死の呪いで幼くなった聖女は魔王に拾われました
「聖女様、ありがとうございます! お陰で瘴気に侵された体がまた動くようになりました……!」
「それはよかったです。お大事にしてくださいね」
今日何人目になるか分からない瘴気に侵された人を治し、私は「ふぅ」と肩から力を抜いた。
毎日間違いなく百人以上は診ている上、それが数ヶ月以上も続いている。
私の力は生き物に宿る生命力こと魔力を消費するので、自身への負担もそれなりに大きい。
それでも私が手を止める訳にはいかない。
私は“浄化”の魔力を持った人間で、瘴気に侵された人を治せるのは、このユーシス王国では私だけなのだから。
……私ことアイナは、クラフィス公爵家の娘として生を受けた。
クラフィス家の治める地は広大な緑が広がり、ブドウなどの果実がよく採れていたのを覚えている。
当主だった父はブドウから作ったワインを飲み、幼かった私にこう言ってくれた。
「クラフィス家はこの地と一緒にこの味も代々伝えてきたんだ。アイナももう少し大きくなって、ワインの味が分かるようになったら飲ませてあげよう」
幼い私は「きっと、今だって分かるもん!」と父にむくれたもので、それを見た兄は「まだ早いよ」と苦笑し、母も「そうね」とくすりと笑っていた。
今にして思えば温かな家庭だったと思うけれど……そんな幸せは突然、終わりを迎えた。
今もなおユーシス王国を苦しめている禍々しい毒霧……瘴気が、当時のクラフィス領へと迫ってきたからだ。
当時は瘴気について詳しく知られておらず、海の向こうに時折、紫色の霧が出ると噂されている程度だった。
そんな瘴気が南海岸の方から風に乗り、一気にユーシス王国へと押し寄せ、たちまちクラフィス領を飲み込んでしまった。
瘴気に侵された人間は体が痺れて動けなくなり、次第に生気を失った末……死んでしまう。
当時は瘴気そのものを食い止める手段も確立されていなかったため、大勢の犠牲者が出た。
それは当然、瘴気に包まれたクラフィス領も例外ではなく、領民や私の家族は瘴気によって数日間苦しみ続けた末に……。
けれど不思議なことに、私だけは何ともなかった。
猛毒の瘴気を吸い込んでも何ともなく、子供の小さな手で、倒れた両親や兄の看病を続けていた。
でも奮闘虚しく、兄と母が亡くなり……最後に残った父は息も絶え絶えに、私にこう言った。
「アイナ。……屋敷を出て、王城へ向かいなさい。この紫の霧のせいで、陛下も救助を屋敷まで出せないに違いない。でも霧を抜け、王城まで辿り着けば……陛下ならきっと、救いの手を差し伸べてくださる。何としても、生き延び……てくれ……」
……それが父の最期の言葉になった。
それから私は涙を拭って、父の遺言を守るために、細い足で歩き続けた。
瘴気で馬さえ倒れていたから、自分で歩くしかなかった。
当時、両親に大切にされていたこともあって屋敷からほとんど出たことのなかった私は、今よりずっと体力がなかった。
何度も躓いて倒れて泣いて、それでも父の言いつけを守るために何日も歩き続けた。
その末、空腹と疲労で意識が朦朧としていた時、ふと空を見上げたら真っ青だった。
ああ、瘴気の中から抜けたんだ。
私はそう思って意識を失い……次に目覚めた時には王城の一室にいた。
ベッドの上で目を覚まし、ここはどこだろうと周囲を見回していたのを覚えている。
……後で聞いたところ、遠方から瘴気の様子を確認していた王国兵たちが倒れていた私に気付いたらしい。
そのうちの一人が、かつてクラフィス家に足を運んだ経験のあった者らしく、私の顔を覚えていたのだそうだ。
そうして私は即座に兵士によって保護され、それ聞いた陛下の命で、王城へと運ばれたのだとか。
目覚めた私は城に仕える使用人の方に「ご無事でよかったです。よくぞお一人でも」と言われたけれど、それを聞いて泣き出してしまった。
両親も兄も、屋敷の使用人たちも皆死んでしまった。
何も無事じゃなかったのだ。
そんな泣きじゃくる私の元へ、私が目覚めたという報告を受けた陛下……ホーク・ゼン・ユーシス国王が現れた。
陛下は少年の頃から私の父と面識があったようで、陛下曰く私の父は「親友」であったという。
私が泣き止むのを待ってから、陛下は何があったのかを私に問う。
……瘴気で家族やクラフィス領の領民たちが皆亡くなり、歩いている間、人間どころか動植物まで全滅していた話をすると、陛下は私を優しく抱きしめてくれた。
「……そうか。クラフィス領はもう……。幼子には、辛すぎる地獄であったな」
それから私は陛下の計らいで王城で暮らすことになり、様々なことを学んだ。
