価値のあるものを私にくれないか
屋敷に現れたのは、薄汚れた少女だった。
向かい側に座る少女の、擦り切れたスカートの裾を見つめながら、指を組んだ。
「さて、今日はどういったご用事で?」
そう言うと、少女はおどおどした様子で、目の前のテーブルにそっと花束を置いた。
「これを、領主様に買っていただきたいのです」
「——なぜ、これを私に?」
その花束は、ありふれたものに見えた。領内を歩けば道端に生えている花。それを丁寧に包んであるだけのものだ。
町の花屋に頼んだほうがよほど立派な花束を作ってくれるだろう。
「それは……領主様は私たち領民が困っていると助けてくれるのだとお聞きして……」
そう聞いて、あぁ、と納得した。
少女はお金が欲しいのだ。
前領主であった父の急逝によって、突然領主を継ぐことになったが、領民のために良い政策をしようと心がけている。だが、二十歳そこそこの若造の努力では、急には変われない。
父の代で、領地は随分と廃れてしまっていた。人の集まるところにはなかなか現れない魔物が、時々出没するほどに。
政策の抜けに対応するため、領民からの相談、不満、苦情等を聞く。そのために彼らからの面会は断らなかった。
だからこそ屋敷を訪れる領民は後を断たなかったし、自分を信頼してくれる領民は増えてきたと思う。
改めて少女の格好を見ると、やはり生活に困っているのだろう。十二から十三歳位だろうか、であれば、もう少し綺麗な格好をしたいだろうに。
「そうか、わかった。その花束を、言い値で買おう」
「え、言い値ですか?」
「ああ、その花束の価値の分だけ支払おう。さて、君はこの花束に、一体いくらの価値があると思う?」
「価値……」
そう言って形の良い小さな唇を引き締めると、少し俯いた。
思いもよらない返事だったに違いない。
真正面から、品物を買ってくれと言いに来た人間は初めてで——しかもまだ少女だ。
少し可哀想なことをしたか、とも思ったが、興味の方が優った。
領主に道端の花を押し売りに来た少女は、いくらの値を告げるだろうか。
一体、どれほどの額を欲するのだろうか。
少女の答えが楽しみだった。
しばらく待つと、少女が顔を上げる。
「では、百リンで」
それには驚きを隠せなかった。
「百リンだと? 小さいパン一つくらいにしかならんだろう」
「……はい。ですがその花束の値段を考えたとき、妥当な金額だと思いました」
「なぜ? 金がいるんだろう?」
だからわざわざ領主である自分に会いに来たはずだ。
そう疑問に思うのと同時に、賢い子だとも思った。自分もその金額程度だろうと考えていたからだ。
「その、領主様は見てすぐにおわかりになったと思いますが、そのお花は近くの野原で摘んだものです。私が育てたわけではありません。私がしたことといえば、花束の形に整えただけ。包装も……自宅にあったもの、ですし」
「へえ、それで?」
「だから、私の働き分と包装代、くらいしか価値はないと思いました」
「それが、百リンだと?」
はい、と言う少女は真っ直ぐな目をしていた。
「そうか。うむ、よろしい。では百リンで購入しよう」
「ありがとうございます!」
正直、もっと高値を告げられると思っていた。
金のない時に、言い値で買おうと言われたのだ。誰だって欲が出る。目の前の少女は欲に打ち勝ったのだ。
「君の名前は?」
「あ、すみません。名乗りもせず。アデラと申します」
ぺこりとお辞儀をしたアデラは年相応に見えた。
ただの領民の少女で、少し貧困している、どこにでもいるような——しかし興味を惹かれたのは事実だ。
「ああ、アデラ。一つアドバイスしておこう。人に物を売るには見た目も大事になるんだ。その格好では、人に信用されるのも難しい」
「……はい」
「だから、これで、服を買いなさい。清潔さも大事になる」
まだ小さい手に、五千リンを握らせた。
ぎょっとしたアデラに言葉を重ねた。
「別に返さなくてもいい。だが、いつか返しにきてくれてもよい。それは任せるが、もし、また君が私に売りたいと思う商品があったなら、また来なさい」
じっと見つめてくる大きなピンク色の瞳を見返すと、理解したかのようにこくんと頷いた。
「価値のあるものを持ってきたときには、また言い値で買おう」
それからひと月後、アデラは再び商品を持って現れ——二週間に一度、顔を出すようになったのだ。
◇
アデラが持ってきた商品は、初めのうちは、ありふれたものだった。
自分で作ったというパンや、少し甘みのある菓子、自分で育てたという野菜や花。軽食を作ってきたこともあった。
おそらく手間をかけることを覚えたのだと思う。
アデラはさまざまな商品を持ってきては、自分が考える妥当な金額と同じくらいの金額を口にして、売っていった。自分とは育ちも環境も違うただの少女が、自分と同じ感覚を持っていることが面白く、毎回驚かされた。
そうやっていくつもの季節が巡り、いつの間にかアデラがやって来るのを楽しみに待つようになっていた。
「今日は……変わったものをお持ちしましたの」
最初に五千リンを渡してからもう四年、見違えるほどにアデラは綺麗になった。
服装が変わり、髪型もすっきりと纏め上げ、身綺麗になった彼女は、どう見ても貧困層には見えない。出会ったばかりの貧相な少女を思い浮かべては感慨深くなる。
「ほう? 何だろうか、楽しみだ」
「こちらです」
応接室のテーブルに置かれた瓶の中には、丸く透明な豆のようなものが入っている。
「これは、スライムの糞です」
「は?」
可愛らしい少女の口から飛び出した言葉とは到底信じ難い。
「えっと、これが、何だって?」
「ですから、スライムの糞です」
「……ほう……?」
スライムはよく見かける魔物だが、その糞だと?
