安心してください、包茎ですよ!
目の前にあるのは、現代風の建物とサイケデリックな文字『WORLD ReMAKE』が踊っているパッケージ。
そう、これはゲームソフト! 俺がSNSでスクロールしていたら、最新ゲームを纏めているアカウントがオススメしていた作品。
そのゲームのジャンルはVRMMO。ざっくり言っちゃえば、仮想現実で好きな姿でみんなとバチバチ楽しもうや、みたいな最近人気なやつ。
現実と違う自分を演じられるから、いろんな人間に刺さったんだろうなぁとは思っている(小並感)
そして! この『WORLD ReMAKE』の唯一無二の特徴はレベルやスキルを完全廃止し、プレイヤーはたった一つの能力を与えられ、それを自分の思うがままに鍛え上げていく育成ゲームなのだ。
まあ、ぶっちゃけた話、俺はレベルとかスキルで自分の思い描くビルドを作るのバチバチに好み。
が、その能力ってやつがゲーム内の行動に則して変化していくという。
なにそれ、面白そうやねん。早速VRゴーグルはめまして。
ヨシイクゾー!
*****
一瞬のラグを挟んで、目を見開けば見慣れた天井。
「ん? 俺の部屋なんだが。ゲームスタートしたと……いや、ゴーグルつけてないし」
アキラもビックリな明らかな違和感。
俺が毎日を過ごす白い壁紙で覆われた、適度に荒れた男部屋が眼前に広がっている。
でも、俺の魂がそれを否定している(キリッ)
何というか、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがある気がする。生活感がない? 在るだけで使われた感じがしない。謂わば、形だけ貼り付けた紛い物のような雰囲気が……する、メイビーってやつ。
「ま、ゲームって認識で動こうかな? 探索探索探索発見発見発見」
ゲームだとして、俺の部屋が完全再現されてんのは、マジ怖い。
一万円の出費と考えると、もう覚えてないカセットの山に積むのは憚れる。
そうボソボソと考えながら、部屋を漁るが何も変な所はない。
スマホは正常、昨日学校で貰ったくしゃしゃなプリントも健在。本当にゲームなんか? と幾度も浮かび上がる疑問を押さえつけ、廊下に出る。
家はリビングを中心にそれぞれの部屋に繋がっているので、廊下という廊下はない。
じゃあ、何で廊下って言ったのかって? 知るか(暴論)
リビングにあるふかふかソファーにはとてつもなくだらしなく、くたばっている母親が居た。
それは見慣れた光景で、母の日常を見つめる疲れた目も俺にはゲームに見えなかった。
「毎斗、買い物行ってきてくれないかしら?私疲れて、スーパー行く気になれないわ」
「……あるものだけでいいんじゃない?」
「うーん、冷蔵庫何もないのよね。それに里中さんとのお喋りで力尽きたわ」
「えぇ……酷い理由」
その表情も、仕草も、声色も、口調も母親のもので、いつの間にか俺は首を振っていた。
「気をつけてね」
「うん、行ってくる」
「いってらっしゃい」
ゲームなのか、現実なのか、俺には何一つわからないまま、家を出る。
トボトボと歩いて、すぐに鍵を閉め忘れたことに気付くが、母が居るのでいいかと思い、近所のスーパへと足を進めた。
空を見ても、ゲームとは思えない。
俺が最近プレイした大作VRゲームでも見れない景色。
モンスターをゲットして、バトルしたりするやつ。ゾンビを銃でバンバンするやつ。モンスターを狩るやつ。インクで塗って陣取りゲームするやつ。
沢山の大作をやってきたが、ここまで現実と遜色ない、ゲームと実感出来ないものは初めてで……不気味な気分だ。
と言うか、ゲームならチュートリアルとかない訳? パッケージに入ってた説明文もロクなこと書いてなかったし。
もしやクソゲーか。なら、ハンターの方が苦しまないといけねぇな。
*****
よく友人と屯するスーパーで母親に頼まれた食品を買い、遠くない帰路へ着く。