この世界に満ちる生命に宿る力、魔力のこと。
魔力は時に動植物を凶暴化させ、魔物を生み出すこと。
そして最後に……海の向こうに住まう魔族という存在が、瘴気を生み出しているであろうこと。
瘴気は元々、海の向こうで確認されていたものだった。
だからこそ海の向こうに住まう魔族が何かしているのだろうと、王城の方々は仮説を立てていた。
……そう、人族と魔族との間で、かつて戦争が起こっていたのだ。
昔、人族に海の向こうまで追いやられた魔族が、瘴気を生み出し今になって復讐をしているのだろうと。
……けれど結局、その仮説の真偽は何も分かっていない。
海の向こうにも瘴気はあり、船では決して近づけないからだ。
そうやって様々なことを学び、覚えるうち、瘴気に侵されなかった自分について不思議に感じるのは自然な流れだった。
私だけ特別な体質なのかと思いきや、王城に勤める治癒術師に調べてもらってもそうではないようだった。
では何故だろうと思い……私はある日、かつて兵士に保護された場所まで戻ってきた。
何故私が瘴気の中にいても平気だったのかを確かめ、その理由さえ分かれば、多くの人の助けになるはずだと信じて。
瘴気は王国の魔術師たちが魔法陣で編みだした風の防壁で押し流され、その地点より先には進まないようになっていた。
私は意を決して瘴気側へと足を踏み入れ……その時になってようやく、何が起こっているのかを把握した。
「体は瘴気に蝕まれている、でも……!」
集中しなければ蝕まれていると感じないほどの速度で、私の体に入り込んだ瘴気が無効化……つまりは浄化されていたのだ。
恐らくは私の体内に流れる魔力の効果だ。
……そのように理解してしまえば後は早かった。
瘴気はその時、王国の各所に発生するようになっていた。
風の防壁を高空からすり抜け、王国の各所に落ちてくるように。
そうやって突発的に発生した瘴気に侵された人々を、私は自分の体と同じ要領で浄化し、癒していった。
王城で教わり、私にも魔術──魔力を練って発動する神秘の力──の心得はあったから、他者への浄化も同じように行えた。
私はそうやって活動を続けるうち、いつしか「人々を癒し瘴気を浄化する聖女」と呼ばれるようになっていった。
王城へは私の噂を聞きつけ、連日大勢の瘴気に侵された人々が押し寄せ、それが何年も続いて……今に至るという訳だ。
「つ、疲れたぁ……」
自室へ戻り、ベッドへ倒れ込む。
柔らかにベッドが沈み込み、私の体を優しく支えてくれた。
「浄化の力が私以外にも使えればいいのに、どうして私にしか使えないんだろう」
そうすれば皆で分担して瘴気に侵された人々を癒し、浄化できるのに。
私の浄化の力は王城に仕える魔術師たちも調べたものの、出た結論は「私の魔力性質は非常に特殊で、毒物などを浄化可能である」ということだった。
ごく稀にいるのだそうだ。
魔力の性質が特殊で、たとえば炎のように高熱を帯びていたり、雷のように帯電していたりする人間が。
基本的にそういった特殊な魔力は戦いに有利な性質ばかりで、私のように誰かを救う性質の魔力は発見例がないそうだ。
魔術師たちは「正に古の時代より語り継がれる伝説の聖女様で相違ないかと」って言っていたけれど……。
「ないない。私が聖女だなんてそんなこと……」
城の皆や私が助けた人々がそのように呼んでいるだけだ。
私は別に、そんな高尚な人間じゃない。
ただ……強いて言うなら、そう。
「私は、私が分かる範囲内で、少しでも瘴気で苦しむ人が減ればいいって思うだけ」
せめて王国の人々が、瘴気で苦しんだり命を失うようなことがなければいいと、そう思っているだけなのだから。
……瘴気を受ける側も、昔の私のように看取る側も、とても辛いものだから。
そんなふうに思っていると、自室のドアが数度ノックされた。
こんな真夜中に誰が来たのだろう。
ベッドから起き上がって「はい」と返事をしてドアを開くと、そこには。
「アイナ、少しいいか」
「ウォード王子、どうしてここに」
ウォード・ゼン・ユーシス、このユーシス王国の第一王子だ。
長く影を落とす長身にさらりとした黒髪、落ち着きを感じさせる藍色の瞳。
私と一つしか歳が離れていないはずなのに、とても大人びた雰囲気を漂わせている。
それは子供の頃、私がこの王城にやってきた頃からそうだった。
ウォード王子は静かだけれど、よく通る声で話し出す。
「今日もずっと、瘴気にやられた民の体を浄化していたと聞いた。……体は大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です。少し疲れただけで」
