序
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口傳にて失禮仕る。
時は戰國、世は末法。漸々危うく成り行く彼我の境、逢魔時腐臭漂ひて、濡烏に染まる中天、散華の熾火墨流したる。
永祿の折、鐡炮より先んじて存未發陀各處に至り、軀犇めきいと恐ろしく混迷極まり、著しく世を惑わす。
室町殿の權勢、愈々窮まれり。意氣地惡く余を拐かす。
かゝる折にぞ、畜生の心も顯れぬ可き。
其の者、外法の擊劍使ひて外道討ち滅ぼす魔性也。其れ、冥府外法の業――夶翼㦁理、と云ふ。
凍える蛾眉、堕つる默引き裂いて燃ゆる。
曝け出す心さえも愛は何を疑い續けん。
歸す身、其の唇、其の旨逃さん!
歸す身、煢然なる宵、今直ぐ消し賜へ!
色は匂へど、散りぬるを。我が世誰ぞ、常ならむ。有爲の奧山、今日越えて、淺き夢見じ、醉ひもせず。
片手に刄、傍らに比咩、唇に眞言、背中に愛!
臨兵鬭者皆陣列前行!
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願以此外法、普及於一切、我等与畜生、皆共堕外道……
永禄元年小正月――
伊勢国司北畠家第八代当主、正三位権中納言源朝臣具教は、伊勢国一志郡霧山城下、多気御所にて武芸上覧を楽しんでいた。
この日、御所に隣接する的場は四方を艶やかな餅花で飾り立て、家臣は無論、広く下々に至る迄解放され、左義長の焼き餅と福茶粥が皆に配られていた。
通常、武芸上覧ともなれば城内にて御客殿、重臣、上席の前にて行われるのが常であったが、そこは具教卿、武芸精通への風情が違う。何より、今年は趣が違う。
北伊勢の雄、安濃郡を支配する長野工藤氏との争いは優位に進み、間もなく決着するであろう。
且つ、具教の隣りに座す御老体。昨年より伊勢に滞在する塚原土佐入道卜伝高幹、三剣聖と名高い大々武芸者。三度の廻国修行と称し、秘伝の鹿島新當流平法の伝承に精力的。
具教、この時、数えで三十一。既に気力、体力共に円熟し、豊かな教養と知性を兼ね備え、武人として歌人として、何より国司北畠家当主たる大名として大成し、一人公武合の名を擅にしていた。
必然、上覧とは云うものの検分の意味合い色濃く、技を披露する武芸者達の神経もピリピリと張り詰めていた。
「次ぃー! 扶桑第一之兵術憲法が名跡、吉岡又三郎直賢殿による愛染明王偈頌“如射衆星光”の御披露目に御座る!」
「いざ、參る!」
吉岡と云えば第十三代征夷大将軍、足利義輝の兵法指南、憲法直光が実子。今出川にある道場は「兵法所」として世に知れ渡り、その次期当主として名高い武芸者。
細身の優男然たる直賢、而して研ぎ澄まされた刃の如き佇まい。刀身一尺程の宗近伝と覚しき鎧通をすらりと抜き放つなり、無数の突きを繰り出す。
正面に、左右に、中空に。直線、曲線、折れて跳ね上げ、振り下ろす。迚も常人では追えない速さ、鋭さ、そして、流麗。刀身に掻かれた二筋樋に陽光が射し込み、乱反射させ乍ら繰り出される突きが黄金色に輝く光の筋を引く。
偏に、芸術。
「天晴! 長物なれば扱き捻り、鋒が揺れ撓り振れ、目で追えぬ事も間々あろうが、剛性に頼らぬ短刀で是を成し遂げるとは体幹の鍛、工夫の練り、氣の乗り、如何にも技有り。正に衆星の光を射るが如し!
見事である。綺羅百裂とは正に又三郎殿、匠也」
「恐悦至極に存じます」
「それでは次ぃー! 中条流、鞍馬流“東軍者”、川崎鑰之助時盛殿による波己曾妙儀法印丹書綴刑……」
終始満悦の具教。隣る卜伝も微笑み興を楽しむが如く。
応仁の乱から明応の政変を受け、足利将軍家の権威は失墜し、管領職を世襲した細川京兆家も内訌に喘ぎ、大物崩れを以て収拾したものの幕府の中央集権が失われた今、これ程錚々たる武芸者を集める者は具教をおいて他にいない。
後世、本朝武藝小傳を記した日夏弥助繁高は、この永禄初年の具教卿が催した南伊勢武芸上覧をして怪異擊劍の始まりと見なしている。
武芸上覧は進み、愈々最後の一人。
夫婦、或いは娘か、うら若い美しい女性を引き連れた精悍な佇まいの男が控える。
百万遍数珠を首からぶら下げた野臥のような装束からして牢籠人か。
抜身の太平廣を引っ提げた様は無風流。
「では、次ぃー! 妙見尊星流、蓮華陽之介郞々殿による妙技……!?」
目録を読み上げる検分役が突如、口籠もる。
「如何した? 続けよ」
「は、はい……蓮華郞々殿による妙技――ひ、一之太刀の御披露目に御座る」
「な、なにィ!? 一之太刀、だと!」
具教、青褪める。
それもその筈、一之太刀と云えば、卜伝斎殿の祕中の祕。具教自身、唯授一人として相承すべく新當流の稽古をつけて貰っている最中。
田舎侍とは云え、武芸を嗜む者であれば、その名知らぬ存ぜぬは通らん。それ程に、一之太刀
ちらりと横目、卜伝翁の顔色を窺う。今迄同様、微笑み見守る御老体。併しその瞳、阿遮羅囊他を秘するが如し。噯にも出してはいないが。
寧ろ、居並ぶ卜伝が門人八十有余が色めき立つ。
「失礼――吾が妙致、ひとつのたち、とは呼び申さん」
「……如何なるか?」
「是、にのまえのたち、と呼び申す」
これはいけない!
続けさせては刃傷沙汰になる事必至。それ程、この牢人の言、危うい。
腕前披露ともなれば、当然こう云った手合も現れはしよう。とは云え、本日集った武辺者は只の腕自慢に非ず。比類無き求道の武辺に他ならず。
無論、武骨で結構。だが、吠ゆる相手が何者であるかも分からぬとあっては犬畜生に及ばん。
「本日は此処迄とする」
「――吾が秘剣、未だ御披露に與らず」
「其方の腕前は佇まいからして先の剣豪達に匹敵すると窺い知れる。褒めて遣わす。後、褒美を取らす故、本日は此処迄」
――後日。
霧山城下外れの雑木林の中、斬殺された遺体が見付かる。
それ程、良い身形ではないその亡骸が何者かは分からない。近くには多数の永楽銭が散らばり、鞘無し無銘の段平が一振り、転がっていた。野武士か何かと思われ、無縁供養に付された。
同じくして塚原卜伝門下、久藤某が忽然と姿を消したが、上述の無縁仏とは似ても似つかず、それこそ一切無縁であった。
戦国の世にあって、よくある話。故に、世情の記憶からすぐに忘れ去られた。