第八回 16
晴雯は少し不貞腐れながら言った。
「もうその話はやめて」
「え?」
宝玉はぽかんと口を開ける。
「あれが寧府から届けられたとたん、私のだなって分かったわ。あいにく食事を済ませたばかりだったから、そのまま置いておいたの。そうしたら李ばあやが来て包子を見つけて、『宝玉は腹いっぱいで食べられないだろうから、うちの孫に持って帰って食べさせようかね』って言ったの」
“孫”、晴雯の口からその一語を聞いたとき、宝玉の胸がなぜかずきりと痛んだ。
「ねえ、聞いていて? 結局あれはそのまま人に言いつけて家に持って帰っちゃったの」
「ああ……、うん」
そっけのない返事をしたちょうどそのとき、茜雪がお茶を運んできた。宝玉は、
「黛ちゃん、お茶をどうぞ」
と言ったが、返事はなく、周りの人々は声をあげて笑った。
「“黛ちゃん”はもう帰られたのに、いったい誰に勧めてるんです?」
宝玉は首をひねる。
「あれ、おかしいな。いったい、いつ帰ったんだろう?」
晴雯が刺のある調子で答える。
「襲人姑娘へくだらない冗談を言っていたときよ」
宝玉は呆けたようにお茶を口につけながら言った。
「……そうか」
口の中に広がる新鮮な風味に、宝玉は不意に今朝のことを思い出し、茜雪に尋ねた。
「楓露茶は三煎、四煎してようやく味わいが出てくるっていったはずだよ。それなのにどうしてまた新しく淹れてきたの?」
茜雪は答えた。
「取っておいたのですが、そのとき李ばあやが『味見をしてみたい』とおっしゃったので、差し上げてしまったんです」
宝玉はそれを聞くなり、手に持っていた茶碗を床にたたきつけた。ガシャン、大きな音を立てて茶碗が砕ける。茜雪の裙子がしたたかに濡れる。
宝玉は跳ね起きるようにして茜雪を怒鳴った。
「あの人は君にとって何なの? どうしてそんなに敬って、世話を焼いてやらなくちゃならないの? せいぜいぼくが小さいころにしばらくお乳を飲ませただけのことだろ? それをのさばらせて、賈母……、祖宗よりもでかい顔をしていやがる! ぼくはもうお乳なんていらなくなったんだ! なんであの“祖宗”を養ってやらなくちゃならない? 賈母のところに行って、あいつを早いとこ追っ払っちまおう」
だが、茜雪はまったく別のことを思っていた。
嘘だわ。だって公子はあんなに泣いていらっしゃるもの。“孫”にやるだの、お乳を飲ませただけだの、お二人ともいろいろなことをおっしゃっているけど本当は……。
茜雪は寝ているはずの襲人をちらりと見た。襲人は薄目を開けると、茜雪と目を合わせ、深くため息をついた。