第五回 1
「薛の姑娘がお着きよ!」
王夫人邸の侍女たちがいっせいにざわめく。
宝釵は愛嬌を振りまきながら、挨拶をしつつ入ってくる。
「薛の姑娘に話しかけていただいたわ」
「私はお花をいただいたのよ」
侍女たちはそこここで色めきたつ。
「それに比べて林の姑娘は……」
一人の侍女が不意に口にし、もう一人の侍女がそっと肩をたたく。
その目線の先には黛玉その人がいた。
気まずくなって侍女たちは口をつぐんでしまう。
黛玉は何も言わず鸚哥とともに自室に引きこもってしまった。
「あまりお気になされないように」
薬湯を煎じながら鸚哥が静かに言った。
「私は姐姐たちに不愛想な人間だと思われているでしょうね」
そう言いながら黛玉は膝を抱え込んでしまう。
また始まった。鸚哥は主人に見えないようにため息をつく。
「姑娘の方が薛の姑娘よりも優れておいでになります」
「でも囲碁では勝てなかったわ」
黛玉は膝に顔をうずめる。
「あれは結局勝負がつかなかったではないですか」
黛玉は首を横に振る。
「分からなかったの? あのときは手を抜いていただいたのよ」
「え?」
「私を立てていただいたの。外孫とはいえ、私は賈母の孫だもの。かと言ってあからさまにあの方が負けてしまえば、私も思うところがあったでしょう。たぶん、持碁にされようとしていたのではないかしら」
鸚哥は考えこんだ。そういえば、黛玉はあれ以来、薛の姑娘とは囲碁をお打ちになろうとされなかった。そういった事情があったのか。そのことに気づくと、急に腹が立ってくる。
「雪だわ」
鸚哥は吐き捨てるように言った。
「え?」
今度は黛玉が驚く番だった。
「薛は大雪と言われる通りだったのです。なんて冷たい……」
「やめて!」
振り返る黛玉の瞳には涙が浮かんでいた。
「そうじゃないの。そうじゃないって分かっているからこそ怒れないし、心の底から悲しめないのよ」
鸚哥は主人の聡明さをよく知っている。この人がそうおっしゃるのなら、宝釵のふるまいは冷たさとは違うものなのだろう。だが、それだからこそ鸚哥のなかにやりきれないものが降り積もっていった。
そんな折、部屋の外から「黛ちゃん、黛ちゃん」と呼ばう声がする。
その声の主が誰なのか、黛玉も鸚哥も分かっていた。
「私がお返事しましょうか?」
鸚哥が小声で言うと黛玉は首を振った。
「何のご用でしょう。宝の哥児」
黛玉は顔をあげていたずらっぽく言った。
「黛ちゃんがまた癇癪を起こしていると聞いて、様子を見に来たのさ」
「癇癪など起こしていません!」
黛玉は小さな体を震わせるように張り上げた。
鸚哥は頭を抱える。また始まった、と思った。




