第八回 12
薛のおばさまが言った。
「怖がらないで。怖がらないで。大丈夫よ、坊や。うちでは大した御馳走も出せないんだから、そんなちょっとしたこと気に病まないで。かえって私が落ち着かないわ。安心してお食べ。おばさんがついているんだから、いっそ夕飯まで食べていきなさい。酔ったらそのまま、私のところでねんねすればいいのよ」
言い終えると、そのまま命じた。
「もう一度お酒を温めてきて。おばさんとお酒を二杯飲んでから、夕飯にしましょうね」
宝玉はそれを聞くとようやく気分が乗ってきた。
李ばあやは小丫頭子たちに言いつけた。
「おまえたちはここで気をつけてお仕えしていなさい。私は家に戻って着替えてきますから。その間、薛のおばさまにそっと申し上げて、あの子が勝手にお酒を飲まないようにしておくれ」
そう言って去って行ったが、邸の門子をくぐってしまうと、思わず涙があふれてきた。
「李の姐姐、どうされたのですか?」
丫鬟や嬤嬤たちがたちまち駆け寄ってくる。
「あの子ったら、薛の姑娘や林の姑娘にすり寄って、私の忠告など聞きもせずに酒をあおるばかり。乳をあげたのが誰だ(だれ)ったのか忘れてしまったんだろうねぇ」
さめざめと泣く李ばあやに、丫鬟たちは口々に言った。
「李の姐姐も宝玉さまのようにお酒を飲まれればよいではありませんか。少しは胸のつかえもおりましょう」
李ばあやは激しく首を横に振る。
「私がお酒を飲んでしまったら、あの子がどう思うか考えてごらん。気に入らないことがあったらいつでもお酒を飲んでいいと勘違いするでしょう。私は向こうに戻らなければなりません。私の顔がちょっとでも赤くなっているのが分かったら、それまでだわ」
李ばあやはしばらくの間、声をあげて泣いていたが、卓子に残った茶碗を見ると、不意に泣き止み、こう言った。
「そうだ。今朝、あの子も楓露茶を飲んでいたじゃないか。あれを飲みたい。飲ませておくれ!」
周りに控えていた丫鬟たちは、宝玉が楓露茶を夕方にも飲みたがっていたことを知っていたので、戸惑うばかりで誰も楓露茶を淹れようとはしない。
「何だい。これまで栄府に尽くしてきたのに、誰も私にお茶一つ淹れてくれないのか」
そう李ばあやが悪態をついていると茜雪が進み出て、
「姐姐、私がお淹れしますわ」
と言った。とたんに丫鬟たちはざわめきだし、茜雪に「おやめなさい」とか「あなたは朝にはいなかったからご存じないのよ」と口々に諭したが、茜雪は何も言わず、窓の下の戸棚から茶筒を取り出した。
「襲人姐姐!」
丫鬟たちは筆頭丫鬟である襲人に助けを求めたが、襲人も黙して何も言わなかった。
茜雪は急須に残っていた茶葉を捨ててから、新たな茶葉をお湯に浸した。雪の舞い降りる静けさのなか彼女の所作の奏でる音だけが小さな房に響いていた。