「……そうか。だがあまり無理はするな。アイナは浄化能力を宿した自身の魔力を、瘴気に侵された民に流し込むことでその命を救っていると聞いている。だが……生命力である魔力の消費は、アイナの体にも多大な負荷をかけてしまう。自分の体も大切にするんだ」
ウォード王子はそう言い残し、さっさと部屋から離れていく。
余人から見ればきっと「えっ、話それだけ? 一方的すぎない?」となるだろうけど……今のは間違いなく、私を心配してきてくれたのだろう。
彼は無駄な時間は使わない性格だから、今みたいに用事を済ませたらさっさと行ってしまうのだ。
話が短いのもいつもの話である。
でも、決して情がない訳ではなく、私がこの城に来た頃から定期的に気を遣ってくれていた。
私が大変な時は決まって「大丈夫なのか?」と聞いて聞いてくれるのだ。
とはいえ……。
「あれじゃあ、昔から付き合いのある私以外には誤解されちゃいそう……というか、もうされているか。ウォード王子の誤解が解けたらいいのに……」
ウォード王子が部屋から離れた後、私は自室に引っ込んでため息をついてしまった。
彼は常に落ち着いていて、感情の起伏が読みづらいことでも有名だ。
なおかつ無駄な時間を嫌い、必要最低限の言動しかしない性格。
故に、城の中では「氷の王子」とか「鉄仮面」とさえ噂されることもある。
まるで彼が薄情みたいな言い草だ。
「ああ見えて結構、必要な時はしっかり気を遣ってくれたり、助けてくれる優しい人なんだけどな……んっ?」
そんなふうに呟くと、また部屋のドアがノックされた。
まさかウォード王子が戻ってきて、今の独り言を聞いていたりはしないよね?
物静かな彼であっても、今の言葉を聞いたら機嫌を損ねるかもしれない。
恐る恐るドアに近づき、ゆっくり開くと……。
「こんばんは、アイナ。今、いいかしら?」
「カーリー! こんばんは」
そこには幼い頃からの友人が立っていて、思わず顔が綻んだ。
彼女はカーリー・リオス。
リオス公爵家の令嬢であり、私がこの王城に来た頃からの友人だ。
黄金が流れているかのような美しい金髪に、澄んだ空色の瞳と整った顔立ち。
正直、聖女と呼ばれるべきなのは私よりこういう子なんだろうな、と感じてしまうほどに可愛らしかった。
「今夜はどうしてお城に? イアン様と一緒に来たの?」
「ええ、そうよ」
カーリーのリオス公爵家は、私の実家であるクラフィス公爵家が滅んだ今、貴族の中では最も強い力を持っている。
だからリオス公爵家の当主であるイアン様はよく城に出入りし、陛下と共に様々な執務を行っていた。
それは私が幼い頃からで、また、当時からイアン様はよくカーリーを城に連れてきていたものだった。
私がカーリーと幼い頃からの友人というのはそういうことでもあった。
「それと……ねぇ、アイナ。実は今さっき、ウォード様があなたと話していたのが見えたのだけれど、何を話していたの?」
伏し目がちにそう尋ねてきたカーリー。
私は「あっ、見られていたんだ」と少し驚きつつも、
「ウォード王子、どうやら私を少しだけ心配してくださったみたいで。最近、瘴気に侵された人の浄化が増えているから」
夜中に王子が若い女性の部屋を訪ねてきたのだ。
それを見ていたのなら、カーリーも気になるというものだろう。
そう思いつつ答えると、カーリーは「……へぇ」と呟いた。
彼女は俯いたままなので、前髪に隠れてその表情は全く見えない。
けれど今の声はどこか低く、ざらついていた気がした。
「……カーリー?」
「ねぇ、アイナ。私たち、友達よね?」
「それはそうよ。だって私たち、子供の頃からずっと……」
一緒だったじゃない。
そう言いかけた時には、カーリーの手が私の左胸……おおよそ心臓の真上辺りに素早く当てられていた。
そしてカーリーは顔を上げ、歪んだ笑みを……どこか狂気さえ感じられる表情を浮かべていた。
思わず体が硬くなった瞬間、カーリーは言った。
「だったら……お願い。私のために死んで」
「えっ?」
途端、私の胸元に当てられたカーリーの手が。
より正確には、カーリーが手で私の左胸に押し付けている札が、怪しく輝き出した。
この紫の輝きは何を意味するのか、私はすぐに察した。
魔力は色によって効果が異なり、赤なら熱、緑なら風など定まっているものだ。
そして紫は……呪いの魔力そのものだ。
……バクン! と自分の心臓が大きく脈打ったのを感じて、私は息苦しさでその場に倒れてしまった。
同時、目の前にはらりと落ちてきた札に目を見開く。
その札の正体は、禍々しい死の魔法陣が書き込まれたもの……即ち、強い呪いの籠った呪符だった。
