葉を発さずマスカットらしき果実を房から一粒ちぎってヘルムの下に入れた。

 長い耳の先を尖らせた少女は頬杖をついて、妖しく笑っていた。


(女の子、耳が……エルフかな……

 あれ? 何も頭に入って来ない……昨日はローテさんやヴァルクレイドさんを見ただけで色々と頭に入ってきたのに……)


 百合霞は昨夜のことを思い出しながらも、少し落ち着きを取り戻している。


「昨夜は、よくお眠りになれましたか?」


「ええ。あの、ありがとうございました。おかげさまで。……少し寝すぎた気もしますけど」


 ローテと会話しつつ、百合霞が離れた端の方に腰掛けると、ラカイナが手際よく席を作り、百合霞の前に木のトレイを差し出す。

 そこには、焼いた根菜のスープ、乾いたパンに甘いジャムのようなペースト、そしてハーブの香る温かい茶が整然と並べられていた。


「異世界っぽくない……!! いや、逆に異世界っぽい……?」


「こちら、ズワグラ芋とルクト根を煮込んだ滋養たっぷりのスープ、チュラ果の果肉とリルベリーの果汁を練り合わせた甘味ジャム、そして香り高いセイランの葉とドゥラスの実を煮出したハーブ茶でございます」


「めちゃめちゃ異世界だ……!」

(何その学校の保健室のポスターに絶対載らなそうな名前!)


 口に出した瞬間、鼻腔をくすぐるのはスパイスとは違う、土のように素朴で、それでいて奥行きのある香り。

 見た目はどれも素朴そのものだが、湯気の立ち上るスープからは、芋の甘さと根菜の旨味がじんわりと漂ってくる。パンは硬そうに見えるが、手に持つと意外にも温かく、ジャムのペーストがどことなく濃密な光沢を放っていた。


 何より、色合いが美しい。

 ルクト根のスープは濃い琥珀色、果肉ジャムは深紅に近いルビー色、茶碗に注がれたハーブ茶は淡い青緑――どれもこの世界でしか見たことのない色彩だった。


「さあ、召し上がってください。ちなみに、パンもラカイナのお手製なんです。彼女の作るパンは絶品ですから」


 ローテが小さく目を細める。百合霞は思わずパンをちぎって口に含む。

 先ほど堪能した肉球と同じくらいもっちりとした食感に、ほんのりとした甘み。

 目を見開くほど美味しかった。


「……っ、わあ……っ」


「お気に召してくださったようで、なによりです。あ、ちなみに、ちゃんと手は獣から人のへ変化させて作りました!」


 ラカイナがそっと笑う。その柔らかい雰囲気に、百合霞はようやく心がほどけていくのを感じた。




――◇――◇――◇――




(美味しい……)


 異世界の空気は未だ肌に馴染まないのに、食事の光景だけは、どうしようもなくあたたかい。

 誰かが用意してくれた、誰かと食べる、ただの朝ごはん。だけどそれは、百合霞にとって、何より現実を思い出させる力を持っていた。


(あれ、わたし……泣きそうになってる?)


 思わずまばたきをして、目を伏せる。

 どこか懐かしく、やさしいにおいが、胸の奥を静かに揺らしていた。


 次にパンにジャムをたっぷり塗って口に運んだその時だった。


「呪い。解けないね」


 唐突に、明るい声が響いたのだ。

 百合霞の手が止まる。咀嚼しかけていたパンが、喉の奥で詰まりそうになる。


 百合霞が振り向くと、さっきまで視界の端で我関せずと静かに、ラカイナからよそわれたスープを啜っていた長い耳を尖らせた少女が、無邪気に笑っていた。


「ローテ、駄目だよ。昨日の夜からずーっと解呪の術式組んでたけど、ゼンッゼン駄目! びくともしない! びっくりするくらい無理。どうしようもないくらい高度で難解な術式で構築されてる」


 カラッとした口調に、毒はない。ただの感想、といった風情。しかし、その内容は、百合霞の胸を冷たく締めつけた。


 百合霞は知らないが、その雰囲気は昨夜の彼女とは全く別人だ。


「あの……呪いって?」


 ようやく飲み込んだパンの甘味が、喉の奥で苦く変わる。


「あれ? 本人が気づいてない感じ? ……そうだよ。呪いの類だ。呪術とはまた別なんだけどね。君を悩ませてるの、頭に情報が流れ込むやつでしょ? 目を合わせるだけで、相手の記憶とか断片とか、ズシャアって入ってくるんでしょ? めっちゃかわいそー」


 長い耳を尖らせた少女はどさくさに紛れて百合霞の手元から盗んだパンをちぎりながら、さらりと言った。

 あまりに軽い口ぶりだったけれど、テーブルにいた誰も笑ってはいなかった。


()()()()()()()()()()()が我々の名を初対面で知っていたのは、呪いが関係してると? 君はそういうんだね?」


「あむっ……ん〜、ほんにんにひひ(きき)なよお」


 静寂が、落ちた。


 彼女の「呪い」発言がもたらした空気は、朝の穏やかだった食卓に一瞬で緊張の膜を張り巡らせた。そも、「そういう話をするための前段階、なんてことはない」と言えば嘘になる。と言った時間だったわけだが。


 ローテの指がティーカップの縁をなぞり、ラカイナは表情を消して紅茶の温度を測るようにその香りを嗅いだ。ヴィルクレイドは、手元のナイフを静かに布で拭っている。

 誰もが、次の言葉を百合霞の口から待っていた。


 その視線を、一身に受けて。


 百合霞は、喉の奥がひどく乾いていることに気づいた。思わず唇を舌で湿らせるが、震えは止まらない。手のひらに爪が食い込むのを感じながら、ぎゅっと視線を落とす。


 ――信じてもらえないかもしれない。


 でも、話さなければ何も始まらない。

 嘘は言わない。すべてを話す必要はない。でも、自分の口で、今の状況を伝える。


 覚悟を決めて、百合霞は唇を開いた。


「わた、しは――」


 その瞬間、


「てかさっ!!」


 バンッ! と乾いた音とともに、長い耳を尖らせた少女が勢いよくテーブルを叩いて立ち上がった。艶めく桃色の長髪が揺らめく。

 スプーンが跳ね、カップの中の茶がわずかに揺れる。予想外の動きに、場の全員が一斉に彼女を見た。


「ボクらさあ! 君のこと、ほんっっっとに何も知らなくない!? なんでずっと『名も知らない流浪の人』で通ってるの!? え? なにそれ!? 意味わかんない!」


 言葉は奔流のように溢れ出し、彼女の表情はどこか楽しげで、けれど真剣だった。


「自己紹介! 自己紹介するよ!」


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