暫定ゲームの世界での夕飯はシチューらしい。流石、我が親愛なる母。俺の好みをよく理解している。
必要な食品をカゴにぶっ込み、ついでにポテチも入れておいてある。
ワクワク気分と胸をムカムカさせる不安でニャルラトホテプだぜ。
「そう言えば、SNSとかはどうなってんのかな」
もう青い鳥が羽撃いていった後のバッテンマークに触れれば、今のトピックが流れる。
そこにはいつものありふれた闘争の他に、現実世界ではないことを証明する幾つかの話題が上がっていた。
少なからず安心を覚え、ホッと息を吐いた。
そして、その話題はーー
『異能者の人数の上昇! 舛添政権はどうするのか!』
『異能力による事件増加! 全異能者逮捕の抗議デモが!』
『アリゾナ州の消滅!』『墓場荒らしによるゾンビパニック発生!』
『ロシアで異能兵師団が結成』『中国が謎の兵器を作成中か?』
と、何れも俺たちを焚き付けてしまうような文章で踊っている。
現に、コメント欄には数々の憶測やら恐怖、憤り、煽りが飛び交い、ゲーム内の社会の混沌さをありありと見せつけていた。
ゲームがリリースされて、まだ三日程度。近年のVRMMOは運営の放任型が多いので、何とも愉快なことになりがちではあるが、それにしても悲惨という有様。
元から決まっているストーリーなのか、それとも製作者の手から離れた未知なのか。
「ゔぁにゔぁに」
わっかんねぇ。わっかんねぇから、今は家に帰ろう。
トボトボと結構重い荷物を運んで、徒歩10分の距離を歩いた。……ゲームに見えない世界だよなぁ、どう見ても。
ドアを開けて、元気よくただいまと言えば、目の前には母親が突っ立っていた。
「お帰りなさい。買い物は終わった?」
「うん、ちゃんと買ってきた」
俺が荷物を見せてみると、優しく微笑み返す。
ゲームでも変わらぬ姿に安心を覚え、ドアを閉めるべく振り返り、鍵を掛ける。
ガチャと音がした後、ストッという固まったモノを無理矢理切り開くような聞きたくもない音が俺の体から聞こえた。
「は?」と反射で出てしまう声と、凶行の主を視界に捉えるべく背後を見る。
「くへ、ふひひ、ひゃはあはあはあは!! 何だよ、その間抜けヅラあ! それだけで飯十杯は食えるぜぇ!」
瞳は裏返り、口元はあり得ないほどに避けた、まるでチェシャ猫のような狂乱っぷりを見せる母が居た。
手に持った鋭利な刃物には血がべっとりと付着し、背中を刺す痛みの正体を示している。
焼けるような痛みに耐えながら、俺はなるべく震える声を押さえて、でも脳髄に走る激情を込めて問う。
「お前ぇ! はぁはぁ、何なんだよ! 何がしたいんだよ!」
「ああん? あ、んーんん。……人傷付けるのって快感なんだよぉ! 苦しむ様、痛がる姿……ああ、お前はツラも良いからもっと苦しめてぇえなあ!」
叫びながら、もう一度俺に凶器を振り翳す。
鈍い銀色の煌めきを帯びる一閃に、痛みに耐えながら、回るように回避行動をする。
が、明らかに彼方の運動能力が上。左の二の腕を裂かれる。
あまりの痛みに、撒き散る血飛沫に、俺は此処がゲームであることを忘れてしまう。
「痛ッ……もういい、喋るな。母さんを穢すな! 母さんは何処だ!」
「え?え?え? もしやもしや気付かれてない! 何と、何とまあ楽観的な脳味噌。開いてみてぇなあ!」
人を煽る鬼は俺を回し蹴りで、蹴り飛ばし、リビングへと到達した。
グルグルと回る視界に吐き気を覚えるが、一つの感覚が俺を掴んで離さない。
生温い粘性の何か。今も自分から流れ出る生命の源。それとは別の違う生命の源。それが俺の身体に付いている。
吹き飛ばされ、転げ回った時に掛かったと考えるのが正常。いや、そんな正常受け入れたくない。
血の痕跡、何者かに俺と同じように害された人。いや、考えるな、見つめるな。
一人のバカ息子を支えてくれる唯一の立場にいる優しい人。やめろ、それで誰が幸せになる!
この家に居たのはもうたった一人しか居ないではないか。やめてくれ、そんな真実は知りたくない!
