第三回 14
黛玉の寝所に着いてみると、襲人の思ったとおり、黛玉も、鸚哥もまだ起きていて、黛玉の、その泣きはらしたその目は腫れぼったく、かえって人を惹きつけるようなところがあり、襲人も心が刺すように痛むのだった。
襲人はつとめて黛玉に微笑みかけ、
「林姑娘、まだ起きておられますの?」
と尋ねた。黛玉もはっと涙を止めこちらに笑いかける。
「姐姐、お座りになって」
襲人は言われるがまま、床の端に座った。
黛玉が困惑しているのを見て取ると、
「宝玉さまの丫頭の襲人でございます」
と言った。黛玉はしばらく考えているふうだったが、
「お名前の“襲人”とは、陸游の古詩からとられたものでしょうか?」
と尋ねた。襲人は聡い人だ、と思う。
「ええ。もともと私の名前は花珍珠だったのですが、姑娘のおっしゃられたとおり、“花気襲人”の一節から宝玉さまに付けていただいたのです」
宝玉の名を聞いたとたん、黛玉の目が再び曇った。鸚哥が微笑みながら言う。
「林姑娘は心を痛めておいでなのです。“今日うかがったばかりだというのに、もう栄国府の哥児のご機嫌を損ねてしまいました。あの玉を壊されるようなことがあったら私のせいです”とおっしゃり、落ちこんでしまわれたので、こうしてお慰めしていたところでした」
襲人は言った。
「姑娘、あまりお気になさらぬよう。これからもっと奇妙なおかしいことがきっと起こります。あの人のふるまいでいちいち心を痛められていては、いくら姑娘のお心があっても足りませんわ。どうか楽しいことだけお考えください」
「姐姐たちのおっしゃられたこと覚えておきます」
襲人は黛玉がまだ深く納得していないのを見てとり、
「宝玉さまは怒っているときも笑っているようで、きっとにらんでいるときでもそのやさしさを隠せないという不思議な方。考えるだけこちらが損ですよ」
「姐姐たちのおっしゃられることよく覚えておきます」
と言った。それからしばらくみなで話をして、ようやく安心したのか黛玉はとろとろと眠りに落ちた。夢の中でも黛玉は宝の哥児はいったいどんな方なのだろうと考え続けていた。
その黛玉の問いに答えるかのように後世の人々が宝玉を評した西江月の二首の詞を残している。
第一首
故無くして愁いを尋ね恨みを覓め
時に傻かに似て狂の如き有り
縱然生得好皮囊なるも
腹內原來草莽
わけもなく愁いのもとを探し恨みを求め
ときおり狂ったように愚かになる
外側ばかり立派だが
内はもともと野卑そのもの
潦倒して世務に通じず
愚頑文章を読むを怕る
行為は偏僻性は乖張
那ぞ世人の誹謗に管らん
義務を果たさず放蕩ばかり
かたくなに文章を読むことを怖がって
ひねくれもののへそまがり
誹謗中傷どこ吹く風
第二首
富貴 業を楽しむを知らず
貧窮清涼に耐えがたし
憐れむべし 好き時光に辜負きて
国に家に望み無きを
裕福な時はその仕事を楽しまず
貧しくてもその清らかさに耐えられない
ああなんと不憫か 良い流れが来たとしてもそれに逆らってしまう
気づけば国家、家庭に望みなし
天下無能第一
古今不肖無双
寄言す 紈袴と膏粱とに
此児の形状に倣うなかれ
天下第一の無能者
古今無双の不肖者
お坊ちゃん方 よくお聞き
この子の真似はやめなさい
翌朝、黛玉はまだ痛む胃をさすりながら起き、賈母に挨拶をすませると、王夫人のもとに足を運んだ。彼女にも挨拶をすませようとしたところ、王夫人は熙鳳と一緒に金陵から届いた手紙を読んでいるところだった。この手紙が栄国府に新たな災難を呼び込むのだが、そのことをまだ黛玉は知らない。