こんなもの、暗殺にしか使われないような代物だ。
私は「ど……うして……?」とカーリーへ手を伸ばすけれど、そんな私を彼女は見下ろし、あざ笑っていた。
「どうして? そんなの、あなたが悪いのよアイナ。今や領地もない没落貴族の分際で城に住みついて、ウォード様のすぐそばで常に過ごして。それどころかあの鉄仮面とさえ呼ばれている方から気遣われ、寵愛さえ受けているなんて。……子供の頃からそうだった。一緒にいても、あなただけはウォード様から愛されているようだった。それどころか、あまつさえ今や聖女なんて呼ばれて調子に乗って。本当……一緒にいて、気分が悪かった。だから分かったの。あなたさえ消えれば、ウォード様も私を見てくれるって」
「そ、そんなこと……」
ない。
私が消えたところで、あの人はカーリーには振り向かない。
だってそもそも……ウォード王子は色恋沙汰には興味がなさげに思えるから。
私がウォード様に愛されているなんて酷い勘違いだ。
あの人はああ見えて、近くにいる人を気遣う程度には優しいだけだ。
私だけじゃない、城に仕える兵士や使用人が困っている時でさえ、密かに魔術で手助けしていたのを私は知っている。
何より……カーリーがウォード王子をそういう目で見ていたのを、私は初めて知った。
もし打ち明けてくれれば、相談してくれれば、力になってあげられたのに。
友達の幸せを願わないほど、私も薄情じゃない。
かけられた呪いで薄れゆく意識の中、最後に見たのはカーリーの歪んだ表情と「あなたが……あなたが悪いのよ……!」という私を責める声だった。
……それから、どれくらい経ったのか。
私は意識がぼやける中で、誰かの声を聞いていた。
音も声も、遠くから聞こえてくるように朧気だ。
「おい、この袋……一体何が入っているんだろうな。これを海に投げれば金貨十枚って言われたけど、結構温かいぞ……」
「馬鹿っ! 貴族様の考えに疑問を持つんじゃない。請けちまった以上はさっさと終わらせるに限る。中身が何であれ……もし仮に、中身が生きていようと死んでいようと。俺たちには関係ねぇ。……お前だって命は惜しいだろ? 余計な詮索は不要だ」
「ああ……だな」
それから一瞬、私は浮遊感に襲われた。
次いでバシャン! と飛沫が跳ね上がる音に、冷えた感覚が体中に広がっていく。
──もしかして私……水の中にいるの?
けれど体が鉛のように重くて、手足が上手く動かない。
何より私は袋に包まれているようで……。
……そこまで考えてから、私の意識は再び眠りに落ちるかのように、すとんと闇に飲まれていった……。
……。
…………。
………………。
「……んんっ……?」
頬にじゃりっとした感覚が走って、ゆっくりと意識が覚醒していく。
頭は少し重いけれど、動けないほどじゃない。
私はうつ伏せに寝ていたようで、背に太陽の温かみを感じる。
耳に届くのは波の音と鳥の声。
起き上がって周囲を確認してみれば、私は浜辺にいた。
蒼穹の下、白い砂と輝く海がどこまでも広がっている。
「綺麗……」
思わずそう呟いたけれど、ここはどこだろうか。
記憶を辿ってみれば、はっきりと覚えているのはカーリーに呪いを受けたところまでだ。
次の記憶は呪いの影響なのか、曖昧だけど……多分、状況から察するに。
私はカーリーの息が掛かった兵士辺りの手で、海に落とされたのだろう。
その末、この浜に流れ着いたに違いない。
なんてことだろうと思ったものの、生きているだけでも奇跡かと思い直す。
ひとまず立って移動しようと思うけれど……何かがおかしい。
「服が重い……?」
海水を吸っているのだから重くて当然だけれど、そんな問題ではない気がした。
何というか、服が大きすぎるのだ。
これでは服を着ているというより、包まっていると表現した方が正しいかもしれない。
ひとまず妙に重たい服を引っ張ってみるけれど、そこで服を引っ張る私の手が、とても小さく柔らかであると気が付いた。
「……えっ? 何これ?」
しかもこれもたった今気が付いたけれど、声まで小さく軽いものになっている。
まるで子供の声のようだ。
「この手といい声といい。ま、まさか……!?」
私は海に映った自分の姿を確認する。
……するとそこには、子供の頃の自分の姿が映っていた。
歳は多分、十歳よりも前……八歳くらいだろうか。
ともかく、瘴気がクラフィス領に迫ってきた頃と同じくらいの見た目になっていた。
「えっ……えええええええええええええっ!?」
あまりの衝撃で絶叫してしまう。
い、いやいや。
本当に何これ、何があったらこうなるの!?
