第八回 4
何の後ろめたさもないのなら、老爺さまに伝えてからいけばいい。それをしないということは……、そこまで考えが至るとふつふつとさまざまな思いが沸き立ってくる。
巡り巡って、呆れよりもわずかに苛立ちが勝った。
いけない、襲人は激しく首を振った。これでは林の姑娘と同じじゃないか。
そう自分を責めているうち、宝玉が二人の食客と話しているのが見えた。
「よかった。これで追いつけるわ」
襲人は安堵のため息を漏らした。
詹光と単聘仁の二人は、笑顔で宝玉に駆け寄り、詹光は宝玉の腰にすがりつき、単聘仁は手を取った。
「菩薩のような哥兒、まさかこんなところでお会いできるとは夢のようです!」
と言いながら平伏して挨拶をし、
「今日は寧府に行ってこられたとか。寧府のご様子はいかがでしたか?」
「今はどのようなお勉強をされているのですか?」
などと、とりとめもない世間話を始めた。宝玉はそれにうわの空で対応しながら、きょろきょろとあたりを見回した。
お付きの嬤嬤がそれに気づき、
「お二人は老爺さまのもとからお越しになったのですか?」
と尋ねる。二人は笑って、
「ご心配なく。私たちは老爺さまの間諜ではありませんよ。老爺さまは夢坡齋の小書房でお昼寝中です」
宝玉はそれでようやく笑みを漏らすと、その後は二人を適当にあしらい、北へ向かって梨香院へ急いだ。
ちょうどそのとき銀庫房の総領である呉新登と倉庫の総領である載良、およびその随身の七名が帳場から出てくるところだった。彼らは宝玉を見留めると、皆そろって手を挙げ、直立した。
そのなかから、買いつけ役の銭華が前に出てきて、深々と礼をした。
「久しく二の若さまにお目にかからず、失礼をしておりました」
そうかしこまって伏礼するのを、宝玉は笑みを浮かべながら手を取って立たせた。
他の下人は笑いながら言った。
「この間、二の若さまのお書きになった書をお見かけしましたよ。筆の運びが格段に上達されており、素晴らしいものでした。私たちにも何枚か賜りたく存じます」
「どこで見かけたの?」
「そりゃあもう、あちこちでお見かけしますとも。絶賛しない者はいませんし、それどころか私たちに坊ちゃんの書を何度もねだるんですよ!」
宝玉は笑って言った。
「大したものじゃないよ。もし欲しいんなら、うちの小者たちに言っておくれ」
そう言いながら、先に進む。七人は宝玉が行ってしまうのを待って、散り散りになっていく。
その一部始終を黛玉が正房の高台から頬杖をつきながら眺めていた。
「まったく、忙しいこと! 朝早くから寧府に行ったと思えば、今度はあちら。お芝居にも行くかどうかためらってらっしゃったのに、いったいどこに行かれるおつもりかしら」
雪雁がおずおずと言う。
「方角からして梨香院ではないでしょうか?」
紫鵑が黛玉の顔つきをうかがい、ため息をつきながら雪雁を睨めつける。
事情を察しない雪雁はおろおろするばかりである。
「出かける準備を」
そう短く言い捨てて、房に入っていく黛玉を見ながら、紫鵑がため息をつく。
「雪雁、あなた姑娘について行きなさい」
「紫鵑姐姐は?」
「私はここに残ります。もし姑娘がいないことを尋ねられたとき、あなたじゃ言い訳できないでしょ?」
雪雁はなおもためらっていたが、しぶしぶ納得して房に入っていった。
紫鵑は再びため息をついた。
空からちらちらと白いものが舞ってきている。
「雪だわ」
紫鵑は小さくつぶやいた。