第九回 3
「次は老爺さまのところへご挨拶に行かなければ」
李貴が強張った顔で言う。
「うん。そうだね。父上のところに向かわないと」
宝玉はうなずいたがその顔は翳っている。
「二の若君、まだ老爺さまのお帰りには早いですぜ。急げば顔を合わせずに、ご挨拶にはうかがったという面目はたちます」
そう茗烟がささやくと、宝玉はぱっと顔を明るくして、
「そうだね。急ごう。父上が戻られる前に挨拶を済ませるんだ」
走り出す宝玉と茗烟を小者たちが追い、しんがりに李貴が続いた。
だが、予想に反して賈政の書斎はざわめいていた。賈政の客である文人たちが賈政と話している。
漏れ聞こえる笑い声に、宝玉は尻込みし、
「もうお会いせずに行ってしまおうか」
と言うほどだったが、李貴が、
「いけません。ご挨拶をしないで行けばかえって叱られるはめになります」
と一喝したので、宝玉もしぶしぶ戸に手をかけた。李貴は李ばあやの息子で宝玉とは乳兄弟にあたる。その言葉も無下にはできない。
戸の隙間越しに宝玉と賈政の目が合った。鷹のように鋭い瞳が宝玉に、「入るなら早く入れ」とうながしている。
引き寄せられるように中に入ると、ざわめいていた場は一気に静まった。
宝玉は硬直して賈政の前に立ったが、賈政は話せとも話すなとも一言も発さない。宝玉は仕方なく拝礼し、絞り出すように言った。
「……上学」
学堂に行く。それだけを言ったはずなのに宝玉の顔は青ざめていた。案の定、賈政は冷笑し、
「もう一度、『上学』の二文字を口にしてみろ、わしは恥ずかしくて死んでしまうわ。おまえなぞは遊び呆けているのが“正道”なのだよ。立てば地を汚し、もたれれば戸口を汚すのがおまえなのだ!」
居並ぶ客たちはそろって立ち上がり、笑って言った。
「何もそこまでおっしゃられなくてもよいではありませんか。御曹司がきちんと家塾に通われれば、二三年のうちには身を顕し、名を成すことでしょう。もう子どもじみた振る舞いも近ごろは見えません。もうすぐお食事の時間です。どうか行かせてやってください」
そう言いながら、年配の者二人が宝玉を連れて出て行った。