思い当たるのはカーリーから受けた呪符しかない。
でもあれは札に描かれていた魔法陣の内容から考えても、対象を呪殺するものだったはず。
ではどういうことかとしばらく考えて……出た結論は一つ。
私の持つ、特殊な魔力の性質だ。
憶測になるけれど、眠っている間に私の魔力が呪いを“浄化”する方向に働いたのだろう。
ただし、呪いは解呪に失敗すれば、別の効果を生み出すことがある。
蛇の姿に変じる呪いを解こうとして失敗したら、次は小鳥の姿になってしまった……という昔話は、王国では有名だ。
つまるところ、私の場合は呪いの浄化に失敗して呪いの効果が変化し、体が子供の姿になってしまったというところだろうか。
「でも、命があるだけマシって考えた方がいいかな……」
呪殺の呪符は本来、王国では使用が禁止されているほど危険な魔道具だ。
カーリーがどうやって入手したのかは分からないけれど、所持しているだけでも重罪になるほどに強力な代物だ。
事実、私は呪符を体に受けただけで体が動かなくなり、意識を失った。
……そんな呪符を受けて生きているというのは、最早奇跡に等しい。
たとえ体が幼くなる代償があるとしてもだ。
「でもこれからどうしよう……?」
浜辺で一人きり、手持ちにお金もない上、多分だけど体が小さいので体力もない。
その上、残念ながら野営の心得も私にはなかった。
かつて瘴気に覆われたクラフィス領から脱した時はずっと歩き続けていたけれど、あれは王城のある王都への道と方角を覚えていたからだ。
さらに倒れた途端に兵士に保護されたから助かったのだ。
……王城へ戻ろうにも目の前には見渡す限りの海、泳いでいくのは無謀だし、周囲には船すらない。
助けてくれそうな人も皆無だ。
それでも何か使える物が周囲にないかと辺りを見回した時、ふと映り込んだのは……空に浮かぶ青年だった。
遠目からでも分かるすらりとした長身。
海風でなびく銀髪は陽光で煌めき、瞳は深紅に輝いている。
白と黒を基調とした衣服は礼装のようにも見え、異国の王族や貴族のようにも見えた。
「綺麗……」
どこか幻想的な美しさの青年を見つめていると、彼もこちらに気付いたようだった。
足元に魔法陣を浮かび上がらせ、階段を下りるかのようにこちらへ向かってくる。
私も少しは魔術の心得があるから分かる。
……あの人、かなりの魔術の使い手だ。
魔力とは生きとし生けるもの全てに宿る神秘の力で、生命力と言い換える人もいる。
人間はそんな魔力について、イメージ通りに練り操ることで、宙に円形の魔術式──俗に言う魔法陣──を形成することができる。
そうして魔力は魔術式に描かれた内容に応じて魔法陣から飛び出し、魔術という形でこの世へ出力される。
しかし人間の魔力というものは、基本的には人間の身の丈を超える力を発揮できない。
たとえば一般によくイメージされる炎の魔術だって、辺り一帯を焼き尽くすようなものは簡単に出せず、せいぜい大きな果実程度の火球を生み出すので精いっぱいだ。
さらに無理をすれば、生命力である魔力が枯渇して気絶してしまう。
要するに、魔術というのは誰もがイメージするほど万能ではないのだ。
……だからこそ、難なく体を宙に浮かせられるほどの魔力の持ち主となれば、相当な手練れの魔術師と考えられる。
そんな人がこちらに来て何をするのか……私は思わず体を硬くして身構えてしまった。
しかし青年はこちらまでやってくると、困り顔になった。
「お前、どこから来たんだ? 服もこんなにずぶ濡れ……って、サイズが違いすぎるな。となれば親の服なのか? まさか……一人で流されてきたのか」
「……」
魔術師というのは不思議なことに、強い魔力を持つほど傲慢な性格に仕上がる。
強い魔力が人間の理性をむき出しにしてしまうから、という説もある。
でも彼の印象は物腰が穏やかな青年といったものだった。
「体が冷えるからひとまず服を脱げ。それで一旦、これを羽織るんだ」
「えっちょっ……!?」
いきなりとんでもないことを言われたので抵抗してみるものの、青年はガシッと私を掴んだ。
やせ型に見えたものの、意外と鍛えているのか力強い腕だった。
「逃げようとするな。そのままだと風邪をひいてしまう」
「いいや、でも……!」
──人前で服を脱ぐのはちょっと……!
