第八回 17
そのときまでの襲人は丫鬟としての自分と、女としての自分との間で葛藤していた。
晴雯の手を握ったことも、黛玉に媚びるような言い方をしたことも、自分を軽く扱われたことにも少なからず苛立っていたのだが、筆頭丫鬟である彼女としては表立って不満を言うわけにもいかない。
せめて宝玉を焦らしてやろうとずっと寝たふりをしていたが、宝玉が茜雪の裙子にお茶をぶちまけ、李ばあやを追い出すとまで言い出したので、丫鬟としての自分を無理やりたたき起こして、宝玉をなだめたのだった。
「茜雪も考えがあってやったことですわ。どうか私に免じてお許しください」
他の者ならいざしらず、襲人のことなら言うことを聞く宝玉だったが、このときばかりはかえって暴れだす始末で、さすがの襲人も途方に暮れてしまい、黙って見ているよりほかなかった。
すると、急に房の戸が開き、賈母の使いが飛びこんできた。
「さきほど大きな音がしたが、何があったのかと仰せです」
襲人は慌てて言った。
「たった今お茶を淹れたのですが、雪で足をすべらせて転んでしまい、うっかり茶碗を割ってしまったのです。きっとその音ですわ。祖宗には夜分に大変ご迷惑をおかけしたとお伝えください」
そう丁重に返答をし、使いが戻ったのを見届けると、襲人は皮肉交じりに言った。
「あなたが本気で李ばあやを追い出そうとされているのなら、私たちにも覚悟がございます。良い機会です。みんなまとめて追い出してください。私たちもせいせいしますし、あなた様も今よりずっとできのよい者が見つかるでしょうから」
宝玉はそれを聞くと言葉を無くしてしまい、襲人たちに抱きかかえられるようにして寝台へたどり着くと衣服を着替えた。
「……ん」
宝玉がもつれる舌で言う。
「どうかなされました?」
襲人が聞きなおすと、
「ご……め……ん」
とうわ言のように言うので、襲人は、
「なんてずるい人」
と一言つぶやき、宝玉の首から通霊宝玉を外し取ると、自分の手巾で包みこみ、褥子の下にしまいこんだ。こうすれば朝起きて宝玉が身につけても冷たくない。いつもの襲人の習慣だった。
そのときには李ばあやたちが房のなかに入ってきており、宝玉の様子を知りたがったが、襲人は、
「もうそっとしておいてください。まだどんな気を起こすかしれませんから」
と言って追い返した。彼女たちが見えなくなると、
「今夜初めてあなたを妬ましく思ったわ」
と独りごちた。