第七回 16
「迎えの者がお待ちしております」
丫鬟がうやうやしく言った。
「それでは、これで私も失礼させていただきます」
秦鐘は何度も拝礼しながら、尤氏たちに辞去の挨拶をした。
「秦鐘の礼儀正しさときたら! あんたとは天地ほどの差があるわ」
熙鳳が宝玉を小突いた。
だが、宝玉は熙鳳の言葉も聞こえない様子で、秦鐘のほうをぼうっと眺めている。熙鳳はため息をついた。
「で、秦の公子は誰が送ることになったの?」
尤氏は尋ねた。
「焦大を迎えに遣らせたのですが……」
丫鬟は口ごもる。
「酔っぱらったまま、大声で悪態をついています」
「どうしてよりによってあの人を選んだの!」
尤氏と秦氏が同時に言った。
「他にも人はたくさんいたでしょう! どうしてわざわざ焦大なんかに……」
尤氏が肩を落とすと、熙鳳がまくしたてるように言った。
「だから私はいつもあなたのことを甘すぎるって言ってるの! 家中の人間をほったらかしにして、うまくいくと思ってる?」
尤氏は嘆息して言った。
「あなたも知ってるでしょう。焦大がどんな人か。敬の老爺さまも、珍の大哥哥も取り合わない」
「それなら……」
熙鳳が口をはさみかける。
「でも、あの人は三回も四回も戦に出かけ、死人の山の中から太爺さまに従った忠臣なのよ」
「馬鹿野郎! 俺さまを誰だと思ってるんだ!」
寧府中に響くような声で焦大が叫ぶ。
屈強な男たちが焦大を羽交い絞めにし、口を押さえようとする。
「この若造どもが!」
焦大は怒鳴りながら、男の手を噛んだ。
「痛え! 何すんだよ爺さん」
焦大は男の手を噛みながら、思わず涙がこぼれてきた。こいつらは戦場を知らない。この家の始祖を知らない。
―― 老爺さま、老爺さま!
若き焦大は戦火のなかで叫ぶ。
敵の死体を踏み分け、味方の死体も踏み分け、主人を探す。
――老爺さま、賈演さま!
焦大はもう一度叫ぶ。
累々たる死骸のなかからか細い腕がよろよろと伸びる。焦大は目ざとく賈演を見留めると、一も二もなく自分の背中を指さした
――さあ、老爺さま、俺がおぶっていきます。
主従で何里を駆けただろうか。ようやく敵に見つからないような穴ぐらを見つけると、
――へへっ、老爺さま、ここに隠れていてくだせぇ。
主を置いて半時、焦大は腕一杯の食事を持って帰ってきた。
――近くの家から盗んできやした。い、いやいや、俺の分はいいんでさぁ。老爺さまから先に食べて下せえ。
また、川から水を汲んで来るや、
――ほら、老爺さま、水だ。俺? 俺はこいつの尿があるんで。
焦大は笑いながらやせ細った馬の背を撫でる。
戦場が落ち着いてしまうと焦大は再び野を縫うように駆けた。味方の陣が目前に迫ったそのとき、敵の白刃が死角から振り下ろされた。
――老爺さま、危ない!
鮮血と焦大の中指が空中に舞った。
――……へっ、老爺さま、そんな顔しないでくだせえ。主のために身を失う。臣としてはこれ以上に嬉しいことはありませんや。