1-2:そうだ、京都、行こう。
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「どうであった――良き者はおったか?」
義輝がそう問う相手は御末衆の疋田弥四郎。天下の三剣聖と名高い上泉伊勢守信綱門下の剣豪、疋田豊五郎の兄。
始め、義輝自らの手で小袖御樣末衆に名乗りを上げた者達との腕試し、剣分(検分)をするつもりであった。義輝の腕前は一国の価値ある程。世に云う、剣豪将軍、であった。
併し、刃引きをしているとは云え、白刄を用いた撃剣を将軍御自ら行う事等、臣が許す筈もない。
そこで新陰流の達人である弥四郎が剣分役を買って出た。
「流石は公方様の呼び掛けに応える者共。共々皆、誠良き腕を持つ者ばかりで御座いました。中でも――」
「うむ?」
「――蓮華某と申す者、格別に御座った」
「ほほう。詳しく申せ」
「然らば――」
――蓮華、
そう、彼の者の名は――
蓮華陽之介郞々郞。
妻を、いや、娘か。幼さは残るが実に美しい女子を連れていた。
聞いた事もない流派を名乗っていた。
妙見尊星流、と。
北辰を称するくらいだ、破軍か薬師瑠璃光に纏わるか、亦は法華宗か。或いは、単なる外連味か。何れにしても學有り。
兎も角、正対した時点で相手の力量は推し量れるもの。腕相撲にて掌を合わさば即座に勝ち負けが分かり申そう。其れに似る由。凡そ、手練、と。
討ち合ってはっきりしたのは、其の者は間違いなく新当流を学んでいる。其れも只、学ぶに非ず、達人の域。卜伝殿直弟子か、松軒殿門下か、兵庫助殿か、將亦、一羽なのか。何れにしても傍流ならざる深奧の太刀筋。略確実に新当流を礎とした刀流――の筈。
恐らく、五度、某は斬られたに相違あるまい。
三度、立ち会った。
初めの一本は某が取った。二本目は相討ち、最後は取られた。一勝一敗一分、形の上では。
而るに、一本目は斬った後斬られ、二本目は相討って斬り斬られたる後斬られ、三本目は斬られた直後に亦、斬られた。乃ち、五度、斬られ申した。某は二度しか斬れなかったと云うのに。
誠、格別の腕也!
併し乍ら、ご注意召されたし!
是が真剣勝負であれば初めの一本で勝敗は喫しており申す。
つまり、始まりの一刀にて斬り捨すて終わり。
吾が刀流位詰にて終いに御座らん――
此奴、相当、怯えておるな。
弥四郎の腕は余が一番分かっておる。百の足軽を侍らすより遙かに信頼出来る、それ程の男。
何れ、蓮華某とは手合わせしてはみたいものの――
――扨、
「小袖御樣末衆は御小袖御番衆の末席に附し、奧城淨方として洛中洛外の見回り、步軀を見付け次第退治するものとす。
弥四郎、其方は奧城淨方頭人として是を指揮せよ。高伊予と大和治部、山野邊内膳を御淨奉行とし、必要であれば番衆を奧城淨方に出すので互いに協力致せ」
「承知仕りました」
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右京洛外南西に歩を進める三人、いや、四人。
先を行くのが段原鐵指。備後奴可出身。大柄で筋骨隆々。豊かな口髭は揉上と繋がり豪壮。
始め三吉氏家臣上里家に仕えていたが後、尼子氏家臣小笠原家に仕えるものの、当主長雄が毛利家に下った事で出奔。度重なる合戦で首級七つを上げ、七首鐵指と呼ばれ、転じて、鐵匕首とも。
続いて野又又七郎。遠州山名幸浦出身。日焼けした精悍な面持。一見細く見えるが、引き締まった体は見掛け以上に厚い。
間人であったが、農具であった殻竿に改良を施し、武具として用いた独自の武芸“轉流竿術”を創始した。
最後尾を行くは男女。男の方が蓮華陽之介、女は陽女。下総千葉出身と。陽之介は六尺を超える長身、大柄な鐵指が見上げる程。娘の方は五尺もない。共に良家の出、そう見える。
武名を上げる訳でも流派を喧伝する訳でも一旗揚げるつもりでもなく、当人等曰く、搜人。二人の関係は、相方と。
他の奧城淨方と行動を共にしているのは頭人、疋田弥四郎による指示。
火急の際、独りではどうにもならない為、三人一組として立ち回るよう申しつけられた。
今此処にいるのは四人だが、陽女と云う娘御は抑奧城淨方ではない。陽之介の連れなので着いて来ている。
任務に連れを連れて廻ると云うのも可笑しな話だが、腕に覚えのある者であれば理解も出来る。そう、傍に置いておくのが一番安全だと。
戰場であればいざ知らず、この程度の任務であれば問題あるまい。少なくとも、鐵指も又七郎も、そう理解していた。
この程度――
二人がこう思うのも至極当然。
何せこの任務、步軀の討伐なのだから。
この頃、步軀への一般的な認識は、病、だった。
不治の流行病、名を癲癩。
伝染ると皮膚が爛れ、魘され、痛みのあまり気が触れる。肉と臓腑は腐り、血が吹き出し、骨は砕け、軈て體が崩壊する。崩れ落ちる體を補おうと狗肉を求め、獣のように唸り声を上げ、彷徨う。
実に憐れな病人。
可哀想ではあるが人に伝染するが故、是を斬り捨て燃やさねばならない、其れが公方様からの命。
都鄙で解釈は異なり、山里や田舎では化生の類と怯える者もいるが、少なくとも京で是を化物と思い込む者はいない。少なくとも、見掛け以外は。
間もなく、九条坊門恵止利辺り。
見回りは洛中洛外と限られている。これ以上進んでも田畑が広がるだけで、間もなく山野に通ずる。
人の罹る病なのだから、人里離れて迄見回る必要はない。
今の京は長らく続いた戦乱の為、荒廃している。
荒廃していると聞いて勘違いしてはいけない。寧ろ、賑やかだ、特に洛中は。
武名を上げようと牢籠人は集い、各地の大名は権威を得ようと挙って使者を送り込み、商人はこの機会を逃さぬよう往来し、市に人は群がる。
三好氏と和睦により公方様の入京が相成り、いっそ活発。
では、荒廃とは?
此処で云う荒廃とは、都の拡がり。
人々は内へ内へと流れる。
洛中に足が向かい、其れは住まう者達にとっても同じ。
洛外の端々から人波は中央に流れ、京の周辺から集落が消える。
右京は其れが顕著で、北西・南西から次第に人々が姿を消す。洛中の人口密度だけが高まり、洛外は閑散とする。
そう、人群れの絶対数は変わっていない。只、洛中とその近隣に集中し、その活気に肖るだけ。
息つく遑のない戦乱の世にあって、皆一様に近視眼になっていたのだ。
「扨、戻るとするか、皆の衆」
「そうですね、日のある内に武家御所に戻りたいものですね。折角の昼番ですから」
「――お待ち下さい、皆様」
「どうしたのだ、陽之介殿」
「彼を――」
――陽之介の指差す方角。
踉蹌とした足取りの人影。
まさか、――
――步軀、か!?