第八回 19
秦業には明かせない過去がある。
今でこそ営繕郎という建設を司る職に就いているものの、若いころはまともな職にもありつけず、かつ栄達してやろうという野心は人並み以上にあるという、悶々とした若年期を過ごした。
秦業は若いころに妻帯したものの、貧しさと酒癖の悪さのために、夫人は病にかかり早世してしまった。
それから初老に差しかかるまで、妻を持つ余裕もなく、富貴の夢を見ながら、昼は日払いの仕事で糊口をしのぎ、夜は浴びるように酒を飲むというほど生活は荒んでしまっていた。
そんな晩夏のある夜のことである。
いつものごとく秦業は酒場で酒を飲んでいたが、たまたま横の男たちの会話が耳に入った。
「……の落胤が養生堂に預けられているらしい」
一人の男がぽつりと言った。
「本当ですか? でも、……といえば謀反の疑いをかけられて斬首となったそうじゃないですか」
もう一人の男がたたきつけるように杯を置く。
「いや。その子どもたちは下人たちが落ち延びさせていたのさ。ことが落ち着くまで養生堂に託し、機をみて引き取りにくる算段らしい」
男はきおい酒をあおった。
「で、その引き取り手というのはいったいどこの家の者です?」
「金陵の賈家だよ。……の夫人は賈家の係累だからな」
もう一人の男はにやりと笑う。
「あなたもただの噂話をしたいわけではないでしょう」
「もちろん。明日にでも“俺たちが”引き取りにいこう、ってわけだ。いや、公子、公女を苦境からお救いしにいくのさ」
「そりゃあ、いい。では明日」
二人は杯を重ねた。
秦業は固唾をのんだ。二人が話していたのは罪に落とされたさる皇族のことだった。それを彼らはさらいに行こうとしている。秦業は埒外の人間としてその話を聞いていたが、しばらくしてこう思い始めた。
かの公子、公女を迎えにいくのが俺ではなぜいけない。
もし、その二人を手に入れることができれば、と秦業は思う。きっと富貴が転がり込んでくる。鬢には白髪も混じり始めてきた。もう俺に時は残っていない。
酒を杯になみなみと注ぎ、飲みほした後、唇を震わせながら一言つぶやいた。奇貨居くべし、と。