どう見ても小さい豆粒サイズのガラス玉のようだが、ひとまず言い分を聞くことにする。そもそもスライムが排泄をするのだろうか。
「世間には出回っていない、見たことのある人間もほぼいないと思われます。とても珍しい。ですから、こちら五万リンでいかがでしょう」
——高い。
ガラス玉であれば五百リンほどだ。
初めて意見が食い違い、顰めた眉を隠せなかった。しかし、言い値で買うと言ってある。
「五万。そうか、強気に出たね。わかった、それも貰おうじゃないか」
「ありがとうございます」
そう言って笑うアデラは美しかった。
それからというもの、アデラが売りつけにくる商品は世にも珍しいものばかりになった。
新月になると美しい花を咲かせるという植物の種、妖精の羽の鱗粉に、傷が治るという幻の泉で採ってきたという水などなど。その度に言い値で買う。
噂程度には聞いたことがあるけれど、本物は見たことがない。本当に本物なのかどうか判断できないが、珍しいものであれば買うと約束した。約束は破れない。
アデラが帰ったあと、装飾だけは立派な瓶を持ち上げた。幻の泉の水だと言うが、ただの透明な水のように思う。以前に買った妖精の鱗粉とやらは普通の人には見えないらしく、空の小瓶にしか見えなかった。
棚に並べながら、買ったばかりの商品を訝しげに見つめて溜息をついた。そのタイミングを見計らったように、控えていた執事——セバスが声を上げた。
「——差し出がましいようですが、そちら、本当に本物でしょうか? あの娘の話全てが真実だとは思えませんが……。もちろん全てが嘘だとも申しませんが、まさかイーヴァル様を謀っているのでは」
セバスの心配もよくわかる。
自分でも騙されているのではないか、と思うくらいだ。
せっかく領地経営が軌道に乗りつつある今、余計な出費は抑えたいところだろうが。
「しかしな、アデラには、病気の母がいるだろう。きっと薬が必要なのだ」
初めて出会ったその日のうちに、屋敷の使用人に後をつけさせた。
いつもの面会後にはわざわざそんなことはしない。アデラの時は、渡した五千リンがどうなるのか知りたかったのだ。
服を買うように言ったが、金を欲しがっていたし、使い道はそれでなくとも構わない。ただアデラが何にどう使うのか気になった。それだけ。
戻ってきた使用人に確認すると、渡した五千リンのうち、三千リンで新しい服を買い、残りのお金で薬を買ったようだった。そして家には寝込んでいる母がいたらしい。
「ですが……イーヴァル様……」
「いや、何、お前の心配もよくわかっている。無理な金額となればさすがに断るさ」
「でしたら、いいのですが……イーヴァル様はあの娘がお気に入りのようですから、少し気になってしまって」
「ははっ、大丈夫だ。領地を危機に晒すことはしないさ」
自分のことしか考えようとしなかった父は、領民たちを飼い殺しにした。影響を考えることもせず、重税を課した。その息子である自分が、彼らに認められるようになるまでどんなに心身を削ったことか。
「アデラが屋敷を訪れる頻度は少なくなってきているから、余計に高額で買って欲しいのかもな。もしかしたら、母君の病状があまり良くないのかもしれん。今度きた時には、それとなく聞いてみようか。もしかするとうちの医者に見せれば治るかもしれんしな」
しかし、その後、二週間待ってもひと月待っても、二ヶ月待っても、アデラは現れなかった。
◇
「あの娘、やはり来ませんね」
不信感を露わにしていたセバスも、アデラのことを気にし始めた。
書斎の一角にある棚の中には、これまでアデラから買った商品が並べられている。度々視界に入れると、つい見入ってしまった。
「ああ。もしかしたら母君の具合が良くなって、金も必要無くなったのかもしれんな」
「そうであれば、イーヴァル様の心配事もなくなり、さぞ楽になれるのでしょうが」
アデラの家をこっそりと調べさせたところ、もぬけの殻になっていた。
母の具合が良くなり街を移ったのだとか金が貯まってもっと良い環境へ移動したのだとか、色々理由を考えてはみたけれど。