この青年、なんてことを言うのか。
やっぱり魔術師は魔術師なのか……と考えていたところ。
次の瞬間、首を傾げた青年の言葉に私は納得させられることになる。
「……? いいから、子供が遠慮するな。たとえどこの子であれ子供は子供だ。俺は大人としてお前を保護し、少なくとも今は風邪を引かないよう気遣う義務がある」
改めて言われてみれば、今の私は完全に子供だ。
しかも確か八歳くらいの私は、五歳や六歳くらいにも見えるほど体が小さい。
……それは幼い子供がずぶ濡れになっていたら、服くらい貸してあげようと思うのが大人の道理だ。
私だって元の体で、目の前にずぶ濡れの小さな少年がいたら、きっと同じようにしたかもしれない。
でも……。
「わ、分かりました! あの岩陰で着替えますから離してくださいっ!」
流石に目の前で着替えるのは恥ずかしすぎる!
小さな子供を着替えさせるくらい、大人としては普通かもしれないけれど。
私、中身はもう十代後半なので……。
そんな辱めは御免被りたかった。
「……そうか。一応は恥じらいを覚える年頃という訳か。すまない、野暮だった」
ぺこりと青年が頭を下げ、上着を差し出してくれた瞬間、私は岩陰まで素早く逃げ去った。
……それから大きすぎる服を脱いで、彼の上着を羽織り、しっかりと前を閉める。
「……よし。見えてない。ぶかぶかだけど、さっきの服よりはいいかな」
私が岩陰から出ると、青年は待ち構えていてこくりと頷いた。
「よし。落ち着いたところで自己紹介だな」
私は全然落ち着いてないけど。
あなたの前で着替えを強要されそうになって、心臓バックバクだけど。
「俺はオースティン。オースティン・デモルト・カングスだ。お前の名前は?」
「私は……」
素直に自分の名前を名乗ろうとして、ハッと固まる。
ここで私の名前をアイナと明かして、もしもカーリーの耳に入るようなことがあったら?
私が生きていると知れば、海の向こうまでも刺客を送ってくるのではないだろうか。
……私に呪符を押し付けた時のカーリーからは、そう思ってしまうほどの凄みと圧力があった。
「どうした? 名前、まさか思い出せないのか?」
「う、ううん! 違うの! 私の名前は……」
まずい、このままだと怪しまれてしまう。
というか既に半ば怪しまれつつある。
困った私は、浜辺に流れ着いている赤い貝殻……アリア貝を見つけて言う。
「私、アリアですっ!」
「ふむ。アリアと言うのか。ではアリア、どこから来たんだ? 家族はどうした?」
「海の向こうです。家族は……もう……」
これについては言い訳のしようもないので、素直に白状する。
嘘と真実は程よく混ぜるとバレないものだと聞いたことがある。
するとオースティンは「そうか、そうだったか……」と唸った。
「海の向こう……となればお前は人間か。少々魔力は特殊だが……」
オースティンは何やら不思議な言い回しをしていた。
まるで自分が人間ではないかのように。
思わずどういうことか聞こうとすれば「陛下!」と砂浜の向こうから誰かが駆けて……否、飛んできていた。
背から黒の翼を生やしているが、その他は人間同様だ。
けれど人間に翼が生えている訳もなく、あの人も人間ではないらしいと察せた。
そうして目の前に着地したのは、黒い鎧を纏った茶髪の若い男性だった。
鎧は体の線に沿うように作られていて、腰に差した剣からも異国の騎士といった印象を受けた。
彼はオースティンの前に、片膝を突いて伏せた。
「オースティン陛下。またお一人でこのような場所に……。同じことを繰り返すようで恐縮ですが、外出する際は護衛の者を付けてください。御身に何かあれば……」
「そう言うなクライヴ。一人でこの浜から海を見つめ、波の音をただ聞く。……数少ない俺の癒しだ、許すがいい」
「そ、そう仰られましても……」
クライヴと呼ばれた騎士は青い瞳を泳がせてから、ふとオースティンの足元にいる私と目を合わせた。
「……ちなみに陛下、その子は?」
「ああ、人間の子らしい。浜に流れ着いていたのを拾った」
「に、人間っ!? これがですか……」
クライヴは大きな声を上げ、目を丸くして私を見つめる。
「私も初めて目にしますが、意外と可愛らしいのですな」
「名はアリアというらしい。ひとまず我が居城に連れて行く。丁重にもてなせ」
「承知いたしました」