一面に広がる血の海、ソファーに項垂れる真っ赤な何か。お願いだ、やめてくれよ。やめてください。
皮を全て剥がされた真っ赤なピンク色の死体が血の川を作り出していた。
「けひひ、それお前の母さん。で、オレが泣き喚く女の皮剥いで身に纏ったワケ。二、三週間前ぐらいだったっけ? 異能力っうの? ま、それに目覚めたんだよねぇ。【皮被り】 ああ、包茎じゃねぇよ。ま、そのお陰で皮を被った相手の記憶の閲覧と擬態が可能になったんだよなあ! 人殺しがやり易くなって最高だよ、全くなあ!」
殺人犯がリビングの入り口に立ち、見るもの全てを恐れさせる悪魔の笑みを浮かべながら、バレエの主役のように小踊りしている。
もう耐えられなかった。ゲームだから? そんなものを気にすることが出来るほど俺は強くなかった。
溢れる憎しみが、哀しみが、母との思い出が、殺人鬼を霞ませる。
揺れる視界、目元を伝うものが俺の手に落ちた時、もう止めることは出来なかった。
零れ落ちた憎悪ごと、痛みなど忘れてヤツに殴り掛かる。
「何でお前みたいなゴミに母さんが殺されなきゃいけないんだあ!」
「ははは、知るかよ! 理由なんかねぇよ!」
俺の右ストレートは皮被りに軽くいなされ、ブレた体幹にヤクザキックされる。
抵抗する間も無く吹き飛ばされ、机を破壊しながら、壁へ叩きつけられる。
「何だ何だ威勢だけかよお! そんなんだから守れない。頭が働かないから鍵なんか閉め忘れる! 予想、予測、思考、判断! 力に、理性、ああお前ってヤツは何一つ持てない。だから、何も守れない! 全てが終わった後にただ独り啜り泣く! この世で最も劣等な存在なんだよお!」
痛みに悶える俺を見て、笑いながら、嘲りながら、殴る。
凡ゆる場所から血が出て、皮が裂け、青いアザが出来る。
苦しい。苦しい。痛いし、悲しい。でも、母さんの方がもっと痛い思いをした。せめて、せめてヤツに母親が受けた悲劇を、贖って欲しい。
はは、そう思っていても、皮被りの言う通り俺には何一つ持ち得ていない!
なんて虚しいんだ。この激情は、苦しみは、悲しみを俺はどうすればいいんだ!
腐らせるなんて親不孝出来る訳ないだろ! ああ、俺ってこんなちっぽけなんだ。
皮被りは母を脱ぎ捨て、本当の姿を俺へ見せつける。
それは草臥れた、社会の荒波に揉みくちゃにされた男の本心だった。
男は俺の顔を掴み、人にしか出来ない醜い笑顔と垂れる涙で俺に囁く。
「毎斗。お前は、オレとおんなじさ。ひと目見た時から分かった。社会に置き去りにされた廃棄物。歩む力もなく、諦められる程賢くもない。狂う生き方しか選べない愚か者」
一息吐いて、彼は真っ直ぐ俺を見る。それは誠実さがあって、初めて見せる社会性生物の姿だった。
何となく、彼の皮の向こう側、失った本質なんだと理解出来た。
「オレが救ってやる。いつか、いつの日にか狂うお前を、地獄を行くお前をせめて今の社会に留めるために」
ナイフを俺の額にくっつけ、聖母像に祈りを込めるように彼は言う。
笑い声が漏れる。感情が心の器を満たして、溢れて、零れる。
左手で彼の右手首を押さえ、真っ直ぐに見つめ返す。彼はたじろいだ。
怪訝な顔を浮かべる彼に笑いながら俺は伝えてやる。
「はは、殺しを正当化すんなよ、怪物。お前が俺を救う? は、虚言も休み休み言えよ、というか言うな。地獄に行かせない? お前が押したんだろ。俺は赦さない。お前を決して、俺の母さんを殺したお前を! 俺は赦さない!」
黒い焔が右手に宿る。俺の憎悪に比例して、極大の紫色に煌めく雷ごとヤツの頬へぶっ叩く。
その一撃は世界を震えさせ、男を家の外まで吹き飛ばす。
彼が飛んで行った跡は、まるでダンプカーが居眠り運動で建物に突っ込んだ結果のような有様であった。
皮被りが飛んでいった方向に進むべく、足を進めようとすると、漸くゲームらしい音が聞こえた。
[プレイヤー《色 毎斗》は異能力者に覚醒し、異能【魂響く六彩】を獲得しました]
そして、目の前に現れる異能に関する情報。
しかし、今の俺にはそれは必要ない。ゲームとか、現実とか関係なくあの男を殺したいと、だからさっさと彼の元に行きたいと思った。
