第二回 3
そこでよくよく顔を見てみると、それは都で骨董商をしている冷子興だった。冷子興と雨村とは都にいるときからの旧友で雨村が子興を褒めれば、子興もその文名を利用するというふうで、お互いに気が合ったのだった。
「なぜ、君がこんなところに?」
「去年の暮れに故郷へ帰ったのですが、今度また上京することになりまして、その中途、友人のところに二、三日泊まらせていただいているところです。今友人が留守のため、ぶらぶらしていたところちょうどあなたのお顔が見えたものでお声がけした次第です。もしかするとご迷惑でしたか?」
雨村は大きく首を振り、
「そんなことはない。少しむしゃくしゃしていてね。嫌な思いをさせてすまなかった。ところで最近、都の方に動きはあるかね」
「さあ」
子興はおおげさに肩をすくめてみせる。
「雨村さまにお話しできるような話があるかどうか。都の話といえど、どれもこれもありふれた話ばかりでね。あなたと同族の方のお話なら少しは興味をもってもらえるでしょうか?」
「私の一族の人間は都にはいないはずだが?」
「あなたと同じ姓ならつまり同族じゃありませんか」
子興はいたずらっぽく笑う。
「同族といっても私の一族は、遠くは東漢の賈復から分かれているから全国各省どこにでもいるんだよ。で、その賈何某というのはいったいどこの誰のことだい?」
「栄国賈府です」。
「残念ながらうちの一族とは月と鼈くらいに違っているよ。向こうは押しも押されぬ名家、それに引きくらべて私の一族ときたら……」
「そうでもありませんよ」薬が効きすぎたと思ったのか、子興が励ますように言う。「先生、寧栄両家ともかつての栄華はもうなくなっています」
「私が知っている限りでは寧栄両家ともご繁栄のようすだったがな。つい先日、六朝時代の史跡をめぐるために金陵をおとずれた際、石頭城に入って、あのお屋敷の門前を通ったのだが、通りの北側の東が寧国府、西側が栄国府となっていて街の大半が両家で敷き詰められていた。門の前はひっそりとして人気がなかったが、塀越しに見やると楼閣がそびえたっているし、奥の樹木や山石もきちんと手入れがされていた。君の言うように落ちぶれた様子ではなかったがな」
子興は冷笑して、
「立派な試験を受け、進士にまでなられた方が分からないんですかね。古人も言っているじゃありませんか。百足の虫は死すとも倒れず、と。たしかに見かけだけは今でも豪勢なままです。そんじょそこらのお役人の家とは段違いですよ。今も人は日に日に増え、やることも多くなり、上から下まで安楽安寧にひたって、先を見通して手をうてる人間などいやしません。つまりね、みかけはぴかぴかでも中身はがらんどうなんです。あの名家としたことがね。ことにあの学問でしられた家の子孫があのていたらくでは……」
「あの両家は子息の教育には厳しいときいていたんだがな」
雨村は顔をしかめる。
「ご存じかと思いますが寧国公と栄国公とは同じ母のもと兄弟として生まれました。寧国公の方が年長で、四人の子をもうけました。ご長男の賈代化さまにお二人子どもがおられ、長男は八つか九つで亡くなり、後を継がれた男の賈敬さまは仙人の道に入り、金丹を練ることに熱中する始末。若いころにおできになった息子の賈珍さまに早々に相続させて、自身はいんちき修行に没頭するという具合です。賈珍さまには賈蓉さまという十六歳のお子さまがいらっしゃるのですが、肝心かなめの賈敬さまが道楽三昧なものですから、賈珍さまも勉学に身が入らずという調子。寧国府は転覆寸前です。祖父、父がこのようでは賈蓉さまも推して知るべしといったところでしょうね」
雨村はまったくの他人ではないだけに頭をおさえながら言った。
「まさか、あの寧国府がそんなことになっていようとは……。それで、かたわれの栄国府はどのような状況になっているのだろうか?」
「いっそう変わっているのはこちらの方なのです」
子興は好奇心と悪意がないまぜになったような表情で言った。