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愛しき世界の冒険者!―転生者が愛される世界に異世界転移―  作者: 彼岸りんね
第一章 『知らぬが仏の異世界転移』
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第一章1 『初期装備ジャンクフードは流石に笑えない』


「またのお越しをお待ちしております――」


 『学び』という学生の本分を、ひたむきに全うした後の放課後。駅前へと足を運んだ瞬間、漂ってくるのは香ばしく刺激的な香辛料の香り。空腹を煽るその匂いに、心も胃袋も抗えない。

 ――ジャンクフード。嗚呼、その響きはなんと甘美で、魅惑的なのだろうか。


 耽美な蜜に吸い寄せられる蝶のように足を運ぶ学生は多い。


「すみません、マグバーガーのセット一つ。ギガポテトはXLサイズ。ドリンクは――フォルタグレープで。以上で、お願いします」


 ハンバーガー専門の大人気チェーン店『MAGDANEL'S(マグドナルズ)』にて、看板メニューのマグバーガーとギガポテトのXLサイズの購入を決定した黒髪の女学生。白を基調とした清潔感あふれる制服には、金の装飾が気品を添え、学園の代々受け継がれしエンブレムが胸元で光っている。


「……あっ。パテ増量で」


 そんな黒髪の女学生、彼女もまたその蝶たちの一人だった。否、そんな生易しいものではない。もはやカブトムシだ。我先にと蜜に飛び掛かるカブトムシ。


「ギガポテト、XLサイズですか? ものすんごい量になりますが」


(店員さんの口から『ものすんごい』って……)


 黒髪の女学生が言葉を返す間も無く後ろを通りかかった店員が、黒髪の女学生と女性店員の間に話を割り込んできた。


「彼女はいつもその注文なんだ。

 ――よっ! 百合霞(ゆりか)ちゃん」


 男性店員が肩を軽く叩きながら声をかける。彼の髪はざっくりと一つにまとめられ、少し乱れた無精髭が彼の顔に無骨さを与えている。肌は日焼けして色黒で、若干荒削りな印象を与えるが、その笑顔はどこかチャーミングだった。


「ええ、恥ずかしながら」


 桜縁鬼百合霞。

 それが黒髪の女学生の名前。なんとも気難しい漢字の羅列の読みは、さえきのゆりか。さえきの、までが苗字だ。


 百合霞は少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う。その顔には普段の学園生活の中では見せない、少しだけ力が抜けた表情が浮かんでいた。


 店員の名札には、『大石』と書いていた。それは、駅前MAGDANEL'Sの常連である百合霞にしてみれば見慣れた光景だ。大石は名前に反して、彼の性格は温かく、どこか間の抜けた感じもある。その笑顔と軽い調子で、あまり堅苦しくなく、百合霞は嫌でもリラックスせざるを得ない。


「実は、今朝も昼も何も食べれてなくて」


「おお、珍しいね。朝ご飯を抜くなんて、健啖家(けんたんか)の百合霞ちゃんには酷な一日だったろうね」


 大石がにやっとしながら答えると、百合霞は微笑みながら「ええ、とっても。なのでパテ増量も辞さない勢いです」と返す。


 百合霞が言った言葉に少し驚いた様子を見せつつ、大石は手をひらひらと振って作業に戻る。「了解!」と元気よく言いながらも、百合霞が背後で待っている間、彼の無精髭の下の笑みが消えることはなかった。


 その後、店内の奥からもう一人の店員が現れ、百合霞を見つけて手を挙げる。


「お、今日もXLサイズ注文ですか、百合霞さん」


 その店員は少し細身で、目元に疲れた跡を残している。胸元に『桐谷』という名札。こちらも百合霞がよく見慣れた名字だ。髪は短く切り揃えられていて、彼の服装も清潔感があるが、少し優しげな印象を与える。

