第七回 8
だが、房には年少の丫鬟、雪雁しかおらず、周のおかみは眉をしかめる。
「林の姑娘は?」
周のおかみが聞くと、
「宝玉さまのところに行かれています」
雪雁が震えながら言うと、周のおかみは一瞥もくれず房を出てゆき、大きく舌打ちをした。
房に来てみると、黛玉は宝玉と九連環に興じている最中だった。代わる代わる、九つの環を一つづつ外していく。
「どうやったら外せるのかしら。どうやっても三つが限界だわ」
「貸してごらん。ぼくが半時の間にはきっと解いてあげる」
周のおかみは笑いながら言った。
「林の姑娘、薛の太太からお花をお届けにあがりましたよ。ぜひ髪に着けていただくようにと仰せです」
それを聞くと宝玉が振り返った。
「どんな花? ぼくにも見せてよ」
そう言いながら、さっと函を受け取る。
「黛ちゃん、見てごらん。花は花でも紗を重ねて造った花だよ!」
「そうでしょう? なんでも宮廷でお造りになったそうですよ」
だが、黛玉は匣の中身を睨めつけると尋ねた。
「これは私だけに届けてくれたの? それとも他の方にも?」
「皆さまにございます。ここにある二本が姑娘の分です」
黛玉は冷たく笑った。
「もう分かったわ。不ぞろいのものを他の人たちは選ばない、それって私には何もやらないってことよね」
「そんな……」
周のおかみが言い継ごうとしたとき、黛玉が二花を持ちながら言った。
「季が違っているわ」
黛玉の左の手の平には桔梗、右の手の平には山茶花が載せられていた。
周のおかみは押し黙ってしまう。
「周の姐姐は何の用で向こうに行っていたの?」
と聞くと周のおかみは、
「太太にご報告にあがりました。その折に薛の太太がこれをお渡しになったのです」
宝玉が言った。
「宝姐姐はどうされてるの? ここ数日お姿を見なかったけれど」
周のおかみが答えた。
「体調がすぐれないそうです」
宝玉はそれを聞くと丫鬟たちに言った。
「誰か見舞いに行ってくれないか? ただし、ぼくと林姑娘からのお見舞いだと伝えて、薛のおばさまと宝姐姐にご挨拶するんだよ。姐姐がどんな病気で、どんな薬を飲んでいるかお聞きしてきてね。本当ならぼくがお伺いすべきだが、学堂から帰ったばかりで少し冷えているので、後日改めてぼくがお伺いしますと伝えてくれる?」
それを聞いて、襲人が口を開きかけたが、それよりも早く茜雪が「はい」と返事をして出て行った。
周のおかみはばつの悪そうに黙ったまま房を出て行った。
黛玉は房に戻ってしまうと、時間も忘れて泣き続けた。
雪雁はおろおろするばかりで、鸚哥は泣きじゃくる主をじっと見つめていた。ひとしきり泣き、黛玉の涙がおさまってしまうと、鸚哥が言った。
「姑娘があれだけ軽んじられたのは、私たちそばにお仕えする者たちの責にございます」
黛玉は腫れぼったくなった顔をきょとんとさせながら言った。
「あなたたちのせいじゃないわ。本当に悪いのは……」
鸚哥は首を横に振る。
「私には襲人姐姐や平児姐姐のように秀でたところがありません」
再び口を開きかけた黛玉よりも先に、鸚哥が言う。
「私は名を改めることで姑娘の丫鬟としての覚悟を新たにしたいと思います。もっと姑娘が貴ばれるような名に」
「どういう名前にするつもり?」
「紫鵑」
黛玉は眉をひそめた。
「杜鵑だなんて縁起が悪いわ」
鸚哥はもう一度首を横に振る。
「姑娘のお苦しみを少しでも鸚哥に、いえ、紫鵑に分けてくださいませ」
それを聞くや、黛玉は声をあげて泣き崩れた。
茜雪が梨香院の薛の邸の門をくぐると、鴦児が笑顔を振りまきながら出迎えてくれた。
「こんな夕暮れ時にどうなされました?」
「薛の太太と宝姑娘にご挨拶を差し上げたいのですが」
「太太は外に出ておられます。姑娘は奥の房におられます」
と流暢に言う。
「お身体が悪いとお聞きしていたのですが、お会いすることはできますか?」
「ええ、ずいぶん良くなられました。あ、そうだ」
鶯児が思い出したように言う。
「林の姑娘が“花”のことについて何かおっしゃっていませんでしたか?」
茜雪は何も言わずに微笑んだ。
宝釵の房に入ると、十数枚の花の画があちらこちらに散らばっているのを見留めた。
「姑娘がお描きになったのですか?」
茜雪は奥で絵筆を走らせている宝釵に向けて言った。
「私もお手伝いいたしました!」
鶯児が声を張り上げる。
「姑娘たちにお配りされた花飾り、宮廷でお造りされたものとお聞きしましたが、本当は薛の姑娘がお造りになったものではありませんか?」
宝釵はぽかんと口を開けていたが、すぐに微笑んだ。
「どちらとも言えます。宮廷に花飾りを卸しているのは薛家ですもの」
「姑娘がお身体を崩されたのは、休まず花飾りの図案を描かれていたからではありませんか?」
茜雪の問いに、宝釵は声を立てて笑う。
「母も気づいていないことを気づかれましたのね。どうか母には内密に。私が怒られてしまいますわ」
「少し休まれてはいかがでしょう。だいぶんお疲れのようにお見受けいたします。宝玉さまも林の姑娘も心配しておいででした」
鶯児が口をとがらせる。
「そんなにご心配ならお二人が直接姑娘を見舞われればよいのに」
「鶯児」
宝釵が静かに言うと、おしゃべりな丫鬟は慌てて口を押さえた。
「学堂から帰られて、身体が冷えたから……」
「宝玉さまは学堂に通われていたかな?」
鶯児が首をひねる。
「……と本人は申しておりました」
茜雪は苦笑いを浮かべる。
「申し訳ございません。これにはいろいろと訳がございまして。後日あらためてお見舞いにうかがう、とのことでした」
「ええ。大丈夫です。気にしておりませんわ」
茜雪は言いにくそうに宝釵を見る。
「姑娘、花飾りはまだ残っておられないでしょうか?」
「何かあったの?」
「林の姑娘の花飾りが不ぞろいだったようなのです。もしもう一対あるのであれば、不ぞろいのものとお引替えできないかと」
宝釵は首をかしげる。
「人数分用意していたはずなのだけれど。どこかで手違いがあったのかしら」
そう言うと、鶯児に言いつけた。
「奥の匣を持ってらっしゃい」
「でも、それは宝姑娘の……」
鶯児が言いよどむと宝釵は続けた。
「いいのよ。どうせ持っていたって私は使わないんだもの。さぁ、茜雪姐姐、持っていって」
宝釵は半ば強引に茜雪へ押しつけると、茜雪は何度も礼を言いながら宝玉のもとへ帰っていった。