結局のところ、騙されたのだろう。
ただ会えるのを楽しみにしていて、持ってくる商品もよくわからなくて気になって、そんなわくわくした気持ちすら大事にしたくて。
しかしそう思っていたのは自分だけだった。
優しくしていたのは、どんどん綺麗になるアデラへの下心もあったから——だから彼女を責めることはできないのだけれど。
「そうだなあ、そうなれるといいんだがなあ」
——そう零した時、屋敷がガヤガヤとざわついた。
ばたばたと大きな足音を立ててやってきた使用人は、客の来訪を告げた。
「アデラさんが、いらっしゃいました!」
会いたいと、会えればいいのに、と思っていた人物の名前に心躍った。騙されていると告げる理性をすぐさま投げ捨てる自分を、どうしようもないとも思った。
しかし、続いた使用人の言葉に、それこそ我を失った。
「それが、なぜか傷だらけで……。この屋敷の門を叩いてすぐに、気を失ってしまわれました……!」
「何だと! 彼女はどこだ!」
案内された部屋でベッドに横たわるアデラは、朦朧としているようだった。顔が赤い。熱もあるようだ。屋敷の使用人が置いたのだろう、額には冷たい濡れタオルが乗せてあった。
「医者は? 呼んだのか?」
「はい。イーヴァル様であればそう仰るだろうと、勝手ながらお呼びいたしました。もう間もなくいらっしゃるかと」
顔や腕にも細かい傷はあるものの、やはり目立つのは、頭に巻かれた包帯だ。
「なんだ……これは」
そう呟くも、時折呻くだけのアデラは答えをくれなかった。
医者に診てもらうと、疲労と傷の炎症による発熱だということだった。処方された薬を飲み、しばらく安静にするようにと言い置いて、医者は帰って行った。
まだ意識の戻らないアデラを一人にはできず、ベッドの横に居座る。使用人たちが心配そうな目を寄越していたが、誰にも邪魔されたくなかった。何かあれば呼ぶ、とアデラと二人にしてもらう。
「……アデラ。これまで一体どこにいたんだ」
ポツリと独りごち、アデラのか細い手を握りしめた。
医者の処置中はさすがに部屋の中には入れず外で待機していたが、巻かれていた包帯の下には、血は止まっているものの、やはり大きな傷があったらしい。
早く目を覚ませ。声を聞かせて、早く安心させてくれ。
握ったままの手を離すことなく付き添った。心配した使用人が二回ほど見に来たが、大丈夫だと答えた。明るかった空はいつの間にか日が落ちていた。
「……ん」
うっすらと目を開けた彼女を見て、手に力が入る。
「アデラ……! アデラ! 私がわかるか!?」
「領主、さま……?」
「そうだ。どうした、何があった。こんなに傷だらけ、で!」
その一言で、ぼんやりとしていたアデラの目に光が戻る。
握っていた手を払われて驚いた。
「私の荷物! どこですか!?」
部屋の隅を指すと安堵した顔で駆け寄っていく。
「アデラ、まだ熱が」
「大丈夫です。このくらい! それより領主様、こんなお見苦しい姿で申し訳ございませんが、本日は領主様のために、こちらを持ってまいりました」
止める間もなくベッドから抜け出すと、アデラは部屋の隅の鞄から白い棒切れを取り出してベッドのそばまで戻ってくる。ごと、とサイドテーブルに置いたそれをまじまじと見た。
「なんだこれは」
「ドラゴンの骨でございます、領主様」
「は?」
スライム以来の衝撃だった。
「ちょっと待て。ドラゴンといえば、なかなかお目にかかれない希少な種族で、基本的には個体ごとに山奥や谷底に巣を作って生活しているらしい、巣が気に入ればそのまま子孫も棲みつくと噂の……その、ドラゴンのことか?」
「はい、その通りです」
真面目な顔でアデラが頷くので、頭を抱えたくなったが、もはやどうでも良かった。——彼女が自分を騙そうとしていることすら可愛らしく思えては、もう引き返せない気がする。
「わかった、買おう」
「ええ!? まだ金額も言っておりませんが」
「アデラからの商品は買うと決めている」
「そんな簡単に……! 騙されますよ……!」
