第五回 17
幽かに室の灯しが揺らめいている。
宝玉と可卿とはどちらからともなく目を合わせ、指を絡めた。可卿の袂から、得も言われぬ麝香の香が立ちのぼってくる。
二人はぎこちなく笑いあいながら、お互いの髪に触れた。昼と夜の間、陽と陰の間、肉と意の間、宝玉と可卿の間、すべてが隔てなく混じり合っていき、長い夜は更けた。
柔らかさをたたえた光が惑うように宝玉の頬を撫ぜる。宝玉は二、三度まばたきをし、ぼんやりとした視界が少しずつ鮮明になっていくのを確かめていた。
身を震わせながら体を起こすと目線の先には、可卿がいた。可卿はすでに夜着から春らしい装いに着がえており、鮮やかな身なりの丫鬟たちが宝玉の目覚めを待ちかねたように立っていた。
宝玉はその様子を見て、可卿との別れが近いことを悟りつつ、それでも愛おしく、離れがたい気持ちは抑えきれなかった。宝玉は可卿に優しい言葉をかけ、可卿はそれに劣らぬほどの温かい言葉を返すという具合で後朝の思いは尽きなかった。
お帰りの時間ですよ、と丫鬟たちが言うのにも、その忠告を振り切って、可卿と手を携えながら門を出、二人きりで遊びに出かけてしまう。
門の外には梅花、芙蓉、萩、茶梅花といった四季折々の草花が広がっていて、二人は花を摘んだり、追いかけっこをしたりして遊んでいたが、ふと宝玉が北東の方角に道が続いていることに気づき、
「あっちに行ってみようよ」
と可卿の手を引っ張りながら走っていく。わき目もふらずに走っていくと、気づいたときには、そこには茨が地を這い、狼や虎があちこちから唸り声をあげ、正面には黒い渓谷が行く手を阻んでいた。
すると、たちまち警幻仙姑が姿を現し、言った。
「早く進むのをやめなさい! 急いで引き返さないと大変なことになります」
宝玉は慌てて立ち止まって尋ねた。
「ここはどこですか?」
「ここは迷津です。深さ一万丈、長さは千里におよび、その間を通る船はなく、筏が一つあるのみです。木居士が舵をとり、灰侍者が棹をさし、金銀の謝礼は受け取らず、ただ縁の深い者だけを渡しているのです。爾が偶々ここまで遊びに来、もしその中に落ちこんでしまったら、それは私がこれまでしつこいほどに諭し、警告していた言葉を深く裏切ることになります」
話がまだ終わらないうちに、迷津のなかに雷鳴が轟き、夜叉や海鬼が現れ、宝玉を引きずりこもうとした。宝玉はあまりの恐ろしさに、滝のように汗を流し、叫び声をあげた。
「可卿、助けて!」
襲人はじめ丫鬟たちは驚きながら、すぐに駆け寄って抱きしめた。
「宝玉さま、怖がらないで。私たちがついていますわ」
そのとき秦氏は室の外にいて宝玉のことは小丫鬟たちに任せ、犬や猫が喧嘩をしないよう見張らせていたが、不意に宝玉が自分の小名を叫ぶのが聞こえてくる。
「私の小名などここの方々は知らないはずなのになぜ私の小名を知っていたのかしら」
と秦氏は首をかしげた。




