第九回 7
先にもあったとおり、この家塾には一族の者や親戚筋の子ばかりが集まっていた。
だが、「一龍より九種生まれる。九種に各々別有り」との諺があるとおり、人数が増えれば必ず善悪入り混じり、卑しい者も混じるものである。
そんな玉石混交の子弟のなかに宝玉と秦鐘がやってきたのだった。
秦鐘は奥ゆかしく、物腰も柔らかで、口を開く前にまず頬を赤らめ、怯えながら恥じらうさまは、まるで小さな女の子のようだった。宝玉も身分の違う秦鐘に対して腰を低く、へりくだって秦鐘に寄り添って気を配り、その言葉はまるで纏うがごとく柔らかだった。
そんな二人を見た学友たちが陰であれこれと悪口を並べ、嘲りや淫らな憶測が房の内外でかけめぐったのも無理からぬことだったろう。
だが、そのたぐいの噂を立てるのも野暮なことと思われるほど、家塾で好き勝手に振舞っていたのは薛蟠だった。
薛蟠は王夫人のもとに身を寄せるとすぐに家塾のことを聞きつけ、見眼麗しい子弟が集まっているのを知ると、すぐさま「龍陽の興」におよび、色欲にふけるかたわらに上学しているに過ぎなかった。「三日魚取り、三日網干す」という怠けようで、賈代儒にはわずかな持参金と贈り物を寄進するだけで、学問にはまったく進歩がみられず、居眠りやおしゃべりを繰り返し、ただ子弟と情を深めようとするだけだった。
薛蟠にとって都合のよいことにこの家塾には年少の者が多く、薛蟠が与える金や衣食に目がくらみ、言いくるめられ、薛蟠の手に落ちた者は数えきれないほどだった。
ことに家塾の多くが惹かれている子弟が二人おり、どちらもどこの親族なのか分からないどころか、姓名すら分からなかったが、色っぽく可憐で玉のように愛らしい雰囲気を醸していたため、彼らを美少年の異称にあやかって、それぞれ「香憐」、「玉愛」と仇名した。家塾の面々も、学を修める者とは思えぬほど、そろって二人によからぬ思いを抱いていたが、薛蟠を惧れ、手出しはできなかった。