今まさに騙されているところだから、問題ない。
そんなセリフは心に仕舞いつつ、ドラゴンの骨(仮)をそっと撫でた。
「アデラになら騙されても構わないな」
ギョッとするアデラを見て、眉の間に皺を刻んだセバスの顔を思い浮かべて、声を上げて笑った。
ほら見たことか、とセバスの小言が聞こえてくるようだ。
だが、それすらも些細なこと。それよりも、目の前の傷だらけのアデラが再び消えてしまわぬようにしなければ。もう二度と、会えないことを嘆きたくはない。
「ドラゴンの骨、とやらの金額は後で教えてくれ。それよりも、だ」
「ええ?」
「その傷はなんだ。今まで一体どこにいた。母君はどちらにいらっしゃる? 病気はよくなったのか? 私は! もう君がここには来ないかと思って、」
冷静さを取り繕おうとして失敗した。格好悪いことにひどく焦る姿を晒した結果、アデラは、ふふと笑みを零した。
動いた拍子に痛みを覚えたのだろう、顔を顰めた姿さえも目に焼き付けた。
「母の病気ですが、おかげさまで薬が買え、すっかり回復しました。近所の方がとても親切で、店番など軽い仕事を紹介してもらえました。今はそのお店の近くに引っ越しもしてます。領主様がたくさん買ってくださったおかげです。本当にありがとうございます」
「そうか、それは良かった。心配していた。それで、君のその傷は?」
それからアデラが紡いだ言葉は信じられない内容だった。
「ちょっと、ドラゴンに会いに行ってたんです」
「は? なぜ」
「なぜって、ドラゴンに会わなければ、その巣に落ちてる先代ドラゴンの骨を拾ってこられないじゃないですか」
難しい話はしていないはずなのに、思考が止まる。
ドラゴンというのは、人間に慣れていないらしく、警戒心から攻撃を仕掛けてくることもあるそうだ。あくまで噂程度の知識だが。
だからこそドラゴンに関する品物はとても高価。
もう一度アデラの頭の包帯を見る。長くて重い息を吐いた。
「…………ああ、生きて帰ってこられて本当に良かった。もしかして、これまでの物も自分で採りに?」
「え? それはそうですよ。領主様にお渡しする物ですから、自分で採りに行かなきゃ。紛い物だと嫌ですし」
「なんだってそんな無茶を……!」
「だって、領主様に会うには、こうするしか……。珍しいものお好きでしたよね?」
こう言われては、過去の自分を責めるしかない。本当に?
手を引いてベッドに座らせ、視線を合わせる。待ち望んだピンクの瞳を間近に見られてほっとしていた。
「そんなのは気にしないでいい。もう何も持ってこなくとも構わん。元気な姿で会いにきてくれればそれで」
「私は領主様に会える。だけど領主様は珍しいものがなくて、一体何がメリットなんです?」
小首を傾げる純朴なアデラに、これまで伝え方を間違えていたのだろうとようやく知る。
「〜〜〜〜君は私に会える。私も君に会える。どちらも嬉しい、そういうことだ」
一瞬固まったのち、アデラの頬と耳がほのかに赤く染まったのを見て、胸が高鳴った。
初めて見る照れたようなアデラからはもう目を離せなくて、絶対に危険な目には遭わせたくないと思ったのだ。
「なあ、アデラ。私にとって一番価値のあるものをくれないか。言い値で買おう」
「なんでしょう」
手で火照った顔を仰ぎながらも、真っ直ぐに見てくれる。
本当に健気で、可愛らしくて、放っておけない。
「アデラ、私の恋人になってくれないか」
また真っ赤になってしまうのではないかと思ったが、アデラはちょっと泣いていた。
「言いましたね。……とっても高いですよ。よろしいでしょうか……!」
「ああ、構わない。望むところだ」
「では、領主様の残りの人生いただけますか」
目を丸くして、思わず胸の中に閉じ込めた。初めて抱いたアデラは柔らかく、ドラゴンに会ってきたとは思えないほど華奢で。
「ああ、そんなもの、安いものだ」
「返品も、ダメですからね……!」
「当たり前だ、約束しよう。私は約束は破らない」
そうして、必ず幸せにしようとアデラに固く誓ったのだった。