第八回 21
秦業はほとぼりが冷めるまで、お上に知らせもせず、賈府に文を出すこともなく、官吏の追及におびえながら一冬を過ごした。
その間に男の子が持参した剣は処分し、いくばくかの金を得ることができた。だが、それもすぐに酒代と消え、貧しい生活は変わらなかったのだった。
秦業にとって幸運でも不運でもあったのは、かの女の子、可児について賈家がほとんど気にしていなかったことである。というのも、まだ彼女は朝廷から追われる身であり、賈家としても腫物に触るような存在であって、あけすけに言ってしまえば放っておいてもよいと考えていた。
そのため、秦業が可児をさらった際も、もっけの幸いとまで思っていたが、改元の折、恩赦が発せられるにおよんで、にわかに賈府は男の子および可児の捜索を始めた。
そこで秦業は恐怖と期待がないまぜになったような心持ちで賈府へ赴いた。
その当時の当主は賈敬であったが、彼はもっぱら仙術に憑りつかれており、家事をとりしきれるような状況ではなかったため、史太君が名代として秦業および可児の対応をする運びとなった。
「おやおや、なんと可愛らしい子だろう」
史太君は思わず双手で可児を抱き上げた。可児も可児で史太君に抱きかかえられたまま頬ずりをする。
「老祖宗に何たる無礼な」
近習が慌てて駆け寄るが、史太君はそれを押しとどめ、
「幼子のすることです。何を目くじらたてることがありましょう」
秦業は額から汗を流しながら、養生堂にあった調度品を史太君に献上する。
「ここにありますのは公女の調度品でございます」
史太君は秦業が差し出した調度品をいちいち確認していたが、
「公子のものが見当たらないわね」
とつぶやいた。秦業は思わず固唾をのんだが、あくまで平静をよそおい、
「公子? そんな方がおられたとは! 行方が分からなくなっていたのは公女だけではなかったのですか?」
と驚いたように言った。
「ええ。ただ、もう公子はこの世にはおられません。数年前、淮水のほとりで亡骸が見つかったのです。公子の持ち物が無かったとしても無理からぬこと」
史太君は袂で涙を拭き、続けた。
「本来であれば、賈府で公女はお預かりするところですが、恩赦をいただいたとはいえ、浮沈ある世の中。公女の前途も輝かしいものとは限りません」
もし、よければ、と史太君は眉間に皺を寄せながら言った。
「あなたの邸で公女をお預かりいただけないでしょうか。むろん、先立つものはお渡しします。さしあたり……」
と言いながら、二袋ばかりの銀子を差し出す。
史太君の顔はなおも渋かった。公女を引き取りたいのはやまやまだが、何らかの事情によって恩赦が翻った場合、賈府にも危害が及ぶ。かといって、恩赦が出た以上、何らかのかたちで庇護しなければそれも非難を免れない。史太君はその間をとったわけだが、半端といえば半端な処置であった。
だが秦業はそんな史太君の苦渋などいざしらず、ただ目先の金だけに目がくらんで、にやけるのを抑えるのが精いっぱいだった。
それからも賈府からはそれなりの銀子が二月に一度送られてき、秦業にも端職が与えられたが、秦業がそれ以上に浪費してしまうため、彼とその娘は貧しいままだった。
結果として史太君の心配も杞憂に終わり、可児は朝廷の追及を受けることなく、かの僧の評どおり、「嬝娜にして風流の性のある」女性に成長する一方で、秦業はいまだに貧しいままだったが五十を過ぎてから実子を授かった。それこそが秦鐘である、可児と秦鐘とは母親が違うはずなのだが、なぜか本物の兄妹のように似ており、同じように美しかった。
可児が賈蓉に嫁ぐのは、それから数年を経た後のことである。