第八回 2
「秦の弟君が家塾に上がりたいと仰っているのです」
宝玉は振り絞るように言った。賈母はとたんに眉を顰める。
「……秦の弟君、秦鐘という人は四書を修め、今は周礼を読み始めているとか。その人となりは温柔であり、風貌麗しく、立ち振る舞いは礼にかなう人柄ながら、貧賤の渦中にあり、学問を志せずにいます。
このような賢才が親戚にくすぶっているのは賈府の名折れです。また私もともに勉学に励む友ができればなおいっそうの精進をする所存です」
賈母は大声で笑った。
「おやおや、今日のおまえは蘇秦、張儀にでもなったつもりかい?」
東周時代の悪名高い弁舌家の名前が不意に出てきて、宝玉は頬を真っ赤に染める。
「まぁ、でもおまえがそれほどまでに学問へ熱心になるなんて爾来無かったこと。家塾のこと、私は反対だったけれど少し考えてみようかね」
賈母がおもむろに腰を揺らしたのを見て、熙鳳が横から加勢する。
「秦の甥御はぜひ祖宗の顔を拝みにあがりたいと申しております」
賈母はにわかに相貌を崩すと、
「そうかい、そうかい」
と上機嫌になる。
熙鳳はこの機に乗じて、
「寧府の方々からお芝居に誘われたのですが、祖宗もご一緒にいかがでしょうか?」
賈母は身を乗り出しながら、
「何の芝居だい? 私は年甲斐もなく芝居が好きでねえ。明日かい。明後日かい?」
熙鳳も笑いながら、
「祖宗のお芝居好きは存じ上げておりますわ。日取りは明後日です。老祖宗に来ていただけるのなら寧府の方々もきっと喜ばれるに違いありません」
翌々日、尤氏があらためて招きにあらわれたので、賈母は王夫人、宝玉、黛玉を連れて、芝居見物に出かけた
一行はその華美さに仰天し、引き込まれ、午になるまで楽しんだが、賈母は老齢のため疲れ切ってしまい、
「私はもう帰るよ。もう十分楽しんだ」
と言い、栄府へ帰ろうとした。そこを熙鳳が呼び止め、
「老太太、あれが秦の甥御ですわ」
と観客の片隅を指した。
「ほぅ、あれがねぇ。うちの宝玉が見劣りするくらい美しいお子じゃないか!」
そう腰をあげて挨拶に赴こうとするのを、熙鳳が押し留め、
「後日、家塾の御礼に参られるはずです。ご挨拶はそのときに」
と耳打ちすると、賈母はうなずいて帰っていく。その姿を見るや王夫人も、そばに侍していた金釧児に、
「さあ、私たちも帰るわよ」
と言う。金釧児は慌てて、
「二の奶奶はまだお残りですがよろしいのですか?」
と言うと、王夫人は笑って、
「いいのよ。鳳哥ならこういう騒がしいのを私が嫌いなのを知っているはずだから」
栄府の二人が帰ってしまうと、熙鳳が上座に座りなおし、みなは夜が更けるまで楽しんだ。