第十三回 1
「それは信だと思います」
学堂の隅からぽつりと聞こえた声を賈代儒は聞き逃さなかった。
義塾の子弟たちもいっせいに振り向く。
その答えもだが、それが賈蓉――、あの口数の少ない寧国府の公子だったことに驚きを隠せなかった。代儒が教鞭をふるってからというもの、こちらが求めたときをのぞいて、彼が口を開いたところを見たことがない。
「蓉君、私の問いを覚えておるか?」
賈蓉は小さく、だが力強くうなずいた。
「はい。五常の中でもっとも重き徳目はという問いにございました」
「そのなかで孟子がおっしゃられたものは?」
「仁義礼智、いわゆる四端です」
代儒は鋭くにらみつける。
「なぜその四つの中から選らなかった?」
賈蓉はふうっ、と細い息を吐いた。
「それにはまず、なぜ董子が四瑞に“信”を加えたかということを考えねばなりません」
「問いに問いで答えるか」
代儒はうなったが賈蓉はかまわず続ける。
「孔孟のおられた周のころには諸国が覇を競い、徳業のあるものに天命は帰するとされていました。さればこそ孟子は人および君子の徳目の始めとして、仁義礼智の四端を言われたのです」
代儒はしぶしぶといったふうにうなずく。
「ですが、秦が六国を破り、秦、西漢の一統となるにおよんで、“徳が無ければ天の命が革まる”という名目は君に対して立たなくなります」
代儒は歯ぎしりしながら言う。
「こ、この愚か者! それから一語を継ぐことも許さん」
隣に座っていた賈薔が強く賈蓉の肩を押さえる。賈蓉は躊躇なく続けた。
「董仲舒が“君子が徳を失えば災異が生じる”ということを上奏されたのもそのためです。 そんな折、遼東の高祖廟、長陵の高園伝が焼失してしまいます。そこで仲舒はあらためてこう記したのです。諸侯、大臣のうち不正な者を誅すべし、と」
学堂は水を打ったように静かである。賈蓉はつぶやくように語る。
「ですが、その草稿は政敵の主父偃に盗まれ、その内容を誹られたばかりか、弟子の呂歩舒にまで愚の骨頂と罵られます」
賈蓉は宙を見つめ、唾を飲みこんだ。
「そこで董子は気づいたのです。風が吹いても靡かぬ草もある、と」
「……そんな例が近くにあるのかね?」
学堂は再びしんと静まった。
「……いいえ」
賈蓉はふだんの爽やかな笑顔に戻り、それから何か発することはなかった。
宝玉たちが義塾へ入る数年前のことである。




