1-4:口の利き方を知らぬ娘御
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奧城淨方四組三班、段原鐵指の率いる班が步軀を退治した噂は、瞬く間に京中に広がった。
始め、頭人疋田弥四郎による詰問にも似た聴き取り、続いて小袖御番衆御淨奉行山野邊内膳、御走衆の安東蔵人と籾井兵部、更には御部屋衆細川兵部に御供衆上野民部、奉行衆松田左衛門、同朋衆慶阿弥他、二十有余名にも上る幕府要人による調書が続いた。
幕府にとっても半信半疑であった步軀の件だけあって皆一様に関心が高く、その存在が明らかになった事により、洛中の警戒は一層高まった。
四組三班の三名は唯一、步軀を見付け退治した者として各々振り分けられ、鐵指は一組一班に、又七郎は二組一班に、陽之介は三組一班の班長とされた。
陽女も奧城淨方の正式な所属へと要請されたが、流石に是は陽之介が辞退した。
俄に注目され始めた三人の下には、引っ切り無しに人が訪ねるようになり、警戒強化とは裏腹に、なかなか警邏に出られない日々が続いた。
ある日、陽之介の下に吉田宮内卿意庵という年配の医者が訪れる。
前将軍義晴の侍医を務め、明に渡り嘉靖帝の病を治し名声を得た程の名医。
察した陽之介は陽女を奥座敷に隠した。
意庵も心得た様子で話を切り出し、癲癩の治療の可能性について熱く語るに終始した。
掻い摘んで云うと、意庵は癲癩の発生に二つの可能性を示した。
一つは痘瘡、此方の可能性が高く、もう一つが蠱毒。
癲癩が昨今になって屡々見られる事から古来より存在する痘瘡とは異なる南蛮由来の傷寒の類と推測。但し、南蛮人と近しい者が癲癩に罹ったと云う実態がない為、変化して風土病に転じたと云う説。
可能性は少ないとし乍ら、蠱毒の一種とも考えられると。
河豚毒のような生薬由来か、將亦、鉱物由来かどうかは不明だが、瞬時に命に関わる毒物・劇薬の類を稀釈して用い、死に至る迄緩慢に作用する何か。
明帝の治療に当たった時、伝来の丹薬服用を止めさせ、生薬にて回復せしめた記憶から、煉丹術に基づく金液の類による害を疑う。
或いは、二種の混合か。併し、仮に混合されたものだとしたら、かなり危ういと。
陽之介は途中から話に着いて行けなくなっていた。
この時代にあって陽之介の教養は上流にあり、十分な學問を修めている。だが、醫學や藥草學は特殊な上、祕匿されるか家傳となっている為、その実態について殆ど知る由もない。
亦、陽之介が話の内容を見失っていたのは、意庵が語る其れが癲癩とされる病症にのみ言及されている為。此処迄の話の中で、步軀に対する言明はなく、意庵が聞き及んだ癲癩と覚しき病状への解釈のみに徹底していたからだ。
愈々言葉に詰まり、無言で耳を傾けるだけの陽之介の背後の襖が開き、陽女が現れる。
呼んでもいない陽女が姿を見せた事に焦れつつも、其れ以上にほっとした安堵の感覚に、陽之介自身が一番驚く。
陽女の姿を見た意庵は、その娘御の余りにも幼い姿に動揺する。
若いと聞いてはいたが、丁幾なる謎の薬を調合する者が此処迄幼いとは思ってもみなかった。
それ以前に、――一体、何処の国の者だ?
「お爺ちゃんさぁ? あんま、陽之介苛めないでくれる?」
「!? い、苛めるとは――拙僧は癲癩についての見解をば……」
「ゾンビの事なら分かるけどさぁ? 癲癩とか云う病気の話って、爺ちゃんの脳内設定でしょ? 知らないよ、そんなの!」
「の、脳内……て、癲癩、否、其の存未なるもの、詳しく聞きたいのじゃ」
「なら、初めからそう聞けばいいじゃん? 煙に巻くような言い方してちゃ、陽之介だって答えられないよ」
「……それはすまなかった。では改めてお聞かせ願いたい、存未とやらについて」
「いいよ! ゾンビはねぇ~」
「うむ、存未とは?」
「腐った屍体が動き回るヤツ」
「!? …………」
意庵、軽い目眩にでも襲われた感覚――
――なんだ、是は。
まるで、童とでも話しているかのようだ。
丁幾と云う聴き慣れない丹薬を調合すると聞いていたので、若い乍らも賢女だとばかり思い込んでいた。
併し、実態はどうだ。
予想よりも見た目は幼く、中身に至っては童女の如し。
是は完全に当てが外れた。
凡そ、薬の生成は国許に傳わる習わしの類で当人の才に基づく見識や研鑽とは程遠いと見える。
ならば話は早い――
――實物を見せて貰えば事足りる。
「――ふむ。ところで、噂に聞く沃度丁幾なる秘薬、見せてはくれまいか?」
「初めから其れが狙いですか! お帰り下さい」
「いいよ」
割って入る陽之介の後ろから陽女はそう、あっさりと答える。
物怖じしないのは良いが好奇心が強過ぎる、と嘆く陽之介を余所に硝子瓶に入った沃度丁幾を取り出す。
近くにあった灯明皿から受皿を外し、其処に丁幾を少量注ぐ。
見た事もない赤褐色の薬液に興奮した面持の意庵が続く。
「こ、これはッ!? 正に疱瘡神を祓う濃紅が如し! 傳承と調藥とが是程調和せしめたるは僥倖、奇跡の為せる術なれば、如何にも畏れ多し!」
「爺ちゃん、気に入ったみたいだね? 良かったら、作り方、教えるよ」
「な、なんとッッッ!!! 真であるか!? 是非とも御願い奉りたく候樣」
「あいよっ! その代わりぃ~……――」
漫ろ条件を列挙し、然もありなんとばかりに捲し立てる陽女の様子に頭を抱える陽之介。
俗事に興味がない癖に、実に頭と舌が良く廻る。
王佐之才持つ稀代の大軍師、將亦、聖厩聰耳眩惑の大詐欺師か。實にも悲しき天賦也。
「――相分かり申し上げ候二付、不肖の身であり乍ら此の日華子、聢と御承りまして御座候」
「んじゃ頼むよ、爺ちゃん!」
後世、宗桂の長子、水運の父と称される角倉了以は家人にこう語っている。
父意庵が雙星と初めて相対した時、男子の記憶はなく、女児の才に惚れ込んだ、と。
粗野でいて淀みなく屈託無い態度、飾らう樣のない口振り、大胆にして底知れぬ恵贈、日明双方の帝を知りたるに、眞實の天子に会い申したる、と。
其れを直接伺った時、高齢なる老父はまるで戀煩ふ童子のようだった、と――