第七回 18
「珍の老爺さまがいないから、焦大のじじいは言いたい放題だぜ」
一人がぽつりとこぼすと、それを聞いたもう一人が、
「しっ、あいつに聞こえるぜ。それに老爺さまがいたところで同じさ。どうせ焦大には何も言えやしない。お、おい見ろよ。ついに管事さまにまで突っかかるつもりだぜ」
焦大は管事の頼二の襟首をつかみながら、がなりたてていた。
「弱きをくじき、強きに屈する糞野郎! 相手を見て態度を変えやがって。うまみのある事は他のやつにまかせて、こんな夜更けに人を送るような嫌な役回りは俺によこすのか。恩知らずのくそ餓鬼が、一丁前に管家面の真似事か。
よく思い出せ。焦大の太爺のつま先が、てめえの頭よりもずっと高かったことをよ。二十年前の焦大さまに逆らえる奴なんていなかっただろ。むろん、てめえらみたいな穢れた血の王八どもは言うに及ばねえ」
焦大は一気に言いおおせると、深く息を吐きながら肩を落とした。
そこに熙鳳を見送りにきた賈蓉が顔を出した。
「また焦大の爺さんが何か騒いでいるの?」
「ええ、蓉さまからも一言おっしゃってください」
下人からそう言われ、賈蓉もいつもの笑顔をひっこめるしかなかった。
「仕方ないな……」
賈蓉は頭をかきながら焦大のもとに近づいて行った。
「焦大さん、もうそのへんにしておきませんか。あなたがご苦労されたことを私たちはよく承知しています。」
賈蓉は笑顔をちりばめながら優しくなだめる。
だが、それは焦大の気持ちを逆なでしてしまったらしい。
「蓉の小僧、てめえなんかが主人を気取るなよ。てめえみたいな餓鬼は言うに及ばず、てめえの親父や爺さんも、この焦大を一目見れば腰を曲げるってもんだ。
俺がいなけりゃ、おまえらは官職にありつけなかった、栄華を極め、富貴を味わえることができたか? おまえらの祖先が九死に一生の思いでえたこの功、そのときこの焦大がどれだけ骨を折ったと思う? その恩に報いもせず、よりにもよって主人気取りか。
いいか、もう一度言ってみろ。てめえらに紅い刃がぶすりと刺さり、てめえらの身体から白い刃が出てくるぜ」
賈蓉は身を震わせながら、隣にいた下人に、
「紅い刃が刺さり、白い刃が出てくるとはどういう意味だ」
と聞いた。下人はふだんの賈蓉にない表情に慄きながら、
「それは下賤の者どもの汚い言葉ですので、蓉さまは知らなくてようございます」
と声を小さくしながら言ったが、賈蓉は、
「いいから答えろ!」
「蓉さまのお身体に刀を突きさし、お身体の骨を突き出させるという俗語にございます。つまりは……、お命を……」
それを聞くや、ふだん温厚な賈蓉の頬に赤みがさしてきた。
「明日酒が抜けるまで待ってやる。夜が明けたらおまえが死ぬ気かどうか聞くからな!」
と言って、焦大を羽交い絞めにさせた。焦大は全く意に介さず、
「この糞餓鬼が」
と冷笑し、賈蓉に唾を吐きかけた。
熙鳳は車の中から一部始終を見ていたが、
「早くこの無法者を追い出しなさい! このままここに置いておいたら、親戚知人から嘲られるでしょう。賈家には何の法もないのかってね」
賈蓉はようやく我に返り、
「はいっ」
と返事をし、馬小屋へ連れて行くように言った。
「何する。この馬鹿野郎ども」
焦大は激しく抵抗し、ある者の顔を殴り、ある者の腕に噛みつこうとするので、やむなく焦大を縛り上げ、馬小屋にずるずると引きずっていく。
焦大はついに賈珍のことまであげつらい、地平に響くほどに喚き散らした。