第四回 9
これだけの騒ぎを起こした薛蟠は悪友や子分たちと車座になりながら、祝杯を交わしていた。
薛蟠は一人一人の杯に酒をなみなみとついでやりながら、慰労の言葉と卑猥な冗談を付け加える。
「みんな飲んでくれ。今日は俺のおごりだ」
そういつものごとく豪快に叫ぶ。
薛蟠。字は文起。
薛家の長子として生を受けたものの、幼くして父を亡くし、一人息子として母親に甘やかされて育てられ、かつ家には百万の富があるものだから、幼くして金陵一の我儘者となってしまった。
学を修めたといえば聞こえがいいが、それも字をいくつか覚えたほどのもの、闘鶏、乗馬、各地への放浪に一日のほとんどを費やし、商人としてもっとも重要な世俗の事柄にはまったくの無知だった。
それでも祖父のころからの旧縁により、戸部に皇商、皇帝御用達の商人の役を与えられたが、その役をまともに果たしたことはなく、ただ乗りのようにして金や穀物を受領していた。その他の仕事に関しては古くからの家来や他の家族によって処理されるのだった。
それでも薛蟠がどうにか家業を持ちこたえ、今回のような重大ないざこざが起こったとしても、どうにかなる、どうにかしてもらえるというのは、彼の持って生まれた愛嬌によるところが大きいだろう。彼の気質は漢の高祖のごとく大らかで、細かいことを気にせず、それは下の者にも同様だったから、薛蟠のために、と思うものが一定数おり、先般の馮淵殺害の一件に関しても、ちょっと脅かしてやれ、という薛蟠の一言を、子分たちが勝手に解釈して、馮淵の悲運を招いたという側面がある。
とはいえ、むろん家中に薛蟠のことをよく思っている者ばかりではない。その多くは若年である彼を侮り、あちらこちらをごまかしたため、遠く離れた都でのいくつかの商売が立ちゆかなくなってきてしまっていた。
そこで薛蟠が目をつけたのは彼の妹だった。
今上帝は詩文礼節や学問を尊ばれることから、従来行っていた妃嬪の選抜の他にも、公主や群主といった帝の縁戚の娘たちが学ばれる際の付き添いとするために、優秀な名家の娘を才人や賛善といった女官として採用する、とお触れを出していた。
薛宝釵は薛蟠より二つ年少で、兄とは異なり、幼いころに父の薫陶をよく受け、多くの書物を読み、学問をよくして、家中では兄より十倍は勝っていると言われていた。
のみならず、その容姿も端麗で、体つきもみずみずしく、父親が亡くなってからは、奔放な兄に対する母親の心労をやわらげようと学問をきっぱりとやめてしまい、家事や裁縫にいそしむといった具合で、薛蟠は家中の評判高いこのできすぎた妹を少なからず苦々しく思っていたが、こと女官にするという政治的な目的を思えば、これ以上のうってつけはないのだった。