第八回 22
可児が賈家に嫁いでのち、賈家からの銀子も無くなってしまった。秦業はいっそう貧しくなったわけだが、それだけに秦鐘に期待することひとしおで、ぜひとも科挙を経て進士となってほしいと思い、金を切り詰めて業師を招いていたが、その師が亡くなり、その後、他の俊才を招く暇もなかったので、とりあえず家で旧い課題を復習していた。
このうえは秦氏のつながりをたより、賈家の家塾へ預けることができたら、と考えていたちょうどその折、宝玉へめぐりあう機会を得たのである。そのうえ、賈家の家塾の業師は当代きっての老儒、賈代儒であると知った。
秦業の喜びこのうえなく、秦鐘の学業もすすみ、ゆくゆくは出世につながるものと算盤をはじいていた。
ただ秦業の貧しさ、官位の低さでは、賈家の子弟と比べどうしても見劣りしてしまう。そのため秦業は各所から金をかき集め、二十四両の礼金をたずさえ、秦鐘を連れて牛車へ乗り、賈代儒の邸を訪れ、礼を尽くした。
その帰り際のことである。秦業親子は徒歩で栄国府南の路地をすすんでいた。
行きは恰好をつけるために牛車を借りていた秦業だったが、帰りは不要だからと賃金を値切り、徒歩で帰路に着く運びとなったのである。
その細い通りでは、破れた木の屋根が軒を連ねており、
煤で顔の汚れた子どもたちが秦業たちの華美な装いに爪を噛みながら睨むように眺めていた。すれちがう男たちもしきりに秦業たちの懐を舐めるようにのぞきこんでいくのだった。
秦業は中途で安い衣服に着替えなかったことを後悔したが、仕方なく平静を装いながら足を進めた。
壮年のころであれば悪漢に襲われようと、腰に剣を下げているかぎり、どこ吹く風と気にしなかったのだが、秦業自身も七十の境におよび、秦鐘と随行した二人の小者、いずれも柔弱であり、身を守るには不安であった。
秦業は早くここを抜けようと早足になる。息も絶え絶えに郷の境までたどり着いた。
その門のそばに、年のころ秦鐘よりも二つ、三つ上くらい、長身の痩せた青年が壁に背をもたれながらこちらを見ていた。そのまま目線を合わさないようにしてやり過ごしたのだが、この金栄がのちに秦鐘と悶着を起こすことを秦業は知らない。