話が私を置いて進んでいくけれど、気になったのは二点。
クライヴがオースティンを陛下と呼んでいることと、これから私はオースティンのお城へ連れて行かれるらしいということ。
「えっ……オースティン、もしかして王様?」
問いかければ、オースティンは「ああ」と笑みを浮かべた。
「俺はこの、カングスの地で生きる魔族を束ねる王で間違いない。魔族の王は人間から魔王と呼ばれていると聞くが、つまりはそれだな」
「えっ……嘘でしょ!?」
喉の奥からとんでもない声が漏れた。
魔王。
人間と敵対していた種族である魔族、その王。
かつて人間と戦争をしていた時代の魔王は魔術の達人で、人間の国三つを三晩で廃墟に変えたと伝えられている。
魔王はそれほどまでに凄まじい魔力を持っているのだ。
そう考えれば、オースティンが魔術で宙に浮いていたのも納得だった。
……私、もしかしなくてもとんでもない人に見つかってしまったのでは。
後退ると、オースティンは苦笑した。
「待て待て、取って食ったりしないから怖がるな。そもそも襲う気なら服を貸したりしない」
「た、確かに……」
「それにここは危険だ。今日は天気がいいからとやってきたが……そろそろあれが押し寄せてくる時間帯だ」
「押し寄せてくる?」
問いかければ、オースティンは海の方を指した。
すると紫色の霧……瘴気が立ち込め始めていた。
「瘴気……」
「瘴気? 人間は毒霧を瘴気と呼ぶのか。……まあ、知っているなら話は早い。あれに触れれば体が痺れる。急いでここから離れるぞ」
オースティンは私を抱え、背から一対の翼を生やした。
魔族というのは、翼を出したり消したりできるらしい。
「……あれっ? オースティンも逃げるの? 瘴気は魔族が出すって聞いたけど」
王国ではそのような仮説が立てられている。
けれどオースティンは首を横に振った。
「魔族は瘴気なんて発さないし、俺たちも苦しめられているが」
「魔族って悪者じゃないんだ……」
なら瘴気って何なのだろう。
私が浄化できるあの紫色の霧の正体は。
「人間からすれば俺たちは悪か。まあ、かつて戦い合った仲だしそういった認識でも仕方はあるまい。とはいえ俺はアリアを害する気はない、安心してくれ」
オースティンは私を優しく抱きかかえたまま、翼を広げて空へと飛び立った。
***
ユーシス王国の第一王子、ウォード・ゼン・ユーシスはここしばらく、とある少女のことを常に気にかけ続けていた。
アイナ・クラフィス。
王国で唯一、瘴気に侵された人間を浄化し癒せることから聖女と呼ばれている、クラフィス公爵家唯一の生き残り。
アイナがウォードの前に現れたのは、ちょうどウォードが九歳の頃だった。
ウォードの父、ホーク・ゼン・ユーシスの「親友の忘れ形見なら」との計らいもあり、アイナは王城にて生活を送ることになったのだ。
それからウォードはアイナと接するうち、ゆっくりではあるが打ち解けていき、五年も経つ頃にはアイナを実の妹のように感じていた。
アイナはウォードを「ウォード王子」と呼ぶが「呼び捨てで構わないのに。寧ろ兄と呼んでくれ」とさえウォードは心の中で思っていた。
……本人の性格上、決して口には出さないが。
しかしそんな妹同然のアイナの魔力に浄化能力があると判明し、アイナが聖女として人々の前で活躍するようになり。
ウォードは日々、アイナの無理を心配するようになっていた。
というのも……アイナが他者の瘴気に侵された体を癒す際、アイナは自身の魔力を相手へ流し込む形で浄化を行うのだ。
つまるところ、アイナは生命力ともいえる魔力を消費して人々を癒していた。
当然、生命力となる魔力を使いすぎれば人間は体調を崩すのが道理だ。
それなのにアイナはここしばらく、毎日百人前後の人々を治していると聞く。
正直、ウォードとしては「本当に大丈夫か」と考える毎日であった。
故に、あまりに心配になったウォードは──彼自身、表情が変わらないので表面上はそのように見えないが──執務の合間を縫って、実際にアイナへ会いに行った。
夜間ということもあり、アイナの休みを妨げぬようウォードは手短に話し、アイナの体調を確認しつつ気を付けるよう注意を促し、足早に去った。
……そう、第一王子であるウォードがこれほどまでに気を遣い、心配する相手こそが、アイナ・クラフィスという少女だったのだ。