 百合霞は彼を見て小さく頷く。


「はい。今日はちょっといつもより……その、あはは」


 曖昧にしながら、百合霞は自分の体を無意識に撫でるようにして、少し肩をすくめた。店員は優しく微笑んで「無理せず、しっかり食べてくださいね」と言って、また店の奥へと消えていった。


 その後、百合霞は手にしたレシートをじっと見つめながら、待つ時間の間、店内の他のお客さんたちを目で追う。バーガーセットとドリンクが届くのを楽しみにしながら、ふと横目で大石を見ると、彼が他の注文をさばきながら、ひときわ目立つ笑顔で声をかけている姿が見えた。


 百合霞はしばらくその温かい雰囲気に包まれて、注文品の到着を待ち続けた。

 片手に持った呼び出し番号入りのレシートを、まだ年端のいかない幼児が一人でお使いに出かけた時の肩紐のベルトの如く力強く、ぎゅっと握りしめながら。




――◇――◇――◇――




「お待たせしましたー。マグバーガーパテ増量、ギガポテトXLサイズ、ドリンク、こちらフォルタグレープでお間違えないでしょうかー」


「はい」


 百合霞が今、どんな褒め言葉よりも欲していた言葉に、地に足が着かない気持ちで慎重にレジのカウンターまで受け取りに行く。

 今にもスキップしだしそうな脚を抑えるために加える力のせいで全体的な百合霞のシルエットがプルプルと情けなく震え出す。

 それを目撃した大石と桐谷は、思わず吹き出していた。


「またのお越しをお待ちしております――」


「じゃあまた明日! 百合霞ちゃん!」


「明日はちゃんと朝ご飯、食べるんだよ」


 きっと本日初動員であろう新米店員が百合霞の注文に驚きを隠せずに見送る。大石と桐谷の声に振り向きざまに頭を下げ、百合霞は店を出る。

 左腕にはバーガーとドリンクを同包した独特の香りの立ち込める袋。右手にはバケツ。


 ……そうバケツである。


 MAGDANEL'SのギガポテトにSサイズの概念は存在しない。最低サイズのMですら、成人男性がようやく食べきれるほどのボリューム。そしてLサイズともなれば、それ単品を一食分とした場合、ギリギリ完食できるかどうかといった代物。

 その圧倒的な量は、フタ付きのバケツに山盛りで提供される。


 ――嗚呼、今日も今日とて美味しそう。


 百合霞は帰路に着く。すらっとした手脚の女学生が到底一人では食べ切れないであろう量を抱えている光景の異様さに街ゆく人々は好奇の目を向ける。そんな事を気にも留めず、一人でほくそ笑む。


 いつも、百合霞が頼むのは決まってXLサイズ。

 Lサイズのさらに上。「ギガポテト」というカテゴリの限界を押し広げる、異次元の領域と言って差し支えのないボリュームと存在感。そこに待ち受けるのは、もはやポテトではなく塊と表現すべき圧倒的質量。

 ジャガイモの使用量は普通のポテトのLサイズが約三個程度なのに対してその約五倍。約十五個分のジャガイモを使用している。

 それはバケツでは収まらない為に、別に、紙材質の箱に小分けに入れられ独特の匂いのする茶色の紙袋の中にバーガーらと同包され、彼女の前に運ばれてくるのだった。


 本日の百合霞の空腹を満たすメニューはMAGDANEL'Sの看板メニュー。マグバーガー(プラス百八十円のパテ増量済み)、ギガポテト(XLサイズ)、フォルタグレープ(Lサイズ)。


 ――鞄、家に置いて来たほうが良かったかもしれませんね。


 肩に存在感を残す合皮のスクールバッグが学生という身分を百合霞の中に残していることが、これから訪れようとする食事の風景に水を差している。それが気に食わないのか、愚痴のような言葉を脳内に浮かべる。

 しかし、それとは反対に、後悔しているような素振りは全く見せず、ただ今は己の腕の中で購入者の胃の中に入るのを今か今かと待っているジャンクフードの匂いに目を蕩けさせていた。


