第十二回 2
賈瑞の胸は高鳴っていた。
ややもすれば熙鳳の夫である賈璉と鉢合わせるかもしれない。小心な彼は熙鳳の上房の前に立ったとき、そのことばかりを考えていた。眼前の入り口を前にして、賈瑞は奇妙な昂揚感と不安とが入り混じりながら、棒のように硬直した。
「お入りください」
もう一度丫鬟が言った。
重い足をひきずるようにして中へ誘われる。
「姐姐……」
つい、そうつぶやいてしまった。正面の王熙鳳は寧府で見かけたときとは見違えたように着飾り、化粧し、柔らかく微笑んでいた。
「瑞さま、お茶をお飲みになって」
蕾のごとき唇がゆっくりとひらき、えもいわれぬ香が漂ってくる。
――天女か。
と思い、口をあんぐりと開けたまま立ち尽くす。
――いけない、笑わなければ。
固まってしまった頬を無理やりにあげ、笑顔をつくる。
「ご機嫌よう。ご機嫌よう。ご機嫌よう」
何度も何度も挨拶をした。
言ってしまって、ようやくのぼせあがった頭が冷静になる。
「二の哥さまはまだお帰りではないのですか?」
熙鳳の眉がやや吊り上がった。
「さあ、どうしたのかしら」
賈瑞はその口調に怒りの気配を感じた。おののきながらも、
「み、道で誰かに呼びとめられて帰るのが惜しくなったんじゃないですかね」
一か八かそう軽口をたたいてみる。
「そうかもしれないわね。男なんてのは、誰かを見れば好きになるものだし」
そう恨むような声で言うのに、賈瑞にひらめくものがあった。
「嫂子、私だけ……、私だけはそんな人間じゃありません!」
そこでようやく相手に笑みがこぼれた。
「あなたみたいな人、十人に一人もいるものじゃないわ。なんて殿方なの」
賈瑞はしてやったりと思い、嬉しくてたまらず、耳をかき、頭をかきむしりながら言った。
「嫂子もさぞ退屈でしょう」
熙鳳は息をつきながら言った。
「本当に。誰かさんが来て、話でも聞かせてくれたら気がまぎれるのだけれど」
そう言う熙鳳の目はたしかに賈瑞を射抜いていた。




