第二回 5
「天地が人を生み出すのに、大仁と大悪の二種類をのぞけば、人間なんて似たり寄ったりだ。大仁は運によって生まれ、大悪は劫によって生まれる。運が生ずれば、天下は治まり、劫が生ずれば天下は乱れる。堯舜禹、湯王、文王、武王といった大仁が生まれれば天下は治まるし、始皇、王莽、曹操といった大悪が現れれば天下は乱れる。現下は聖明なる天子の治めあそばす隆盛の時代。太平の時代において清らかで素晴らしい気をそなえた方々が上から下にいたるまで大勢おられる。そこから漏れ出た気はそのまま天からの雨露となり、風となって四海にあまねくいきわたる。他方、あの陰湿なる邪気は晴れわたった空の下では落ち着くことができず、谷川へ沈殿しているが、風に吹かれたり、雲に押し散らされたりすると、かの清明なる気とぶつかって、正は邪と和せぬところから、お互いに消えることもできず、必ずぶつかり、反発しあわずにはいられない。そのためその気が人に入り込んだ場合でも、すべての気が蒸発してしまうまで尽きることはない。
たまたまこの二つの気をそなえて生まれた男女だと、上にあっては仁人君子になれず、下にあっても大凶大悪にはなれない。これを人中におくと、すぐれた気が表に出ると万人の上にあるが、ひねくれてよこしまな気が表にでると万人の下となる。そういう人間が王侯貴族に生まれれば情にとらわれてしまうだろうし、清貧な学問を好む家に生まれれば優れた人物となるだろう。よしんば身分の低い家に生まれたとしても凡人のいいなりになることはなく、すぐれた俳優や芸妓となるものだ」
「つまりはうまくいけば公となり、悪くいけば賊となるということですかね」
「うん、そんなところだ。私がそれと気づいたのも、免職になってから二、三年ほど各省をわたり歩き、二人の似たような変わった子に出会ったからだ。だから君が宝玉のことを話したとき察しをつけることができたのさ。君は欽差金陵省体仁院総裁の甄家を知っているだろう?」
「知らないものはいませんよ。なんといって賈家と甄家は古くからの親戚で、両家の付き合いも親密です。私もしばしばお付き合いをさせていただいています」
「去年、金陵にいたころ、私は人からの薦めで甄家の家庭教師をつとめていた。甄家は「富みて礼を好む」家柄で、あれほどの勤め先はないというくらいだった。ただその教えていた子というのが下手な科挙受験者よりも厄介でね。その言い方がおもしろいんだ。「女の子と一緒に読書をして初めて字が覚えられる。そうでないと頭がぼんやりしちゃうよ」とね。またお付きのものたちに、「女児という二文字は何よりも尊く、阿弥陀仏や元始天尊の名号よりもずっと素晴らしいんだ。おまえたちの濁った口や臭い舌がこのありがたい言葉を汚してはならない。どうしても口にしないといけないときは、きれいな水や上等のお茶で口をすすいでからにしろ。そうしないと歯を引っこ抜き、頬をくりぬかれるぞ」ってね。その乱暴で、けたたましく、愚かなことったらない。ところが、いったん勉強が終わって女の子たちのところへ帰ってくると、柔和で賢い少年に変わってしまう。
そういうわけでお父上もかなり折檻されたのだが、本人はけろりとしたままだった。それどころか撃たれて痛くてたまらないとき、その子はいつも「姐姐」「妹妹」と叫ぶんだ。それを聞いた女の子たちが彼をからかって、「きつく撃たれたときに私たちを呼んでどうするの? 私たちにどうにかしてほしいのかしら。あなたは恥ってもんをしらないの?」と言うと、その答えがまた素晴らしいんだ。「痛くてたまらないとき、「姐姐」「妹妹」と叫ぶと痛みを感じなくなることに気づいたんだ。だから、「姐姐」「妹妹」と経文を唱えるごとく呼ぶことにしたのさ」
ね、おかしいだろう? そのうえ、君が教えてくれた栄国府と同じように、某甄家のほうでもおばあさまが孫をひどく可愛がって、こと孫のこととなると教師や息子を叱るものだから、私も職を辞することにした。このような家の子弟というのはおうおうにして父祖の事業を守ったり、年長者の意見にしたがったりはできないものなんだよ。惜しいことに、その家のお嬢さん方のほうが、並みの人士では太刀打ちできないほどの才能を持っているんだからなあ」