 夕暮れの帰り道。

 駅前を抜けると、赤みを帯びた西日が建物の隙間からこぼれ、アスファルトに長い影を落とす。

 手に持つバケツの中には、XLサイズのギガポテト。片腕に抱えた袋からは、ジャンクフード特有の香ばしい匂いが漂い、胃袋をくすぐった。


 バケツを持つ指がじんじんと痺れてくる。ポテトの温もりが手のひらに伝わるせいか、余計に疲れを感じる気がした。


 ――あぁ……ッ。幸せッ。


 しかしそれすらも百合霞を多幸感で埋め尽くす。


 住宅街へ入ると、駅前の喧騒が遠のき、穏やかな生活音が耳に届く。

 どこかの家のキッチンから夕飯の支度をする音が聞こえ、漂ってくる煮物の出汁の香りが鼻先をかすめた。

 その瞬間、百合霞は思わず鼻を鳴らす。


「……負けるものですか。こっちはジャンクフードなんですから!」


 ポテトのバケツを持ち直し、気合を入れ直す。

 歩道の脇では、猫が伸びをしながら夕日を眺め、電線の上ではカラスが「カァ」と一鳴きした。

 目の前には、オレンジ色に染まった一本道。

 坂を登りきれば、そこが家だった。


 ――もう少し。

 愉しみ。だって、帰ったら、ポテトとドリンク、主役のハンバーガーの祝宴が待っているのだから。


「ふふふん、あとすこ――」




 シュパッ。とSEでも鳴ったのかと思える程に景色が変わる。




――ふしゅ。


 ……踏み出した革靴が生んだ擬音は百合霞の耳に違和感を覚えさせた。

 「ふしゅ」その擬音は、コンクリートで舗装された坂道が奏でていた小気味よい音から一変して、僅かに湿った草の生い茂る柔らかい地面を踏んだ時のようなものだった。


 百合霞の脳は表情筋に「家に帰って食事を摂る愉しみから溢れた微笑みを一度崩せ」と命令することよりも、先に混乱し始めていた。


「――し?」


――ヒュウ。


 なんと、踏み込んだ時の音や感覚だけではなく、頬を撫でる風の向きや、その風が連れて来る匂いまで変わった。

 百合霞の空腹を泣かせに来ていた温かい家庭的な夕飯の匂いは、その一瞬で雄大な森を感じさせる深く、豊かな緑の匂いに変化した。


 目を開かざるを得ない展開に、百合霞はその全てを目に映す。


「――――、」


 突如として広がっていたのは、突如として広がっていたのは、淡い光を纏う銀緑の草原。


 特に深い意味はないが、足を少し浮かせてみる。すると、草の葉脈が微かに光り、風に揺れるたびに色を変えていく。周りにそびえる樹々は黒曜石のように艶やかで、幹には金色の筋が走り、静かな熱を帯びた空気が漂っていた。


 次いで空を仰げば、深い群青の葉がわずかに発光し、森の影を幻想的に染め上げている。


 眼前に広がる大自然に百合霞は無力にも、ただ首を傾げて、目を点にするしかなかった。


 ――ここ、どこ。


 困惑の色を浮かべながらも、何もしなければ始まらないと言うように、己の身の回りを確認する百合霞。

 仮にもここがまだ百合霞の暮らしていた世界であるならば、明日もまた袖を通す必要があったであろう制服。肩には合皮のスクールバッグ。左腕の中で、消費者に静かに食されるのを待つ芳ばしい香りのバーガー達。右手から腕にかけてかなりの負荷をかけるポテト入りのバケツ。


 特に所持品に変化は無いことを理解すると深く息を吐いて、落胆とも、気怠げとも取れるような面持ちで呟いた。


「初期装備、ジャンクフードは――流石に笑えないでしょぉ……」


 己の面積より遥かに広大な自然の中、百合霞はジャンクフード両手に立ち尽くした。


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