そう願えば、ウィンドウは消え去り、顔が変形した憎たらしい皮被りが怯えた表情で俺を見ていた。
「な、ななな異能力に目醒めたってのか! お前は持たざる者のはず、なぜなぜなぜえ!」
「俺とお前、一緒なんだろ? お前も異能力者。なら、俺も異能力に目醒めるのは何らおかしな点はないだろう?」
「巫山戯るな、ふざけるなよおお!」
男は刀身が折れたナイフを振り翳すが、今までの俺とは違い、その動きは酷く緩慢に見えた。
アイツの身体がボロボロなのもあるが、なるほど異能力者と一般人は身体能力も別物なのだろう。
ナイフを持つ右手の甲へ、炎を伴った拳で叩き潰す。
ジュッと焼けた音と共に悲鳴と、凶器が地面に落ちる音がした。
「俺の異能【魂響く六彩】は感情の具現化を可能にする。怒れば怒るほどに、俺が纏う炎は熱く燃え上がる。憎めば憎むほどに、雷は太く奔る。
刑法とか、法の裁きとかもうどうでもいい。お前は俺の母親を殺した。なら、その報いを受けるのは当然。そして! その裁き手は被害者にあるのは間違いじゃない。今、此処でお前の起こす悲劇を殺す!」
俺の脳内には母との思い出が回想されていった。
ちっちゃい頃の俺はヤンチャ坊主だった。いや、今もか。木に登って、よく落ちて病院送りになった。猿でもないんだから、落ちるのは当たり前と貶されながらも俺の好きなシチューで俺の心を温めてくれた。
四年生になっても自転車が乗れなくて、クラスでバカにされて泣く俺の背中を叩いて、見返そうと夕陽が落ちる時間まで一緒に練習してくれた。
シチューを一緒に作ったこともあったけ。あの時は、俺のじゃがいもの切り方が下手過ぎて二人で笑い合ったな。
初恋の女の子を落とすために二人で作戦会議したこともあった。
小学校、中学校の卒業式では母さんも父さんも二人揃って泣いていた。それに釣られて、俺も涙が溢れて。
いっぱい怒られて、いっぱい笑って、いっぱい楽しんだ。
疲れた目をした母さん。でも、優しくて世界で唯一の無償の愛をくれる人。
俺の拳は冷気を纏い、氷塊が出来ていた。
それを見て、俺は今悲しんでいるんだと自覚した。
怒りよりも、苦しみよりも、俺にとっては喪失の悲しみが強いんだと思い知った。
懸命に逃げようとするゴミ虫に狙いを澄ませ、拳を突き出す。
『お母さんはね、どんな罪を犯しても殺しちゃあダメだと思うの。うん、とっても甘い考え。でもね、毎斗。死だけで償いが成立してしまったら、簡単に罪人は逃げられてしまう。死を逃げ道にしてしまったら、その先、国は崩壊してしまうわ。死ぬなら、何をやっても良いってね。だから、悪いことをした人間は最後の最期までその授かった生の中で罪の贖いを追求していかなきゃならないのよ。なーんて、今の毎斗には難しかったかしらね』
「あ、あああ、あああああああ!!!」
母さん、ごめん。俺は赦せないよ。母さんみたいに優しい人間になれない。ほかほかして暖かい理想に入れない!
死を逃げ道にしちゃって、ごめんなさい。
があん、とアスファルトにヒビが入り、何かをぺちゃんこにした感覚で幕は閉じた。
氷は溶け、俺は俺の所業を見つめるべく、目を凝らせば、一枚の皮がひとつの血溜まりなくズタズタになっていた。
それは雄弁に語る。
男は、皮被りは何らかの方法でエスケープした、と。
その事実にホッと安心感を覚えた。
殺人をしようとして、失敗したからか? ゲームの中の癖に?
母親の細やかな願いを虚仮にしようとしたからか?
今は何でも良い。此処から出て、現実世界の母さんに会いたいと願う。
じゃあね、この世界。もう二度と帰ってこないだろうけど。
[プレイヤー《色 毎斗》の基礎世界への帰還要請。ーー容認。ログアウト実行]
*****
重いVRゴーグルを外し、ベットから飛び降り、真っ直ぐにリビングへ向かう。
赤く染まる部屋。
ソファーから見えるピンク色の何か。
それは何処か既視感のある光景。
見るな、と叫ぶ脊髄を無視して、全力で駆け寄る。
「何で、何で母さん! やめてよ、何で。何で……」
全ての皮が剥がれた、ピンク色の母の死体がそこにはあった。