第四回 12
こうなるとこの「呆覇王」を誰にも止めることはできない。
船中で何もできないのがもどかしく、すぐさま母親へこう伝えた。
「薛家には都に何棟かの我が屋敷がありますが、ここ十数年は誰も住んでおりませんし、屋敷の守人がこっそり家を貸している可能性もあります。先に人を遣って、掃除をさせておきましょう」
母親は、はやる薛蟠の肩を押さえる。
「どうしてそんなに騒ぐの? 少しは落ち着きなさい。都に行くとあれば、まず親戚や友人に行ってご挨拶をしなくちゃ。子騰舅舅さまの家や賈政姨父さまの家にね。そしてご挨拶がてら、その家にしばらく住まわせてもらうの。お二人の邸宅はとても広いんだから。そうしてそこに泊まらせてもらっている間に、ゆっくり片付けさせるの。それまではおとなしく過ごした方がいいんじゃないかしら」
「舅舅さまが地方へ向かわれているため、お家はてんやわんやのはずです。そんななか、私たちが大勢で押し寄せるのは無神経ではないですか?」
「たしかに子騰舅舅は地方に向かわれているかもしれないわ。でも、賈政姨父はいらっしゃるじゃない。まして栄国府の方々はここ数年来、手紙や使いを寄こして、都へ来るようにとおっしゃってくださっていたのですよ。きっと私たちが都に着いたら、優しく出迎えてくれるに違いないわ。そんななか、私たちがいそいそと屋敷を片付けていたとしたら、どう思われるでしょう」
そうぴしゃりと言い放ったが、薛蟠は反抗的な態度を崩さなかった。それでも母親は続ける。
「だいたい、薛蟠の考えていることなんて分かっていますよ。姨父さまたちに監視されるのが嫌なんでしょう。だから家の掃除なんてがらにもないことを言い出したんだわ。分かりました。あなただけ、別の屋敷に住みなさい。私は宝釵とともに掃除が終わるまでの数日間、王夫人のところへご厄介になります。あとは好きになさい」
薛蟠は母親の考えを覆せないことを悟り、人夫を栄国府へ走らせた。
少し話はさかのぼる。
「太太、応天府より使いが参り、文を渡して帰られました」
筆頭侍女の金釧児が伝えたとき、曇っていた王夫人の顔がぱっと晴れわたった。
「本当? 早く見せてちょうだい」
奪い取るように文を見ると、思ったとおり薛蟠の件が解決したという知らせだった。
「釧児! お茶の用意を!」
自然、釧児の顔も明るくなる。ここしばらくというもの、暗い表情の主人ばかり見ていたからである。
「太太、実はもう一通文が届いてございます」
そう何気なく伝える釧児に、再び王夫人の顔に影が落ちる。
「何かしら、次から次へと……」
王夫人が文を広げると深いため息をついた。
「やはり、悪い知らせですか?」
釧児が困惑した表情で主人を見る。
「いいえ」
王夫人は首を横に振った。
「良い知らせよ」
そこには兄である王子騰が新たな官を得て地方巡察へ向かうということが書かれていた。
察しのいい筆頭侍女はそこで口をつぐんだが、王夫人はひとりごとのように続けた。
「みんな、私のところからいなくなってしまうのね」
それから数日、王夫人は鬱鬱として金釧児もかける言葉がなかった。
が、ある穏やかな昼に急使が王夫人のもとを訪れる。
「釧児、あなたちょっと出てちょうだい」
主人にそう言われて、侍女はそそくさと房を出る。
戻ってきた釧児は満面の笑みだった。
「太太、お喜びください。薛の奥さまがお子さま方をお連れになって、都にお入りになられたそうです」