だからこそ……アイナが昨晩のうちに行方不明になったとの報を受けたウォードが「何だと……!?」と大いに衝撃を受けるのもまた、当然だった。
「それは本当か? 城中探し回ったのか?」
信じられぬといった面持ちのウォードに、報告を上げた近衛兵は恭しく答える。
「間違いございません。アイナ様は間違いなく、王城のどこにも……」
「そうか……となれば外だな。急ぎ捜索隊を編成しろ。アイナが理由もなく行方不明になどなるものか。あの子は非常に聡い、愚かな行動には出ないはずだ。第三者による拉致の可能性も考慮して探し出せ」
「承知いたしました」
そうして近衛兵がウォードの部屋から退室した直後。
再度ドアがノックされ、ウォードが「入れ」と応じる。
この時、ウォードは「やっぱり城の中にいたのか?」と、先ほどの近衛兵との入れ替わりでのアイナ発見の報を期待していたのだが……。
「ウォード様、失礼いたしますわ」
現れたのがリオス公爵家の令嬢、カーリー・リオスであったことに、内心深く落胆していた。
もしこの場にアイナがいたなら、ウォードが軽く肩を落としたのを察しただろう。
「……何の用だ」
実のところ、ウォードはカーリーに対し苦手意識を抱いていた。
幼い頃から、アイナと一緒にいれば邪魔をするように割り込んできた少女、それがカーリーだった。
アイナはカーリーを友人だと思っていた様子だったので、ウォードもカーリーをぞんざいには扱わなかった。
けれどこの非常事態において、話は別だった。
「ウォード王子。本日、お時間はありますか? もしよければ私と共に……」
「悪いが無理だ。どんな誘いも受けることはできない」
食い気味にそう断り、ウォードは自室から出ようとする。
当然、カーリーと話している暇があるなら、自身もアイナを探そうと考えた末の行動である。
だがカーリーはそんなウォードの腕を「そ、そう仰らずに。まだお話は……」と掴み……。
……彼の逆鱗に触れたのだった。
ウォードは腕を跳ね上げ、カーリーの手を振りほどく。
その際、カーリーから「きゃっ」と小さく悲鳴が上がったが、ウォードは意に介する様子もなかった。
そのまま、ウォードは続ける。
「俺は今、忙しい。城からアイナが消えたんだ。あの子は誰にも言わずいなくなるような子じゃない。これは俺の勘が、恐らく誰かが彼女を連れ去ったんだろう。聖女の力、欲しがる賊は少なくはない。……お前もアイナの友人なら、全力で探すがいい。そして……」
ウォードは拳を握りしめ、力強く言った。
それは氷の王子、鉄仮面などと呼ばれるウォードには珍しい、怒りの感情の発露だった。
「もしお前がアイナを連れ去った奴の正体を突き止めたなら、頼みでも誘いでも聞いてやろう。……俺は今、下手人を叩きのめしたいほどに怒っている。だからお前の誘いを聞ける余裕は一切ない。悪いが全て後にしろ」
ウォードはそう言い残して退室し、荒々しく扉を閉めた。
ドン! といった音の後、カーリーはその場にへたり込み……激しく爪を噛んだ。
「何で……何で何で何で! 何であの方の心の中にはあなたしかいないのっ! せっかく消したのに、これじゃあ意味ないじゃない……っ! アイナ……あなたはどこまで私の邪魔をすれば気が済むのっ!」
カーリーはヒステリックにそう言い、しばらくその場に蹲るのだった。
……カーリーの利己的な行いのため、アイナが海の向こうへ流された今。
人間の体内に入り込んだ瘴気の浄化を行える人材は今、王国に一人として存在していない。
されど年々、王国に発生する瘴気と犠牲者は増え続けている。
カーリーは「瘴気程度、治癒魔術でどうとでも……」などと甘く考えているが、彼女はまだ知らない。
この後、瘴気による被害者が激増し、大きな問題となっていくことを。
カーリー自身「アイナに呪符を使い、兵士により海に流した件がいつか露見してしまうのでは」「そうすれば投獄程度では済まない」といった具合に……怯える毎日を過ごしていくことを。
愚かな公爵令嬢はそれらについて、まだ一切気付いていなかった。
その一方、アイナが意外と温和な魔王に拾われ第二の人生を歩んでいくことも……カーリーには知る由もなかった。
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